
娘がハポニョールを話し始めた話【前編】
唐突ですが…
七五三って数え年でやるものなんですね。
去年の11月に帰省した際、ばぁばに「で、今年は七五三どんな予定?」と聞かれて慌てたオカンです。
娘も早いもので2歳を過ぎ、さすがにおしゃべりが多くなってきました。
最初は、言葉が遅いことを心配していましたが、今ではかなり言葉を使って自己主張するようになってきました。
今回は、その過程を忘れないように書いておこうと思うのですが、書いているとものすごく長くなってきたので、発話が始まる前と後の2回に分けることにします。
1. 頼れるものには頼ってみた
まだ話し始める前は、やっぱり耳からのインプットが大事だということで、できるだけ日本語を聞かせるように努めました。
例えば、こちらで毎日のようにやっているドラえもん。
時間帯が、ちょうど娘が夕飯を終え、お風呂から上がったタイミングなので、髪を梳かしたり、歯磨きしたりしながら、音声を日本語にして見せていました。
最近は、前後の番組編成の関係で放送時間がコロコロ変わるので、タイミングが合えば観ています。
あとは、寝る前にアンパンマンを1話だけ観ても良いことにして、日本語で観せていました。(→これは最近ではもう過去形。理由は後編で。)
まさかのこれがドンピシャで、娘はアンパンマンにどハマり。
日本のばぁばも、孫のアンパンマン好きを知って、帰省時にはDVDやら買っておいてくれたので、それを観ながらいろんな歌を覚え、今では毎日アンパンマンの歌を口ずさんでいます。
2. 音楽のチカラ
赤ちゃんの頃から、歌を歌ったり音楽を聴かせると、体を揺らして喜んでいた娘。立てるようになると、あちこちにつかまっては、音楽に合わせて飛び跳ね、歩けるようになると、腰をフリフリして踊るようになりました。
これはしめた、とばかりに私たち夫婦は、娘にいろんな音楽を聴かせましたが、特に日本語の童謡はYouTubeやiTunesにお世話になりながら、一緒に歌って聴かせました。
スーパーや義姉宅に行くときなど、車移動も多いので、車中では常に「しょうこおねえさん(時代がかなり前ですが)」の童謡シリーズが流れていました。
あとは、初めて日本に一時帰国した際に、こんな本も買いました。
どちらも中を開けると、上段は歌詞や手遊びの仕方を書いた絵本、下段はそれぞれの歌が流れるボタンが付いています。
しばらくすると、ボタンの絵と絵本の絵で、どのページがどの曲なのか分かるようになり、お気に入りの曲は永遠にリピート再生して歌っていました。
WiFiやデータ通信ができない、スマホやタブレットがないなど、デジタルに頼れない時でも手軽に歌が聴けるので、今でも重宝しています。
3. オカンの努力
日本語が自由にいつでも耳にできる環境ではないため、あとは唯一の日本語話者であるオカンが頑張るしかありません。
歌を歌い、本を読み聞かせ、ことあるごとに日本語で話しかけ…。
今では渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」が歌えるまでになりました(涙)
ただ、これが私にはとーっても難しい。
もっとも大きな要因は、私がスペイン語を理解するということ。
全然分からなければ、例え義母と娘がスペイン語で話していようが、私は娘と日本語でしか話せないのだから、気を遣うこともないわけで。
それが、なまじ分かってしまうが故に、周り(義母以外にも、保育園の先生とか、義姉夫妻や甥っ子たちなど)に分からないのはマズイと思って、日本語の前後にスペイン語訳を入れてしまったり、ダイレクトにもうスペイン語で言っちゃったり。
これは、後編でも説明するのですが、なかなかにやってはいけないことのようで、できるだけ日本語で通そう!と日々葛藤しているところです。
あとは、方言について。
私は関西弁話者なので、基本的に関西弁で娘に話しています。関西魂とかそういうんじゃなくて、私が普段話している言葉で娘に接しようとした結果、自然とそうなりました。
最近は、「アンパンマン、見ヨカ?」など、関西弁のイントネーションで尋ねてくることも増えました。
ドラえもんやアンパンマンは標準語だし、まぁオカンが関西弁でも「標準語が分からない」なんてことにはならないだろう…と思っています。
さて、これらの涙ぐましい努力がどれほどの身を結ぶのか…。
後編に続く!
Maqui