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ゲーム感想文。『Nintendo Switch 2の発表(予告映像)』2025.1.16
・その1、なまえ
Switch2が発表された。いやぁまさか「2」というナンバリングでくるとは。ずっと任天堂ハードで遊んできた身としては、かなり印象的。これまでも、ファミコン→スーパーファミコン、Wii→WiiU、ゲームボーイ→ゲームボーイ アドバンス、DS→3DSなど、わかりやすく後継機を表現する名前はあったけど、シンプルなナンバリングではなかった。
これは、それぞれの名前に、それぞれコンセプトが込められていたからだと思う。ゲームのおもしろさは単なるスペックの上昇ではない、という考えがあるからこそ、ハード名を安易なナンバリングにすると、「ちょっと性能があがっただけね」と捉えられかねない。(逆にPlayStationは、そのナンバリングタイトルが効いていると思う。)
一方で、Wii→WiiU、ゲームボーイ→ゲームボーイ アドバンスなどの名前の付け方は、3世代目になったときの名前が難しくなる。例えば、WiiUの後継機をWiiXとかにしたとき、どれが新しい機種かわかりにくい。(そもそも、常に新しい遊びの提案と、ハードの更新サイクルを考えるのであれば、3世代も同じシリーズでいくという前提がなさそう。)
しかし、今回はSwitch「2」だ。単純に捉えるなら、「わかりやすい名前だなぁ」で終わるけれど、もしさっきの内容を踏まえるなら、これは「3へと続く可能性もあるよ」というニュアンスを含んでいる名前なのではないかと。
つまりそれは、任天堂がこれまで考えてきたハードコンセプトが、いったん「Switch」で完成したということであり、この土台の上に、まだ新しいものを乗せていけるという、可能性の提示でもある。
「ハード・ソフト一体型の遊び」という娯楽(市場)のひとつの完成形を、この「Switch 2」という名前が表してくれているなぁと思う。
そういえば、8年前にSwitchが発売され、「Nintendo Switch Online」のサービスが始まったとき、「スイッチって名前入れるんや」と思った覚えがある。「クラブニンテンドー」「マイニンテンドー」「ニンテンドーアカウント」を通ってきた身としては、「スイッチって名前を入れると、わかりやすいけど、次のハードに変わるときにリセットしないといけないからたいへんじゃない?ニンテンドー オンラインでいいのに」と。
もしかしたら、このときすでに、「Switch」というコンセプトの完成度が表れていたのかも。
その後2024年に、「Switchの後継機は、現在のSwitchのソフトも遊べる」「Switch Online加入者はそのまま利用できる」と案内があり、やっぱりコンセプトは継続するよね、と思っていたけど、まさか「2」という名前でくるとは。今回のお知らせとロゴを見た瞬間、「おおおぉぉ...!」と、今書いたようなことが、頭をめぐった。
・その2、かたち
今回の発表を見て、もうひとつびっくりしたのは、ゲーム本体の形、とくにコントローラがほぼ同じ形をしていたこと。
任天堂のハードの進化は、映像のキレイさなどのスペックではなく、ずっとコントローラを更新し続けてきたことにあると思う。個人的には、ゲームキューブのコントローラを触ったとき、「きっとこれが完成形だなぁ」と思ったのだけど、その後のWiiリモコン、WiiUのGamePad、Switchの Joy-Conという変遷を体験してきて、「まだ新しいコントローラがある」という探究心が、ゲームをおもしろくするんだなぁ、と毎回驚いていた。
けれど「Switch2」は、ほぼ同じ形。今回の紹介映像では、まだ機能は発表されていないし、映像を見て予想される新機能があるのだけれど、それを抜きにしても、ここまで似たコントローラを採用するのは初めてのこと。
これも、「Switch」というコンセプトの完成度を表していると思う。だって初代Switchから8年間、ずっと次の新しい遊びを模索して、ここに着地したということだろうから。(ぜひ、初代SwitchからSwitch 2に至るまでの間に提案、試作されたコントローラを、ニンテンドー ミュージアムに展示してほしい...!)
そういえば、「Nintendo Switch プレゼンテーション 2017」の中で、「スイッチにはこれまでの任天堂ハードのDNA(いいところ)がぜんぶ詰め込まれている」というような紹介がされていたと思うけど、Switch2のコントローラを見た瞬間、ある意味でそれが証明されたんだなぁと感じた。
一方で、パッと見てわかる新しさが少ない分、このあとどういう発表があるのか、期待と不安が混じったこの感じは、今だけ味わえる楽しみでもある。
「なまえも、かたちも、わかりやすく似たものにする(なった)」という提案は、ある意味で、これまでにない任天堂の新しい提案だと思う。シンプルだからこそ、勘違いされそうなリスクもあるけれど、これがどんなふうに展開していくのだろうかと、予想したり、その波に乗ったりするのが、任天堂好きの楽しみだ。
(なお、これは考察でもなんでもなく、ある任天堂好きが、新作発表の度にする、空想という遊びのひとつです。)
まーしー