わかりあえないを越える*どちらが正しいかの先へ
『夫の家庭を壊すまで』というなんとも物騒なタイトルのドラマを見てしまった。
見てしまったというのは、続きが気になって夜更かししてしまったということです(ーー;)どうやら漫画が原作のようです。めっちゃ簡単に内容をまとめると、タイトルから想像できる通り、信じて疑うことのなかった自分の夫にはもう一つの家庭があると知り、自分を騙した人たちへの復讐をするという内容です。が、そこはドラマなのでとても複雑な人間関係と心情や感情が面白く描かれてます(なので途中で止めることができませんでした笑)。
ドラマの中で妻は夫に充分に復讐を果たすのですが、なぜか気持ちは晴れないのです。許してほしい、ごめんなさいと泣きながら詫びるボロ雑巾のようになった夫を目の前にしてもです。
NVC(非暴力コミュニケーション)を提唱したマーシャル・ローゼンバーグ博士は、NVCを教えるだけではなく、世界中で起こっている対立の場面に呼ばれ、その関係の仲裁、修復のサポートをする、ということもされていたそうです。親子、夫婦、親族や友人間の争い、社内の諍い、民族間の闘争、宗教の違いによる対立、国家間の争い、凶悪犯と被害者、ギャング同士の争い等々、血を血で洗うような、一触即発の現場に博士は立ち会ったとか。博士はレイプの被害者と犯人の間に入ったときに具体的にどのようにサポートするかについて説明しています。
まず初めに加害者を罰するのではなく、被害を受けた人が、自分の体験した苦しみを表現するのを手助けするそうです。その痛みの多くが、とても、とても深いもので、しかもNVCを知らないので、相手に配慮しながら苦しみを表現する方法も知りません。レイプされた女性なら、「あんたなんか死んでしまえ。拷問を受ければいいんだ、このろくでなし」などと相手に痛烈な言葉をぶつけるかもしれないと言います。
つぎに、レイプした側の相手の男性が、相手の苦しみに共感的につながるのを手助けするそうです。相手の苦しみの深さに、ただ耳を傾けるように促すのだと。彼らはそうすることに慣れていないため、まず謝罪しようとする
「すまなかった、あのときは・・・」そこですかさず間に入り
「いや、ちょっと待って。さっきわたしが何と言ったか思い出してください。まずは共感してほしいんです。彼女の苦しみの深さを十分に理解していることを、示してほしいんです。彼女の感情とニーズを、伝え返してもらえますか?」
彼にはできません。そこで博士は「じゃあ、わたしが伝え返しましょう」と言って、彼女の語ったすべてを感情とニーズで翻訳します。そして彼がそれに耳を傾けられるように手助けするのだそうです。これを通じてレイプされた人は、レイプした人から理解されるということを体験します。
続いて博士は、レイプした人が自分の行為を嘆く手助けをします。謝罪するのではありません。それだと簡単すぎるからです。
博士は加害者の彼に、自分の内面を探るよう促して、相手の苦しみを目の当たりにしたときに、何を感じるかを見つめる手助けをするといいます。そのためには、自分の心の奥深くに入っていく必要があり、それはとてもつらいことだが癒やしをもたらす痛みなのだそうです。だから博士は、男性の嘆きを手伝うのだと。
そういう過程の中で、女性は男性が単に謝罪するのではなく、心から嘆いていることを目の当たりにします。そこで博士は男性に「あの行為を彼女に対して行ったとき、あなたの内面では何が起きていたのでしょう?」と尋ね、男性が当時の気持ちを感情と二ーズの形で表現する手助けをしたあと、被害を受けた人がそれに共感するように手助けする。ここまでくると、今ここにいる2人は、最初に部屋に入ってきたときとはまるで別人のように変わっているんだそうです。
これを読んだとき、昨日見たドラマの中の登場人物の心の動き、変化が少し理解できたように思えました。
ごめんで済んだら警察いらんってやつです。
泣きながら土下座して謝っても、そんな簡単なことで済む話ではないのです。
争いや対立などの場面で、非暴力コミュニケーションで関係を修復しようとするとき、まずは被害者が自分の体験を表現できるようサポートすることが最優先。そして次に加害者が被害者の痛みを心底理解し、すぐ謝って楽になるのではなく、自分の心の奥深くに入り向き合い、自分の犯した行為を嘆く必要があるということです。それは加害者にとても辛く苦しい痛みを伴うものだけど、確実に癒やしをもたらすものでもあるということです。
あのドラマで描かれていたのはこれか、なるほどそういうことかと合点がいった。
人を恨んで復讐して憎い相手が苦しんでいるのを見てもそれだけでは救われない。自分の苦しみを相手にわかってもらえたと思えること、そして害をもたらした相手が自分の行為を心底嘆き悔いるのを目の当たりにすることで心がほどけていき関係性が変化していくのだと。
心は人の数だけあってみんな違うから、解決方法もケースバイケースでしょうが、マーシャル博士の本のタイトルのように、目の前にあるわかりあえないを越えてどちらが正しいかの先へ進みたいです。