サヨナラ、叔父さん
愛知県名古屋市に生まれ育った自分にとって、お袋の実家がある同県安城市は母方の親戚一同が在住していることもあり、幼少時の第二の故郷のようなところだった。考えてみると、子供の頃の体験こそが、現在の自分の骨格になっていることに気がつく。
安城市と言えば、日本三大七夕祭りの一つである安城七夕まつりが有名で、小学生の頃は毎夏、祖母と叔父家族が住む家に泊まりで遊びに行っては、にぎわう祭りを楽しんだ記憶がある。中でもお化け屋敷は印象的で、怖いもの見たさの好奇心は当時に養われている。
そして、もう一つの安城市の思い出と言えば、初めて体験した映画館だ。暗闇で映画を鑑賞するという行為は、睡眠中に見る夢のような物語を、実際のスクリーンに投影する超現実社会の擬似体験で、創造力の出発点はこの映画館だったことは否めないし、この10年間アメリカで映画祭を運営してきた理由はここにある。
そんな思い出が詰まった場所で大きな存在だったのが叔父だ。祖母の元に3人兄妹の家族が集結しての宴会はいつもにぎやかで、楽しかった。そうした家族の絆を深める催しを企画したのは叔父だった。そういう意味で、人を繋ぎ、意味のある時間と空間を生み出すイベント・プロデュースを生業とする僕の原点を作ってくれた張本人なのではないか。
カラオケ、読経、ボディビル、少林寺拳法、スキューバダイビングと多種多様な趣味をたしなみ、鍛えあげた強靭(きょうじん)な肉体とは裏腹に優しさと包容力を兼ね備えた叔父。その後、僕は米国へ移住したため、叔父と会うことはほとんどなくなった。そして、彼が病気で倒れたと聞いたのは数年前のこと。
一年半前に母と一緒にお見舞いした時は、言葉を発することも自力で体を動かすこともできない状態で、終始一方通行の会話をするのみだった。われわれを認識できていたかすら、定かではなかった。
その叔父の訃報が届いた。あんなに元気だった叔父が逝ってしまった。言葉ではなく態度や生きざまで、僕に人生の道しるべを残してくれた叔父。届けられなかった「ありがとう」をここに記したい。
羅府新報(Vol.33,716/2021年3月16日号)『磁針』にて掲載