親友は、つくるものではなく、できあがるものだと知った50歳
(もうすぐ)50歳のmarです。
ここのところ、人生を振りかえることがほんとうに多いです。
これまでに出会った人、できごと・・・。夢にまででてきます。
きっと、noteをはじめたからですね。
自己紹介からはじまり、記事をかくなかで、人生50年分の総決算をしています。
そんななか、しみじみとありがたくおもうのは、小学校いらいの友人。
小学校のときに、一緒にトランペットをはじめたのが出会いでした。
そのまま中高と同じ学校、おなじ吹奏楽部に。とはいえ、クラスが一緒になったことはなく、当時はとくだん仲良しというわけでもありませんでした。
それでも、大学にはいっても付きあいがつづき、気づけば40年来の友人となっていました。
ことし49歳にして再婚したわたし。
その報告をしたとき、わたしの人生の苦楽をすべて知っている彼女は、こころの底から喜んでくれました。目にはなみだが浮かんでいました。
とてもうれしかった。
わたしの人間関係は、”来るもの拒まず、去るもの追わず”。
なので、これまでの人生で、親友とよべるくらい仲がよかった人でも、おたがいの状況が変化するなかで離れてしまうこともありました。
それを残念におもうこともあったし、いまでも「どうしてるかな」とおもいだします。
わたしは、自分から積極的に交友関係をひろげるほうではありません。
出会ったご縁をたいせつに、せまく深く、がキホン。
なので、深い付きあいをしている人は多くありません。
だからこそ、いまでも付きあいが続いている、その友人には感謝しかありません。
彼女こそ、ほんものの親友なのだと、この年になっておもいます。
親友とは、つくるものではなく、できあがるものなのだな、と50になって知りました。
50年も生きていると、いろいろな人と出会い、仲よくなり、そして、おたがいに離れてもいきます。
思いあたることがあれば、そうでないこともある。理由はあってないようなものかな、とおもいます。
ただ、この年になって、離れていた人と、またつながるようになってきました。
再会もいいものですね。そのご縁をまた、たいせつにしていきたいです。
今回は、自分かたりだけとなってしまいましたが、親友の彼女への感謝の気持ちを書きとめたくて、記事にしました。
最後までお読みいただいた方、ほんとうにありがとうございます。