ベトナムからのお客様。離れていても繋がってると感じた瞬間

30年ほど前、社長仲間に誘われて、父はベトナム現地へ何回も足を運んでいた。

当時私は中学生。

ベトナムの可能性や、これから市場が広がるという話。

中国よりもベトナム民族の性格が日本人と合う。というような話を毎晩聞かされていた。

聞かされていたというと、否定的だけど、私と父の関係は、ある意味教師と生徒であり、生き方や仕事への向き合い方を学んでいた。

父の話は楽しかったけど、頼まなくても演説のように話がながるなることもしばしはだったので、どうしても「聞かされていた」という表現になってしまう。

とにかく、30年前からベトナムとの交流が始まった。

私がベトナムに初めていくのは、ここから10年後。

それまで、父がベトナムで何をしていたのか、日本にいながら会社の動きで感じていた。

最初は野菜を加工して漬物原料の輸入を試みるが、失敗。

畑を借りてからし菜の栽培、それを冷凍して、輸入。これは輸入したものの販売先に詐欺にあい、在庫が山積み。

高校の時に、山積みの在庫整理に駆り出されたので、途方もない在庫に辟易した覚えがある。

いつも勢いで事業を始めたものの、壁にぶつかり、その都度考えて問題を解決(諦めたり)していく父の姿をずっと見てた。

社会主義国家だった当時のベトナムで、地方の弱小会社の社長が、現地に法人を作れたのはすごいことだったな、と今ならわかる。

失敗しながら、欠陥がありながらも、次々と話が進むのは、父の人柄なんだろうな、と。

今回14年ぶりに日本に遊びにきてくれた友人は、
ベトナム参入当時から父の右腕として仕事してくれたお姉さん的存在のフンちゃん。

父が亡くなる前年に日本に来たきり、会えなくなっていた。

今回、久しぶりにLINEで連絡があって本当に嬉しかった。
私からは連絡先がわからなくなっていたから。

フンちゃんは、8年アメリカで生活していてアメリカ国籍を取得して、日本に来てくれた。

「どうしても、もう一度日本に来て、社長の家に来たかった」

ちなみに、ベトナムのパスポートだと、日本に入国するためのビザが簡単に取れません。

前回のビザ申請も、研修するからという名目で書類を送ってやっと申請が降りた。

「行きたい」
だけでは行けない。それが現実。

フンちゃんはグリーンカードで問題ないはずのアメリカビザから、猛勉強して国籍を変えてまで来てくれた。

その気持ちが一番嬉しかった。

父が亡くなったと連絡した時の、フンちゃんの声を思い出した。

離れていても、ずっと思い出していた。

私も、フンちゃんも同じ気持ちだった。
15年経ったけど、話が尽きない。

父が生前「ベトナムは、第二の故郷や」と言っていたように、私も離れて暮らす家族のように思っている。

少しの時間だったけど、会えたことでいろんな記憶を思い出して、よかった。

いいなと思ったら応援しよう!