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あの言葉を見るたび駆け巡る思考、全く、私というヤツは
苦役列車読み終えた。面白かった。創作って最も自由になれる手段の一つだ。そういうこと私も考えるな〜と思うことはあれど、それをわざわざ細かく書いたりしていないことに気が付いた。見習おう。風景やしぐさの細かな描写にこそ、その一瞬の思考回路や行動に人が見えてくる。本当にそういうところが面白い。この小説を思い出す時、どこかの一節を思い出すよりも先に、風景や小説の流れが均等に心に広がっていく感覚がある。
苦役列車に「うざったい」という言葉を見つけ、高校生の頃、文章中に使用した際、教室で先生にダメな例として挙げられたことを思い出した。それにクスクス笑う人もあった。私はすごく恥ずかしいような気がしたけれど、やはりそれ以外の言葉は思いつかなかった。「『鬱陶しい』、と書きなさい。『うざい』というのは若者言葉で普通使わない」と言われた気がする。芥川賞作家は堂々と使っているじゃないか!などと、今になってもフレッシュな怒りを持っている。そういうところが私のよくないところなのだな、とも思うけれど、それでこそ私の持ち味とも言えよう。
そもそもなんの味気もなければ、例としても取り上げられないような気もする。先生は「ここさえ良ければ、全くこの子は、」ともしかしたら、常に思っていたのかもしれない。良くも悪くも気にかかる生徒であったかもしれない。あーあ、クスクス笑う人の文章、読んでやりゃあよかったよ、こんちくしょう。
学生時代、私より悪いやつはゴマンといたし、私より優秀な人もゴマンといたし、なんで私に目をつける?と思うことが毎日あった。正直、「うざい」でも「鬱陶しい」でも、どちらでも良い気がする。イチャモンに近いだろうよ。いまにして思えば、私はとても個性的だった、ということでしょう。そうしましょう。
10年以上経過してもそれを根に持つ、というのが自分自身少し怖くもある。もしかしたら、ほかの人は次の日になれば忘れてしまう事柄かもしない。きっと私以外誰も覚えていないだろう。だからこそ、そこにオリジナリティが生まれてくるかもな。そして他人が気にならないところが気になる。そこもまた強みなのでは。
そういえば、このnoteも何度かオススメに載せていただいたことがあり、それまでとは比較にならないぐらい多くの人に読んでいただけて、いまも毎日読んでいただいていて。一瞬でもそうやって陽の目を見ることがあり、私はそういうやつなのかもなあ、などと自惚れている。
自己肯定と自己嫌悪といつもせめぎ合ってる。
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