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私に必要な美しいもの

私は美術館へ行くと、感覚的に好きなものをまず選んで、次に、買うとしたらどれが良いか選ぶ。そうすると、鮮明なものよりも、ちょっとよく分からない、曖昧なイメージのものが欲しいと思う。

写真だと、かなり美しいプリントや鮮明な描写に見惚れ、そして唸り、うんとても良い!と一目惚れする。しかし、ちょっと待てよ、もしこれを私が買ったとして、私の部屋と合うかしら?強すぎるのでは?と考えあぐねる。

私は本当にめざとくて、洞察力も素晴らしいので、たまにこの世の全てが見えすぎて困る。視力は0.3未満のど近眼だけど。それなのに、部屋にまで写実的なものを飾る必要があるかしら?いつもそこに辿り着き、ふわふわした、感覚的な、何かよくわからない美しいものに最後は魅了される。

それらを踏まえて、どこにもピントを合わせない手法を最近たまに使う。

空の青と緑と、まるで人の血管のような枝が良かったので撮影をした。

これをぼかしてみる。そうすると、眠りにつく寸前の、あるいは、コンタクトレンズを外した私の眼前の景色、もしくは夢の中でみたような忘れかけたイメージとなって浮かび上がる。

一歩外へ出ると、私たちはたちまち緊張して、外の顔となる。だから、もし私が部屋の中に一つ何かを飾るなら、曖昧なイメージのもの、はっきり見えない美しい何か、よくわからないけれど綺麗で優しいものが良いと思っている。

外にいる私ではなく、内にいるおとなしい私に寄り添ってくれるものが、私には必要だと思うから。

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