自責
「人間は自分を正当化させようとする生き物だ」
最近読んだ「人を動かす」という本の中にこんな言葉が出てきた。人間は自分の誤りを認めようとせず、無理を通して屁理屈をこじつけてでも自分を正当化しようとする。
確かに、その通りだと思う。何か上手くいかないことがあっても、それを自分のせいだと認めず、他人に責任を転嫁させたくなることは、人間誰しもにあてはまることだと思う。あなたにも、思い当たる節があるのではないだろうか。
僕も、他責ばかりで生きてきた。
小学校から中学校に上がる時、「今のサッカーチームでは全国大会に出れない。もっと強いチームに行こう。」と思って別のチームに入った。
高校の時、「今のサッカー部の雰囲気は良くないし、多分勝てないから受験勉強に切り替えよう」と思ってサッカー部を夏に引退した。
この他にも、数えればきりがないが、たくさんの他責をしてきた。
勿論環境は大事だし、合理的と言えば合理的な判断だったと思う。だけど、「勝てないのは僕が下手だからだ。僕が上手くなればチームは勝てる。僕が頑張ればチームの雰囲気は良くなる。」とまで自責に落とし込むことはできなかった。
そうこうしているうちに、できない理由を見つけるのが上手くなっていた。
僕ができないのは、周りの環境が悪いからだよね。仕方がないことだよね。
つい最近でも、「自分が率いているプロジェクトで上手くいかないのはなぜだろう。やっぱりメンバーのモチベーションが高くないからかなあ。日本人は英語が苦手な人が多いからなあ。」と、できない理由ばかりを探していた。
なぜこんなにも他責してしまうのか。それは、自分を守るためだと思う。
色んなことを試して、失敗して、努力して、それでもダメだった時はほんとにしんどい。プライドも傷つけられるし、その場から逃げ出したくなる。そんな時に自分を正当化することで自分を守り、落ち着かせているのだと思う。
だけど、他責ばかりじゃ何も変わらない。自分では自分の体しか動かすことができないから。できない理由を探すのではなく、どうすればできるかを考える。聞きなれたフレーズだけど、最近になって漸く自分の中に落ちてきた。
自分の部屋が汚いのは自分の責任だろうか。一緒に住む家族が家事が忙しくて困っているのは自分の責任だろうか。友達が悩み事で苦しんでいるのは自分の責任だろうか。日本が財政赤字で困っているのは自分の責任だろうか。世界で貧困に苦しむ人がいるのは自分の責任だろうか。
正直、途中からは自分ごとだと思えないのが今の僕だけど、究極的にはこれも全部自責できるようになりたいと思う。
全てのことを自責する。そして、他人が他責をしていたら、その人は今苦しいんだろうなと思いやる。そんな人になろうと思った。
こんなことを考えていると、アイセックはとても自分と向き合わないといけない組織だなと思った。アイセックメンバーは自責のことを当事者意識と言って使っているような気がするけど、地球の裏側の人のことまで考えて自責に落とし込むことはとてもしんどく、難しいことだと思う。僕がアイセックから学ぶべきことはまだまだたくさんあるなと思います。
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