宮沢トシ*死ぬを意識して生きる
人は死ぬんだよ。死ぬことを意識して生きてる?
えっと…そうでした。忘れてました(ーー;)
なんかいつもこんな感じですが、ちゃんと(ちゃんとなのか?)忘れた頃に思い出させてもらえるものに出会います。そして自問自答する。どう生きますか?と。
今回、思い出すきっかけをくれたのは、【こころの時代 宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる(4)あまねく「いのち」を見つめて】という番組です。再放送なので前に見たことのある番組です。
宮沢賢治の妹の宮沢トシさんのこと、共感、尊敬、憧れの気持ちをこめて綴りたいと思います。
まずは「大学生活に入る決心」というトシさんのレポートです。そこには「大学で学ぶべき大切なことは如何に生きるかを自ら問うことだ」と書かれています。生き方の方向性、どう生きるかを見つける所ということでしょうか。
トシさんは幼い頃から宮沢家が信仰してきた浄土真宗に加え、兄賢治が自らの支えとした法華経の教えに深く共鳴すると共に、ミッション系の日本女子大学に入学しキリスト教も学ぶ中、家族に讃美歌を紹介して共に歌ったりしたそうです。
元牧師でもあった日本女子大学の創始者であり校長の成瀬仁蔵氏は講義の中で学生たちに、あらゆる宗教の根はひとつであるとして倫理と実践の大切さを説いたそうです。(小さい頃から宗教の違いで静かなでも互いに正義を譲らない冷戦が家庭内にあったいわゆる宗教二世の私はその通りだぁと感動するのです。大学生のころあることがきっかけで心が解放されました。)
トシさんは宗教の枠を超えてその本質と広さを伝えていくことで恩師の教えを実践していたということです。
そのトシさんが母親に宛てた手紙です。
「私もあと一年になりましたので、ますます心をしめて勉強したいと思います。あたりの人たちを見るといろいろ自分で新しがったり、利己主義を構えたりさまざまで御座います。私は人の真似をせず、できるだけ大きい強い正しい者になりたいと思います。お父様や兄様のなさる事に何かお役に立てるように、そして生まれた甲斐の一番あるようにもとめて行きたいと存じて居ります。」
ところが、トシさんは当時不治の病である結核に侵されてしまいます。
賢治の下の妹、宮沢シゲさんが書き残した『姉の死』の中からこんなやり取りが紹介されていました。
「病気ばかりしてずい分苦しかったナ。人だなんてこんなに苦しいことばかりいっぱいでひどい所だ。今度は人になんか生まれないで、いいところに生まれてくれよナ。」
と言った父親に
としさんは少しほほえんで、
「生まれて来るったって、こったに自分のことばかりで苦しまないように生まれて来る」
と甘えたように言ったそうです。
亡くなったその日に賢治が詠んだ詩「永訣の朝」にも
(うまれてくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
と24歳のトシさんの言葉が書かれています。
肺を患っているということは息がかなり苦しいはずなのに、そんな中でも次は自分のことだけで苦しまないよう(誰かの役に立てるよう)に生まれて来るよ、こんな言葉が出るなんて、何というか、本物の信仰心、愛のある人だなといやもう菩薩さまだと感動するのです。利他の心。
そして、私も死ぬそのときまで、生まれた甲斐が一番あるように、つまり自分の手にあるものを誰かの役に立つように使いながら生きよう!と思うのです。
私よ、すぐに忘れないように。