五味康佑のオートグラフ
ユニット同様、TANNOYにとって最も重要なものがエンクロージャーである。
当時の日本はまだ箱に収められた状態ではなくオーディオ販売店でユニットとTANNOY用の国産箱をセットで売られていた。そのせいでTANNOYは長らくその実力を発揮できず日本での評価は低かったという。
・五味康佑のオートグラフ
日本におけるTANNOYの名声に寄与したのは間違いなく芥川賞小説家 五味康祐だ。
彼がはじめてイギリス本社から輸入したことでも有名な創業者ガイ・R・ファウンテン(Guy Rupert Fountain)の名を冠した歴史的名器「Autograph」は創業者自ら1台1台全ての製品の視聴を行いチューニングを施したと言われる。そして背面にはガイ・R・ファウンテンのサイン(Autograph)が入っていたそう。そう…というのは没後に練馬区が五味康祐のオーディオ機器一式を引き取り定期的に抽選でレコードコンサートを行っていたのだが、ぼくは運よく1回目の応募で当選し聴きに行く機会に恵まれた。そして実機の背面を確認したが、ガイ・R・ファウンテンのサインではなく例の紙製の製品タグのみであった。
※上記2枚の写真は以下の写真は以下サイトからの引用です。
https://nack-audio.com/wordpress/gomi/
https://www.neribun.or.jp/hall/bunshitsu_record.html
※現在も定期的にレコードコンサートの開催は継続しているようです。↓
・教養ある耳
当時の国産オーディオメーカーは技術者が測定器の数値とにらめっこをしながら音作りをしていた。しかし幼少期から生のクラシック音楽に慣れ親しんでいた欧州メーカーの技術者はその彼らの”教養ある耳”を頼りにチューニングをしていた。
だからこそ当時の限られたレンジでも生演奏をそれらしく心地よく鳴らすことができたのだと思う。
姿かたちだけを真似ても到底追いつくことのできない数多くのノウハウが隠れていたに違いない。
・分相応の趣味
しかし、手塩にかけた国産箱は乾燥も進み、いい具合に枯れてきて左程の不満はなかった。ただそれでもやはり「いつかはあの札幌音蔵で聴いたオリジナルが欲しい」…ずっとそんな思いを持ち続けていた。
しかし私はオーディオについて自分の中であるルールみたいなものを決めていた。
それは機器の見た目もバランス良く生活に溶け込み、経済的にも無理をし過ぎたマネはしない分相応の趣味とする…ということ。
このことは小説家であり有名なオーディオマニアであった五味康祐の、そのほぼ全てをオーディオ・音楽に注ぎ込んでいた半生を繰り返し読み思い至ったことである。
家人に過度の無理を強いてまで楽しむことが果して良い趣味と言えるだろうか?言い換えればQUADやLansing(古い人はJBLのことをジムランと呼ぶ)が目指した”家庭のための”最良を目指すもでありたいということ。
…なので20年間はこれで満足すべきと決め毎日大切に扱い聴いてきた。
…続く