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公務員から駄菓子屋の世界へ。子どもたちの居場所と駄菓子文化を守る、くぼたのだがしやさん店主の思いとは


駄菓子屋と聞くと、誰もが一度は行ったことのある懐かしいお店を思い浮かべますよね。
自分が昔通っていた駄菓子屋はまだ残っているのかな。

貝塚市窪田にある「くぼたのだがしやさん」は、コロナ禍にオープンした新しい駄菓子屋。
2年前にできたばかりですが、どこか懐かしさを感じる雰囲気で、とても居心地がよいのです。

今回は、子どもたちが殺到するくぼたのだがしやさんの店主、池角さんへ駄菓子にかける思いを深掘りしました。

 駄菓子屋の世界に飛び込んだきっかけ

くぼたのだがしやさん店内


くぼたのだがしやさんがオープンしたのは、店主の池角さんが「子どもの居場所を作りたい」と思ったところからはじまりました。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が出されます。学校は休校になり、友だちをはじめ、次々と人とのふれあいの場が奪われていきました。外出の自粛要請により、公園で遊ぶ子どもたちの姿はありません。

池角さんはこの状況に危機感を抱き「なんとかしなきゃ」と思い立ち、子どもたちの居場所を作ろうと考えました。

大阪市出身の池角さんは、子どものころ、家と学校以外の居場所は、毎日行っていた駄菓子屋でした。顔なじみになって、特別にバックヤードに入って食べた経験も。
あのとき食べたカップラーメンの味は、今でも深く覚えています。

池角さんは、今の子どもたちにも、駄菓子屋に行った経験を覚えておいてほしいと考え、経営の世界に飛び込んだのです。

そのとき、「冗談ではなく、駄菓子屋をするんだと、駄菓子の神様がおりてきた」と話します。

当時勤めていた仕事を辞め、夫の故郷である貝塚市に移住。コロナ禍でさまざまなお店が廃業するなか、新たな人生をスタートさせるべく、2021年10月に開業しようと立ち上がりました。

現在は、駄菓子屋以外にも仕事をし、家庭では4人の子育て中。
仕入れは、仕事の合間をぬって週2〜3回ですが、最近は仕入れ量が増えています。嬉しい反面、大変に思うときも。

くぼたのだがしやさんは年中無休。他に仕事をしながら、さらに子育てをしながらでも、お店を開き続けるのは並大抵の覚悟が必要です。

開業資金は国からのコロナ給付金、10万円

当初、自宅の和室を開放していました


駄菓子屋をはじめるとき、2020年に国民全員に配布された、特別定額給付金の10万円を元手にして開業したのです。自分のために使わず、誰かのために使うところが池角さんらしいですね。

はじめは、貝塚市にある自宅の一角を開放して、和室に所狭しと駄菓子を並べて販売していました。

地域では個人商店が少なく、ましてや駄菓子屋は周りにありません。評判はすぐに広まり、地域の子どもたちが毎日訪れるようになったのです。

自宅から店舗へ移転

薬師公園からの景色


2022年11月、くぼたのだがしやさんは自宅から現在の店舗に移転しました。現在は「雑貨屋Peek」との共同店舗になっています。

雑貨屋が以前から営業している店舗の一角で、駄菓子の販売をはじめました。雑貨屋が販売形態をオンライン中心に移行したため「お店を使ってください」と声がかかったのです。店内にはPeekの商品も並んでいます。

地域の子どもたちの居場所

お店には毎日たくさんの子どもが訪れています


くぼたのだがしやさんは、池角さんの思いが実現し、子どもたちの居場所となりました。
家、学校、さらにもう一つの「サードプレイス」になったのです。
毎日通う子ども、週に1度だけまとめ買いする子どもなどさまざま。

顔なじみの子どもから「明日好きな子に告白するねん!」と、そんな報告が。池角さんは子どもたちから、心を許せる存在になっています。

取材時、子どもたちがお店の前で輪になって駄菓子を食べていました。
学校でのできごとや他愛もない話で盛り上がり、その表情はみな明るく、コロナ禍では見られなかった光景です。

近所の子供たちが店内いっぱい押し寄せます


開店時間は、平日は下校時間に合わせた夕方の2時間だけ。土日は少し長いが、それでも子どもたちは駄菓子目当てにひっきりなしに訪れます。

お店の横が公園なのも、子どもが行きやすい理由です。

近所に住むヨシノさんはこう話します。
「ある日、息子を連れて市外へ出かけたとき、池角さんにバッタリ会って『Aくん、いつも来てくれてますよ』と声をかけてくれたんです。私はお店に行ったことがないので、どんな人なのか知らなかったのですが、声をかけてくれて安心しました」

お店にくる顔なじみの子どもの名前は覚えていて、できるだけ名前を呼ぶようにしているそう。
親御さんにとって、地域の人が子供達を見守ってくれていると、とても安心できますね。

お店は年中無休。特別な事情があるときは休みますが、地域の子どもたちのために、できるだけ毎日開いています。

近隣地域のイベント主催者からの出店オファーも多くきます。ときどき出店しますが、ただやはり気になるのは毎日通ってくれる子どもたち。
イベント出店中はお店を開けないからと、オファーを断るときもしばしば。

子どもがお店にきてガッカリさせるのはかわいそうだ、と一人で毎日営業を続けています。

「水間鉄道」との突然のコラボ

水間鉄道「だがし列車」車内


地域に根ざした「くぼたのだがしやさん」の噂はまたたく間に広がりました。
貝塚市内を走る水間(みずま)鉄道から突然「一緒に何かできないか」とオファーがあったのです。

水間鉄道は、「すいてつ」の愛称で親しまれている、貝塚市内のみを走る一市完結型の会社。運賃が高いと言われ、敬遠する人も少なくありません。

水間鉄道と貝塚市の魅力をたくさんの人に伝えるために「だがし列車」を企画しました。水間観音駅構内に停車している車両に、駄菓子を並べて、出張販売をしたのです。
水間鉄道では過去に例はない、初めての試みでした。

宣伝は水間鉄道の広報と、くぼたのだがしやさんと仲間たちによる告知のみ。本当にお客さんが来てくれるのか半信半疑のまま当日をむかえました。

当日「だがし列車」のめずらしさに、全国から鉄道ファンが押し寄せたのです。家族連れや、カメラを持った「カメコ」など、想像を遥かに超える大勢の来場者でした。


その後、定期的に「だがし列車」を開催し、第5回には、とうとう駄菓子をのせたまま臨時運行が実現。

「うまい棒」でおなじみ、株式会社やおきんをはじめ、さまざまな企業の協力のもと、1車両すべてを駄菓子で埋めつくしました。
うまい棒はもちろん、昔なつかしい駄菓子がズラリと並んでいる光景は、池角さんにとって、まるで夢のよう。

お客さんは、買った駄菓子をすぐさま電車の椅子に座って食べました。車内でお客さんがほおばるのは、駅弁ではなく駄菓子という珍しい光景。

「だがし列車」は、水間鉄道貝塚駅〜水間観音駅の、たった14分間の臨時運行でしたが、おおきなインパクトを残しました。

日本の文化と駄菓子メーカーを守りたい


くぼたのだがしやさんは、子どもたちの居場所の役目を果たしています。
さらに、駄菓子産業を支える個人商店のひとつとして、そして「日本の伝統文化を継承したい」という思いも込められています。

日本の伝統文化

日本の伝統文化を残すため、お店では、昔ながらのおもちゃも扱っています。
お面、セミカチ、クラッカーボール、竹とんぼなど、昭和の時代から親しまれているおもちゃが並びます。

イベント出店時には、池角さん自身が「おかめ」や「ひょっとこ」のお面をつけます。ただ目立つためではありません。

一人でも多くの子どもにお面を知って欲しいそう。
その思いに賛同した仲間も、イベント出店時にはお面をつけてくれるようになりました。

駄菓子メーカーを守る

近年は、子どもの数が減り、駄菓子屋も減り、それにともない全国的に駄菓子メーカーもどんどん減少。
それでも、大阪には駄菓子メーカーが多く残っています。

たとえば、ジャック製菓の「ヤッター!めん」をご存じでしょうか。1982年に発売された、赤い容器に、ふたの裏がクジになっています。ジャック製菓は、大阪に会社があり、金券当たりクジ付き駄菓子一本で、子どものために安価で販売を続けています。

当たりクジを交換しても駄菓子屋は損をしない仕組み。「当たり」の分はメーカーからのサービスとして、無料で提供されているのです。

「当たったクジは買ったお店で交換して欲しい」と池角さんは話します。

ジャック製菓のパッケージは中野幹社長みずからデザインしています。漫画家になるのが夢だった社長は、大学卒業後に漫画家ではなくジャック製菓に入社しました。入社後すぐにパッケージを描きはじめます。

ジャック製菓の中野社長は、以前テレビで共演したとき、くぼたのだがしやさんのお店を応援し、イラストとサインを書いてくれました。

駄菓子メーカーや、地域の問屋など、駄菓子で生計を立てている人はたくさんいます。
日本の駄菓子文化をいつまでも守っていきたい思いは、池角さんも同じです。

種類豊富な駄菓子

くぼたのだがしやさんは、さまざまな駄菓子を扱っています。関西では手に入りにくい「さくら大根」など、子どもたちからリクエストがあれば遠方からでも取り寄せます。
池角さん本人が仕入れもおこなっているため、駄菓子ひとつにしても、まるで博士のような解説を聞けるのも楽しいです。

「今どき」の子どもたちに人気の駄菓子は?いくつか紹介してもらいました。

人気の駄菓子

くぼたのだがしやさんで、一番人気を誇るのは、イタリアカラーでおなじみの、お湯を入れて食べる「ペペロンチーノ(東京拉麵)」です。

平時でも2時間で50個以上売れ、店先に用意したお湯は8リットルと、かなりの人気ぶり。
1つ70円で、子どもにとってはやや高めの値段設定だが、飛ぶように売れます。

子どもたちは、ペペロンチーノと一緒に、30円の「ガリボリラーメン(やおきん)」を買います。
残ったスープに入れ、替え玉にしてかさ増しをするのが、お店では定番なのです。

限定駄菓子

①冬限定

・わたがし(マルゴ)
原材料は砂糖のみ。わたがしは高温で溶けて小さくなるため、涼しい時期にしか販売されません。

・ゴールドチョコレート(福助製菓)
売価60円で、クジがついているが、その当選確率は100%。10円〜100円が必ず当たる、まさに金塊のごとくゴージャスなお菓子です。

②夏限定

・つめた〜い!アイスラムネ(安部製菓)
パッケージのように、ペンギンが凍るほど冷たく感じるラムネ。舌の上がひんやり冷たくなる、夏にぴったりの駄菓子。

・最強ひやりんこアイスガム(コリス)
最強と名がつくほど、メーカーは冷たさに自信があるガム。ザクザク食感でまるで氷を食べている感覚になります。

③ご当地駄菓子


さくら大根
関東ではどこでも売っているさくら大根は、地域限定品。大阪ではほとんど見かけません。
酸っぱくて、シャキシャキとした食感のさくら大根。
くぼたのだがしやさんでは、関東から取り寄せて販売をしています。

地域活性の役割

店内には、地元で活躍するアーティストや作家の作品が紹介されています。地域の大人が頑張っている姿を、子どもに見せるのが狙いです。

昇り龍

天井に貼られた約3メートルの作品は、子どもを中心に約100名の願いを込めてつくられた「昇り龍」。
熊取観光大使の「切り文字じょじょすけ」さん、「万商店◯」万揮さんらのデザイン。
展示によって、子どもたちに芸術作品に触れてほしいという思いがあります。

笛奏者Hikaruさん

貝塚市出身で和楽器や篠笛奏者として活躍するHikaruさん。篠笛のコンテストでは2冠を達成する実力の持ち主。
演奏を心から楽しみ、感情を奏でる姿をぜひ見てもらいたい。Hikaruさん本人もよく駄菓子を買いにきます。

くぼたのだがしやさんの思い


池角さんは、駄菓子屋を長く続けて、単なる子どもたちだけの居場所ではなく、大人になってもふらっと立ち寄れるような、居心地のよい場所をめざしています。

子どものころ、池角さん本人が経験したような、「駄菓子屋に毎日足を運んだ記憶がずっと心に残りつづけ、思い出として深く心に刻まれてほしい」と願っています。

くぼたのだがしやさんは、「今」だけでなく、子どもたちの未来をも思い描いています。
駄菓子屋の経営を通じて、何十年たっても地域の子供たちにとって特別な場所であり続けたい。

単なる商売としてだけでなく、地域社会への貢献や、日本の伝統文化を継承する存在となるよう、今日も駄菓子屋の店先に立っています。

くぼたのだがしやさん
大阪府貝塚市窪田300 駐輪場あり、駐車場なし
営業時間 年中無休
月〜金 16時〜18時 土日祝 14時〜18時


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