松山演劇界の地図を描くvol.1ー観劇記:劇団UZ『浅瀬の牛を撫でる』ー


1.作品について

【みた日】
2024/8/4(日)16:00~

【みたもの】
劇団UZ『浅瀬の牛を撫でる』

【みたばしょ】
シアターねこ(愛媛県松山市緑町1ー2ー1)

【あらすじ】
 最近、同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することとなったが、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深淵を囲んでいた――。
(公演チラシより引用)


2.雑感

福田和子と私

 私は、過去の重大事件のウィキペディアをよなよなみるのがけっこう好きだったりします。「日航機123便墜落事故では、急減圧がほんとにあったのかなぁ」とか、「ケネディ大統領って、映像では前から撃たれたようにも見えるけどどうなんだろう」とか。なので、このお芝居がいわゆる「福田和子事件」をモチーフにしていることは、始まってすぐに分かりました。劇中に登場するスナックの名前、「和ちゃん」がそれをストレートに表しているし、松川が造船会社に勤めていることや時折挿入される海の描写は、福田和子がかつて暮らしていた今治や来島をイメージさせます。
 ちなみに、お笑い芸人の友近がやる「福田和子の声帯模写」は、めちゃくちゃおもしろいし秀逸なので、一度は観ておくことをオススメします!(何の話?)


文脈ということ


 そういうわけで、「お芝居を通して福田和子の生涯を追体験できるという仕掛けなんだな。なるほど、なるほど」などと感心して観ていたのですが、私が追体験したのはむしろ、「尼崎事件」だった気がしています。20年以上に渡り、疑似家族を築きながら殺人や死体遺棄を繰り返し、福田和子と同じように獄中死した女の人生。他人同士を争わせ、嘘と虚構で塗り固められたその生涯。その向こう側から、小さく、しかしはっきりと聞こえてくる一人の人間のかなしみ(ここでいう「かなしみ」には、古語の「かなし」(=愛しい)の意味が含まれているように思います)。そのかなしみは、一見すると別世界にいるように思われる佐智子(弁護士)やハト(佐智子の同棲相手)、さらには私も背負っているものであるーー。相当な修練を積んだと感じさせる俳優たちによって、確かに表現されたそれらは、観客の文脈と交錯して、観客ごとに新しい物語を生み出す・・・。
と、かっこつけて書いてはみたものの、単に自分の解釈がズレているだけかもしれません(白目)。


演劇の鑑賞のしかた


 ところで、「解釈」といえば、自分の演劇の鑑賞の仕方が、最近変わってきたなぁと感じます(個人的な話ですみません)。少し前までは、「演劇の面白さは、単に快楽的なものではない。内容をしっかり解釈して、(時に苦しみながら)観なきゃ」と思っていました。そうでなければ、単に面白いもの、気持ちがよいものばかりが残ってしまって、“美的な”お芝居は廃れてしまう、と思っていたからです。「一見すると難しいこと、自分の理解が及ばないことにこそ、その価値を見出さなくてどうする!」との(夜型の私が突如朝活を始めるくらいの)重大な決意をもって、お芝居の背景や演出、セリフの意図や俳優の人生に至るまで考えを巡らせていました。

 そういう考えが間違っていたとは思いませんが、だんだんと観ることが窮屈になってきました。「自分は何が観たいんだろうなぁ」と少し思い悩む日々もありました。「観劇料と自分の満足感が釣り合わないなぁ」と思うことが増えてきました。私は「観劇スランプ」とでもいうべきものに陥りました(ちなみに、重大な決意をもって始めた朝活は、一日と半分で終わりを告げました)。

 スランプ脱出のきっかけは、昨年から今年にかけて観たいくつかのお芝居でした。昨年観た、劇団UZ『太陽(アポロン)のことは知らない』は、そのうちの一つです。観た人にしか分からない話になりますが、キムと小豆の会話からの暗転、煌々と浮かび上がる「新鷺梁津(シンノリャンジン)事件」の文字、不気味なリズムにのせて始まる被害者たちの証言。何ともいえない胸の高鳴りを感じ、その全てが、「考えるな、感じろ」と私に教えてくれました。何が正しいのかは今でも分かりませんが、「なんかよく分からなかったけど、おもしろい」という気持ちを最近は大切にするようになりました。


表現について


 そういう意味では、プリミティブな感情の表現が、演劇では一番難しいと感じます(あんた誰?って話ですが)。怒りとか愛とか欲望とか、そこの表現がうまくないと「言いたいことはよく分かるんだけど、なんかさめちゃうんだよね~」となってしまう。逆にそこが上手だと、俳優の“からだ”をものすごく近くに感じることがある。だから、「演劇って、“からだ” の劇なんだ」ということを最近思うのです(だから、あんた誰よ?)。



3.劇団UZが好きだという話

 少し(もしかするとだいぶ?)話がそれてしまったので結論を。自分はやっぱり、劇団UZのお芝居が好きだということ。再帰的でラディカルで、一歩踏み外したら間違えてしまうギリギリのラインをいつも歩いている(そして、ときどき踏み外しているかもしれない)ところが。そういう意味では、今回のお芝居は少し真面目だった気もしますが、何はともあれ、私はもうこの“渦”から抜け出せないんだろうと思います。


人間がこんない哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです



4.余談

 自分は、『泥の間』(2020年にシアターねこにて上演)の予告動画がめちゃくちゃ好きなので、これからの公演ごとに予告動画がでますようにと、ペルセウス座流星群に祈りました。


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