哀惜

今年は色々な事が現在進行形で進んでおり、日々Twitterでもよく目にする「誹謗中傷」大半は流れにのって叩きたいだけ叩くのが多い。

別に言論の自由だから何を言っても良いさ。
人には様々な考え方があるし。
例え相手が公人であろうとも。

ただ文章をしっかり読んで理解せず、見出しや僅か2〜3行程度読んだくらいで「アイツはこんな事言ってる許せない!」と反応する。

内容をよく読んで「これはこう言う事を言いたいんだな」とか「これならこういう考え方も出来るんじゃないか?」「私はこう感じた」などという落ち着いた物言いなら幾らでも良いし非常に建設的だ。

そう上手くいかないのがあって、人の好き嫌いが加わると言論も例え正論であろうと全てNGになる。

「良い子ぶりやがって」「○○のくせに調子に乗っている!」とかね。

記事を読んでいる側の「虫の居所がどうこう」という話ではない。悪い話はどんどん広がり、良い話は逆に広がりにくいのは昔からよくあること。

「他人を認める」という事が苦手というより嫌なのだろう。あの人頑張ってるな...私も頑張ろう!と奮起出来るのが一番なのだが、十人十色という言葉通り「考え・好み・性質などが、人によってそれぞれに異なること」がある以上、一般常識に準えて発する事が難しい世の中になってきているのかもしれない。

かと言って、自分が気に食わないからと「一つダメなら全てがダメだ」というのは間違っているし、考え方や行動を認めないというのは違うのだ。

相対的に「自分がやられたらどう感じどう思うのか」というのが欠如している。腹だたしい事を他人へぶつけるのは良いが、自分にぶつけるのは許さない。

何故そう考えるに至ったか。丁寧な意見の交わし合いを繰り返せば平和的に収まるはず(及第点を見つけられる)なのだが、自分の物差しで考え発言をする人が悪目立ちし、一般的な観点から正当且つ真っ当な意見を持つ人が逆に目立たなくなっているのも確か。

発言や意見の強弱ではなく、相手を慮る事が必要不可欠だと思うが如何だろうか。

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絢音
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