フェルネットブランカのソーダ割り
田辺聖子さんの小説を読んでから、おじサマという生き物が格好良く思えてしょうがない。ことに関西弁を話す人の品の良さったらない。多くを語り過ぎず、口少な、というわけでもない。なんも知りません、というような顔をして、蓄えた知識と自分の哲学をちょいちょいと交えながら、無知な子どものような私の話を軽快にあしらう術を知っている。けれど決して、私を不快にするでもない。むしろ居心地の良さを、与えてくれるのである。やはり少し先を生きている人は違うわあ、と思ったりしていた。
となりに居たそんな気品あるおじサマは、フェルネットブランカのソーダ割りを注文した。ずらっと並んだウィスキーの後ろに、微かに緑色のラベルが見えるかしら?、程度の存在感のフェルネットブランカ。(まあ、なんと謙虚で、奥ゆかしいお酒でしょー。)でもおじサマはすぐに気が付く。彼はきっと女が髪型を変えたり、リップの色を変えたりすることにもすぐに気付くだろうし、なんなら、、、などと妄想を膨らませながら彼を見ると、その飲みっぷりが如何にも美味しそうだった。綺麗な琥珀色とソーダの泡、包丁でザクッと切られて角ばった、男らしい氷が、そして勢いよく飲むその姿が、ああなんて美味しそうなんだ、と。
味の想像は出来ていなかったけど、きっと美味しいに決まっている。おじサマと話しながらもずっと気になる、あの綺麗な飲み物。彼はこれとウイスキー2杯ほど飲んで、サクッと店を出た。まだ店に残っていた私は、どうしても気になって、おじサマと同じものを頼んでみた。さっきと同じ、綺麗な琥珀色の、フェルネットブランカ。まるで喉が乾いていたみたいに一口目から豪快に飲んでみたけど、こんな味は初めてだった。爽快な気分でもあって、それでもって、私にはまだ分からないといったような、これが美味しいのかどうか、それを確かめるために何度も口に運び、そうこうしてると、あっという間に飲んでしまった。多分、これが、美味しいってものなんだ!おじサマと同じ酒を飲んで、私は10年ほどスキップしたカンジ。
それから私のお気に入りとなった、このフェルネットブランカソーダ割りは、以前好んで飲んでいたカシスソーダよりも随分、大人になった気がする。でも、美味しいと思っているのか自分でも分からなくて、それがわかるようになりたくて頼んでいる。今度また、あのおじサマと隣で飲むことがあったら、同じタイミングで注文しようと思う。いや、彼より先に注文しようと思う。