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幸せの定義
そもそも幸せとは何なのか。人やその時の状況下において「幸せ」の形はどんどん変わっていく。お金を沢山持っていること、満足いく食事、好きなものを手に入れる、自由な時間を過ごす、行きたかった場所へ行く...。
中には他の人から見たらそれは幸せとは言えないんじゃないかと思う事が、当人にとって幸せだったということもある。自分の幸せは相手にとって不幸せということだってある。それが人生というものでもあるのだろう。
一般常識や社会通念上のルールは別として、人は自分の価値観や考え方に合わないものは理解し難いもの。だからといって自らのモノを相手に押し付ける事は間違いだし、無用な争いが生まれていく。
お互いの考えや主義主張を100%一致させる事は不可能だが、1%でも近付けることは可能だとは思う。ただそれは、互いを尊敬し認め、理解を深めなければ成立はしない。
相手を貶し見下した上で更にマウントを取るような人物では到底話にならない。1%でも多く優位に立ち自らのストレスの捌け口に利用したいのだろう。ただそういう人達は、我慢をするという耐性を持ち合わなさないタイプが多く、力で解決しようとする。地位や名誉を提供するが、その分姑息な手を使い美味しい思いをしようとするのは絶対忘れない。悪い意味でのギブアンドテイクだ。
まんまと利用された人は幸せを得るかも知らないが、結果的には手のひらの中で踊らされているだけなのである。隠された意図に気付けるか又は見抜けるかが腕の見せ所だ。
いずれにせよ、人を騙したり出し抜いて得た幸せは長続きしないし短命に終わる。自らのためだけではなく、きちんと相手を思いやれるか。本当の幸せとはそこにあるのではないかと私は思う。
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