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分かれ道

 突然、電話が鳴る。「今夜〇〇で某画家の個展レセプションがあるけど一緒に行かない?」。これがメールであれば、時間の余裕があるので、考えて答えを出せばいいのだけど、電話で、しかもイベントが差し迫っている場合、迷っている時間がない。これぞ分かれ道。

 可能であれば、何が起こるかを比較してから決めたいところだが、人生そんなに甘くはない。宝くじと同じで、買わないと当選の有無は永遠に謎のまま。しかし、選択後の結果が分からないことは、人生の醍醐味(だいごみ)でもある。

 これまで私もたくさんの選択を繰り返してきたが、基本の判断方針は決まっている。一つは「誘われたらやる」。もう一つは、時期の選択肢があれば「早い方を選ぶ」ことである。二つ目は明快で、明日か来週の選択肢があれば、明日を選ぶということ。経験すれば情報量が増える訳で判断はしやすくなる。例えばレストランなら、味の評価、価格帯、サービス、立地環境などを知ることで、その後の決断は早くなる。良くなければ二度と行かないし、誘われても行かない、と即答できる。

 さて、一つ目の「誘われたらやる」を根本的に覆す「やれない」と「やりたくない」がある。前者は、既に予定がある、体の調子が悪い、罪悪感を伴う、など仕方がないものばかりだが、「やりたくない」理由には、経験したことがない、何が起こるか自分のイメージで予想してしまう、誘ってくれた人が苦手、というネガティブのオンパレードが続く。

 先入観、個人観念、基本概念は判断を鈍らせる。食わず嫌いなんて、その顕著な例だろう。また、自分の行動を決める判断材料は、テレビ、ニュース、SNS、口コミなど、他人からの情報は圧倒的に多く、まるで人生の判断は人任せになっているかのようだ。食べてみたらおいしかった、やってみたら楽しかった、見たら好きになった。分かれ道で出会う人の種類や将来の人生の方向性も変わる。

 分かれ道の大半は頭の中で作り出していることが多い。自分自身をニュートラルな状態にしておくことで、道は分かれることなく、大きな幅広い一本道を延々と歩んでいくことができるのだ。【河野 洋】

羅府新報(Vol.33,812/2021年10月26日号)『磁針』にて掲載

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