ボイトレはなぜここまでややこしいのか、5つの理由と段階
はじめに
わたくし、ボイトレ評論家・ケープラとしての活動が10年目に入り、2025年で10周年を迎えます。それもあって「発声リテラシーの強化」という原点回帰の記事です。既存記事やツイートの総集編で目新しい情報はないですが、一般人向けボイトレまとめの決定版です。この記事に到達した人にあまりボイトレの素人・初心者はいないかもしれませんが、この記事を「使う側」の人たちにも役立てば幸いです。
前置きはこのくらいにして、タイトルの通り、5つの理由を以下に挙げていきます。
1.楽器が個人と一体化していて、見ることも触ることもできない
厳密には病院に行けば声帯は内視鏡で見ることはできますが、基本的に見ることも触ることもできない(身体全体が楽器とも言えるので、そこは見て触れますが)。
そして楽器と奏者が分離されていないので、『君の名は。』のようなフィクションの「入れ替わりもの」状態にでもならない限り、あなたの喉を、誰かに使ってもらうことはできない。現実的には不可能です。
さらに声は楽器と演奏技術も一体化しているため、よりわかりにくいのです。演奏技術がないだけで楽器は出来上がっていた人ならどんなボイトレでも(あるいはカラオケで歌っているだけで)すぐに上手くなりますが、そういう人は稀です。
究極的には、自分の声は自分にしかわかりません。喉を痛めないため自分の感覚、負荷具合を大切にしてください。
2.楽器のスペック、そして感覚に個体差がありすぎる
楽器なら数百万円のいいものから激安の1万円までピンキリです。激安楽器でも、最低限の演奏はできます。人の喉の場合、それ以上の格差がひどい。
歌えない人は楽器が壊れているレベル、いわば数百円のジャンク品、ポンコツなわけです(鍵盤がないとか、あってもめちゃくちゃ硬いとか)。ただし、修理は可能でそれがボイストレーニングとなるわけです。
声に意見することは人格否定ではないのですが、これも社会通念上いきなり厳しく言いづらい。さらに、ボイストレーナーはお金をもらう立場、なおさらそんな言い方はできないのです。
そして個体差がありすぎる、スタートラインも違いすぎるため教える側も、相手のことがわからなかったりします。よく運動音痴に運動ができる人はうまく教えられないと言いますが、それと同じ構造です。「見て真似をする」こともできません。
さらに感覚も人によるので、説明したり教えることもたいへん難しい。特に異性を教えられるトレーナーは優秀な人だけです。
3.他分野にくらべ、発声研究は圧倒的に遅れている
この世のあらゆる学問や、サブカルなど含めた専門分野というのは、評論家も多いしアマチュアでも詳しい人がいっぱいいます。それにくらべて発声の世界というのは、はっきり言ってレベルが低過ぎます。ボイトレの概念が一般的に認知されておらず、音大を頂点として学校教育を見ても発声教育が欠如しています。
発声の世界が混沌としているのは、医学的・科学的な研究が遅れているからです。むろん声に限らず脳や人体について、まだまだわかっていないことは多いです。
が、声がないがしろにされているのは理由があります。発声が悪くても別に死にはしないし、健康に影響はないからです。医学的な「発声障害」に分類されるのはよっぽど重症の場合だけです。
つまり、人類全体の歴史的視点に立つと「やる気がない」のです。難病であってもそれがごく少数の場合、無視される傾向にあります。また大勢がかかる病気でも花粉症のような命には関わらない病気も、無視されます。アレルギー系は全般、無視がひどいと言えるかも。
もし人が「発声が悪いままだと40代で死ぬ」体だったら、もっと研究は進んでいたことでしょう。
筋トレやスポーツ指導の世界や、医学・健康情報などは一昔前の常識がどんどん覆って進化しています。発声という分野は、歴史的には「まるで成長していない…」のです。
一部、科学的に、真面目に発声研究をしているボイストレーナーもいます。ただそれはまだ始まったばかり、いわば西洋医学などの研究が始まった江戸時代のようなもので、黎明期と言えましょう。
ボイトレは迷信(感覚論)と科学のはざまでさまよっている、というのがマクロな視点での立ち位置です。「科学的」「最先端」を謳うボイトレは多いですが、そこにも警戒は必要です。そもそも科学で「最先端」って実験中の新薬のようなもので、リスクが高いのです。何年かしたら「実は間違っていた」ということがありえます。
変にアカデミック風を装ったり、まやかしの権威を創造するところは私は一切信用してません。結局はその人がどのようなビジネス・情報発信をしているか、時には「わかりません」と言える誠実・謙虚な人柄かどうかが重要です。
4.日本語が歌(西洋音楽的な)に向いていない
日本語が「喉締め」(と、一口で言っても実際は色々ありますがあえて単純化してそう呼びます)の言語(私はそれが悪いという立場ではないです)というのは有識者には常識ですが、まずこのことが知れ渡っていません。滑舌だけをよくしようと思ったら、むしろ「喉締め」じゃないといけないくらいです(アナウンサーの緊張した声をイメージしてください)。欧米寄りのカタコト風の発声をすると、不自然だしプロの世界だと滑舌が悪いと言われてしまいます。
「歌の上手い人ほど話声と歌声は別」、というのはイメージがつくと思いますが、日本人は特にそうです。
なので、さらにハードルが上がる。さらに悪いことに欧米のボイトレメソッド(ボイトレにはいろんな流派があり、組織や個人によって意見が違う)は当然日本語のことなど考えていないので、日本人にとっては欠陥品となるのです。基本的に、日本語で歌いたいなら日本人が研究するしかないのです。
ちなみに近年の楽曲に歌詞カードを見ないと何を言っているか聞き取りづらい楽曲が増えたのは、単に歌詞の詰め込みすぎもありますが、高音化など楽曲が難しくなり、発声重視の(滑舌は犠牲にする)歌い方が増えたためです。
5.喉や身体の管轄は広域に渡り、相談先がわかりづらい
これについては以下の発声5段階説の表で説明します(以前作ったものの改訂・増補版です)。表が大きくなったので原寸大でお読みください。
もちろん楽器でも手や指を痛めたら管轄は医療になるのですが、そこは誰でも明確に違いがわかります。ところが発声は管轄・領域で分かれており、かつ実際にはグレーな部分もあるのです。
プロ歌手になるような人の多くはボイトレなどしたことがありませんが、それは持って生まれた喉・身体の状態がよく、また「幼少期からの生活習慣がボイトレになっていた」人が多いです。才能・素質列でそれを表現してみました。
まとめると、1.2.のためまず習い事として致命的に難しいということ。にもかかわらず歴史的に3.のため教える側のレベルが一般的に低いという二重のハードモードになっているのです。
さらに日本人には4.がトッピングされ、1.2.のために5.という習う側の台所事情もある。まさに地獄のような構造です。
というわけでボイトレの構造的な厄介さ、ややこしさがわかったことでしょう。ではどうすればいいのか、という実践編は長くなるので今回の管轄ではありません。興味があれば既存記事をどうぞ。以下は今回の記事に収まらなかった小ネタと、代表的な既存記事です。
補足と余談
この記事の目的は、ボイトレ所学者を絶望させることではありません。最初に知っておくべき情報をまとめました。なぜなら、ボイトレは誤解されているところがあるからです。
テレビでたまに取り上げられたりするボイトレ、あるいはネットでの発信を読んでいると、「ちょっと練習すれば俺でもいけそう」と勘違いしてしまいやすいのです。あれはボイトレのごく一部、上澄みです。あるいはボイトレですらない、発声5段階説の表での⑤の歌唱指導=ボーカルトレーニングです。多くの人は年単位で時間がかかるものだということを訴えたいです。なので、そういう勘違いからちょっと練習して効果がないと絶望するより、最初にこの知識を得ておくべきなのです。