ジェンダーを初めて意識したときの話
私が初めて社会における男女の差を意識したのは、小学生のときだった。
しばしば思い出す出来事なので、記録しておこうと思う。
私が通っていた中学受験の塾では、最難関校受験生向けの算数の問題集があった。
濃紺の紙に幾何学模様が印刷されたツヤツヤした表紙で、他のテキストとは少し違った、シンプルなデザイン。しかもその問題集は、先生がOKを出した生徒しか買えないという、不思議なローカルルールがあった。算数が大好きだった私は、先生に問題集を買いたいとわくわくしながら申し出る。
「先生、○○の問題集を買いたいです!」
ところが先生の返答は予想外のものだった。
「これはね、開成や筑駒に行く子がやるやつだから、女の子は必要ないよ。買わなくていいからね。」
購入を許してくれなかったのだ。
成績はクラストップ層の男の子にも引けを取らなかったし、模試で1位を取ったこともあったのにもかかわらず、女の子であるという理由だけで断られたのがショックだった。
今思えば、入試の難易度や傾向から、女子校希望の受験生にはきっと本当に必要のない問題集だったのだろう。しかし、15年以上前のことを今でも覚えているのだから、とにかく間違いなくショックを受けたのだ。
当時の中学受験の説明会では「女の子の方が理数系科目は苦手」という説明は平気でなされていたし、成績表も偏差値も男女別。皆がそれを当然のように受け入れていた。
悔しい!何で女の子だからって理数系が苦手って決めつけるの!こうなったら国語も算数も理科も社会も男の子に負けたくない!
とにかく男の子に負けたくなかったため、一時期はそれに合わせるように「女の子らしく」という言葉にもひたすら反発を覚えたこともあった。かわいらしいものは一切使わず、ボーイッシュな鞄や水色の小物ばかり使っていた。
しかし、勉強しているうちに、一生懸命頑張れば男の子に敵わないなんてことは決してないのだということが分かったし、かわいらしいキャラクターやパステルカラーの服、ふんわりとしたスカートやピンクの小物が大好きな自分をそんな反発心から抑えるのも馬鹿馬鹿しくなり、好きなものは好きと素直に考えることにした。
現在の部屋は「ザ・女子の部屋」といった出で立ちだし、コスメ集めも趣味の一つだ。いわゆる女性らしさは強制すべきものではないが、自分が何を楽しむかは自由だ。ここを履き違えてはいけないと思う。
性別を理由にしてチャンスを奪われること、コミュニティ内の役割を押し付けられること、逆にマイノリティであることをきっかけにチャンスを得ること、性別にまつわるアレコレは本当に色々な側面があって、一口に語れないのがジェンダーの話題の難しいところだ。
生物学的に男女は非対称であり、すべてをニュートラルにすることは不可能だと私は考えている。妊娠出産が筆頭だが、このライフイベントをきっかけとしたキャリアの断絶はどう考えても女性の負うところが大きい。このあたりの部分とうまく折り合いをつけながら、性別間のさまざまなギャップを埋めていくのが今後の社会の課題だと考える。