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「さいっこうの人生にします」

一応新年のご挨拶を。
みなさんあけましておめでとうございます。


お正月があっけなく終わり、Arxcsの稼働再開も目前となった1月5日。
zoomに課金をしようとしている中、今年最初の記事を書こうと思う。


中身を何にしようかと考えた結果、「メンター」についての記事にすることにした。


記事のタイトルに聞き覚え、見覚えがある人はいるだろうがそういう事だ。
俺のメンターはこの人。


君にメンターはいるか。
恩師、師匠と位置付けられる人が。


この記事は、相手への感謝も込めてつづる。
それと少し自己満な記事になるかもしれないが読んでくれると喜びます。



それでは、始まり始まり。



ってか、まず誰やねん


多分、今日一番出てくるであろう「メンター」という言葉。
そもそも、どんな意味なのか。どんな人を指すのか。

そこを最初に書いておこう。

「メンター」とは、

直訳すると「良き指導者」や「相談者」、「恩師」などの意味を持つ言葉

メンターの意味とは?役割やメリット、注意点と事例を解説

調べるとこんな風に出てくる。

こんな人が今の君には果たしているだろうか。





俺なりの解釈



君なりの解釈があるとするならばなんて答えるか。
少し考えてみてほしい。


さっき載せたものが世間一般的な意味であり、解釈なのだろう。

だが俺の中で「メンター」とは、

「立ち返る場所」

であり、

「目指す場所」

なのだ。


俺自身が何か行き詰った時。
壁に激突した時。
どうせればいいかわからなくなった時。


こんな時に、
あの人ならどうするだろうか。
あの人ならどんなことを考えるだろうか。
あの人ならどんな言葉を口にするだろうか。

そんなことを考える場所。


妥協したくなる時。
力を抜きたくなる時。
今日はいいか。なんてさぼりたくなる時。


こんな時に、
あの人は今こんなことをしているだろう。
あの人がやっているときに休むなんてナンセンスだ。
あの人に負けたくない。

そんなことを思える場所。


俺にとってメンターはこんな感じ。


君の中でのメンターという言葉の定義は言語化できそうだろうか。





俺のメンター


上に書いた解釈の下、俺の中にはメンターとなる人がいる。

名前を出すわけではないが、たぶんバレる。
ご本人様もその時はお許しください。(笑)


ここからメンターのことは‟彼”と表現しよう。





出会い


俺が出会ったのは2023年。
Arxcsとしてクラウドファンディングに取り掛かっているときだ。

俺は数値管理の役割をもらい活動していた。

目標である300万を終了間際に達成し、
喜びを分かち合い素晴らしい瞬間を目の当たりにしていた。

その時に一人の男が目に入った。

元々、彼の存在は知っていたが話したことはなく、面識もなかった。
でも気になってはいたため、一度話したいとは思っていた。


あとでわかったことだが、彼自身は定久から俺のことを聞いていたらしい。


で、クラウドファンディングが終わった時にすぐさま連絡。
その1,2週間後にzoomをした。


はじめて話した時の感想。

「この人おもろ」

考え方、マインド、実行力。

自分と比較したときに、自分の小ささ、無力さが突き付けられた。

だがそれと同時に俺の中で、
「この人についていく」

そんな言葉が飛び出た。





ニコイチ


こんな書き方をするとすげー厚かましい気もするが、
おおめに見てほしい。笑笑


関係構築をしてからというもの、何をするにしても一緒にいさせてもらった。

7:30~の朝活
OJT活動
TikTok
法人

その他もろもろ。


これは俺の認識でしかないから何とも言えないが、
2024年に彼と関わった人の中で、1,2を争うぐらい長い時間を過ごした気がする。
(本人さんどうですか?笑笑)


それぐらい何本もzoomしたし、電話したし、一緒に行動した。


正直、2024年を語るにあたって彼のことを外すことはできない。
ほんとに感謝しかないし、今も頭が上がらない。




俺にとっての‟彼”



ここは、手紙のようにただ感謝を伝えるセクションにしようと思う。

面白くないだろうから、興味がなければ飛ばして次のセクションから読んでもらえると。




こんな形で残すことが良いことなのかはわからないが、書かせてほしい。
いつかのLINEとも被るだろうがそこは許してください。



俺にとって、あなたは拠り所であり、負けたくない一番のライバルだった。
それは出会った時からずっと。

おかげさまで多くの場面で助けられ、多くの場面で勇気をもらった。
本当にありがとう。

それから、ほんとに出会ってくれたことに感謝しかない。
そもそもの出会いがなければ俺はこんな人間にはなっていないだろう。


どれだけタスクが溜まっていても、
どれだけ気持ちが参っていても、

何者でもないモブキャラみたいな俺に時間を割いてくれた。
どんなことをぶつけても、全力で返してくれた。

どこのどんな時間を切り取っても、あなたが俺に対して手を抜いた日はなかっただろう。

自分に時間を割くよりほかに、もっとあなた自身が次のステージに行くために作るべき時間はあったはず。

もっと違う景色を見ることもできたかもしれない。


そんな中でも時間を使ってくれたこと、自分と関わってくれたことには感謝でいっぱいだ。

本当にありがとう。


‟俺なりの解釈”にも書いたが、

あなたは俺の中で、
「立ち返る場所」でもあり、「目指す場所」でもあった。


どれだけ苦しくても、
どんだけ壁か高くても、
時に折れそうでも、


この原点があるから成長を繰り返していくことができた。


2024年、一緒に作業・仕事ができた時間は幸せでしかなかった。
ほんとにありがとう。


この2025年、どんな形で、どれだけ関わることができるかはわからないが、次会うときには、さらなる成長を遂げて、また違った俺になる。

だから楽しみにしていてほしい。



本当にありがとうございました。





いる?いらない?


全セッションではお付き合いありがとうございました。

ここからは少し軌道修正して進めていこう。


君はメンターという存在が必要か?不必要か?
どう思うだろうか。


俺は必要と考えている派の人間だ。

何度も書いてきたが、

時に拠り所となり、
時に目標となる。

教科書のような学びを与えてくれる事もあれば、
師として火をつけてくれることもある。


自分自身だけで折れることもなく、強く、世の中を渡り歩ければいいのだが、案外簡単そうはいかない。

上手くいかないことの方が多いし、しんどさが先行していくことの方が多い。

そんなときにメンターが灯台となる。

自分が進むべき道を照らしてくれる。
自分がどうあるべきかを見つめなおさせてくれる。


そんな存在がいるのといないのでは全然違うと思う。

別にその人に染まれということでも、その人と同じようにしなければいけないということでもない。


何人メンターがいてもいいわけだし。


道しるべ、表札のようなものだ。
いるという事実が大事なのではないかと思う。




最後に


ここまで読んでどう思っただろうか。

メンターという存在を置くか否か。
俺の記事から何を受け取り、何を感じれたかはわからないが、ちょっとでも重要性、偉大さが伝わってくれたらと思う。


内容・順番・書き方がめちゃくちゃで読みにくかったり、つまらなかったりするかもしれないがここまで読んでいただいた方には感謝申し上げます。


これからもnote執筆は継続します。
年末に書いた目標の記事にも乗っ取り活動していきます。

まだまだ未熟ですが、1人でも俺のことを追いかけてくれる人が出てくるよう頑張ろうと思います。



これからもよろしくお願いします。



読んでいただいてありがとうございました。

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