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不妊治療専念する為に保育士を辞めた経緯

10回目移植の妊娠判定を、ついに明後日に控えた私です。
今回は私が不妊治療の為に保育士の仕事を辞める事になった経緯を書こうと思います。
初心を振り返りたくなったのと、最後の不妊治療を終えようとしてる今しか書けないからと考えたので。

2回目胚移植の時に職場であった事

私は3年前まで関東のとある保育園でパートで働きつつ、不妊治療クリニック(以下、Jクリニック)に通っていた。不妊治療の為に常勤職員からパートになり、結果が出ず2年が経っていた。
常勤職員を辞めた時のnoteはこちら。

パートになってから9回の人工授精後、結果が出なかった私は、ついに体外受精からの胚移植に挑むことになった。

1回目の胚移植後は普通に保育に入り、赤ちゃんの寝かしつけで身体を揺らしたり、こどもと一緒にかけっこをしていた。
妊娠判定の結果は陰性。
不安に思い、業務での激しい運動がいけなかったのではと考えた。

そこで園長に移植後、ゆらす行為や激しい運動が含まれる業務を控えたい事を相談した。すると「移植後は暫く休んだ方がいい。業務を控えてもこどもが身体にのったり、ぶつかってくるかも」と園長から提案された。
その時初めて園長から晴れて妊娠した後の流れをきかされた。
園長「人生のうち、1年位休んでその後戻ってくることもできると思う。パートだと産休がとれないので休むという形になるか、もしくは一旦籍を外してまた戻るでもいいし」
するとその話を聞いていた主任が「もしやめるなら早く言ってほしい」と突然横から言った。とても驚いた。私は辞める気はその時点では全くなかったからだ。
主任「籍をおいたまま休まれると市に人数を報告しないといけないし、今もぎりぎりでやってるので余裕がない。求人をかけないといけないのでやめるなら早く言って下さい」
それは妊娠したらやめるしかないということなのか。咄嗟に本音が出た上司の態度に驚きを隠せなかった。
結局、胚移植当日の午前中まで働き、11月いっぱいは休むことになった。

11月6日移植日当日、その日は午前中まで働き、11月は休むことを同僚に伝えてからJクリニックへ。15時に胚移植をした。

10日後の妊娠判定。クリニックで血液検査後、hcg>0.5と書かれた紙を渡される。仕事を休んで挑んだ移植は、まさかの陰性だった。

妊活に専念することを提案される

呆然としつつ職場に電話報告。先に主任に報告、次に園長。園長からは「うん、主任からきいてる」とねぎらいの言葉が全く無く、驚いた。
既に私不在で12月までシフトを組み、12月は全部休みになった事、復帰するなら1月からと伝えられる。
私「今回少し大袈裟に言ってしまいましたが、医者からも移植後は動いて支障ないと言われました」
園長「こどもは予想のつなかい動き方をするし、気を使ってあげることができないんですよ。そして来年度をどうするかだよね。もうそういう時期です。妊活に専念することは考えてないのですか
妊活に専念=退職をすすめられているとその時分かり、ショックを受けた。
私「今はダメになったばかりでショックが大きく、これから妊活を続けるかどうかも考え中です」
園長「見える化をした方がいいですよ。ここまでは頑張っていくとか、旦那さんとも話した方がいい」

どこまで不妊治療をやるか考える

夫とその後、園長から言われた事を話し、相談した。
・40歳までは妊活(不妊治療あり)を頑張る。
・今ある凍結卵は、全部移植する。結果次第で次を考える。
・保育士は一旦辞め、在宅や単発など予定があけやすい仕事で働く(基本は専業主婦)

その園では6年働いていて、人間関係も良く、仕事業務は大好きだった。
それだけに寂しく、12月中は退職に向けて心の整理に充てた。
(仕事に関してはこの頃ポスティングの会社に登録し、これは今も細々と続けている)

退職を決意~上司の不妊治療に対する考え

1月。園に復帰して園長と面談。契約社員なので3月で契約終了(退職)にすること、夫と不妊治療をどこまでやるか話した事も伝えた。
すると園長は、以前私も一緒に働いた事がある同僚が、妊活に専念するために退職、晴れて先日、妊娠・出産を果たした事を話した。
園長「まりんごさんはできるような気がする。すごい『希望がある人』と言えばあれだけど、そう見えたので。ちょっと今もったいないなと思って。そっちに専念した方がいいかなと思ったの。『親心』というか自分の娘のような感じで」
12月話した時にねぎらいの言葉が全く無かった反面、意外にも園長が親身になり考えていた事に驚いた。
私「移植時に『この後どうしよう』『この後仕事どうなるのかな』という気持ちがあったので、一旦区切りにするのがいいのかなと思いました。12月に考える時間を頂いてよかったです」
園長「決断しないと結果でないからさ・・・やりましょう。やろう。やってほしい。望みがある所までやって。やらないと50~60になって後悔するし、できないとしてもそこまでやったら区切りつくから」

いつか仕事に復帰したい事を話すと「復帰はして欲しい。落ち着いてきてくれてもまだ50。働ける。そういうのはできる。戻ってきたらいい」と心強く言ってくれた。

園長と話した後、私は3月までは働いた。
この年の卒園児が私が2歳の時からみてきたこども達で、そういういう意味でも区切りだと思った。
3月に、卒園生達に「みんなと一緒に卒園するんだ」と話した。
卒園式などでお世話になった保護者にも挨拶をした。

まとめ

こうして私は6年間勤務した保育園を退職、不妊治療に専念することになる。今思うともっと早く書けばよかった気もするが、タイミング的に今になった。沢山時間はあったはずなのに「これまでの記録」も1年以上更新せず。落ち着いて思い出す時間があってよかった。

まだ今日の時点では結果は出てないが、治療に専念することができてよかった、ここまでやれてよかったと、そう考えている。

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まりんご
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