見出し画像

freewriting#3:つくることについて

(1/5)
わたしはすべてはつくることだなどと言ったが ではそれはなぜなのか?どこなのか? 手をうごかしてねんどをこねるいわゆる"つくる"を言っているわけではない.価値観があり.アンチテーゼがあり.もやもやがあり.これらはすべて社会と対にされてはじめて 明確にみえるものなのだと思うが、 そういうものを 何に 具現化していくのか 私たちは考える それはものなどハードであることもあれば、ソフトであることもある。具現化の程度はグラデーションであり 具現化として 概念をおとされた その媒体にすら その内部でグラデーションをもつ.抽象的だなんだと議論されるが、それは 受け手の社会のとらえ方が 抽象度グラデーションのどこに位置するのかによるのか、どうか.そのラインの断面として社会をとらえているので.その断面と、創作者の具現化の程度がそれぞれどういう関係におかれているかだろう.かなり話がとんだが、どう具現化するのかといった手法の部分がいわゆる"分野"

(2/5)
"ジャンル"とよばれているように感じたのだ つまり あえて"上位"という言葉をつかうが 上位概念は<しばしば>共通しているのだろうと思っているのだ この「概念を具現化」というシンプルなプロセスを私は「つくる」とよんでいる.つくり手としてどのアプローチをするかということである.それが 末端の具現化をみて分類したがるように思える.またそのとき具現化のレベルが グラデーションのどこに位置するかなど考えていないのだろう 私は.このとき.もし分類するのであれば百歩ゆずって.ね.概念-価値観・アンチテーゼなどで くくることができれば 協力できる 協力というのはちがうか.共創 そうだ これが共創なのだろう.共創ができるのだと思う このとき"異分野”の"コラボ"ではない むしろ同志なのである.そう考えれば 分野 ジャンルは 末端の表相でしかない.これを 概念でたとえば くくる.として

(3/5)
この概念とやらはたいてい 人間的か社会的である.そもそも両者はほぼ同義か? いや私のイメージしたのは.感情・感性と.そして構図といういみである.であれば 仮にくくった 概念どうしは切っても切りはなせないはずだ だから.結局はみんな 人間や社会に対峙しているのだ いろんなやり方で ああ書こうとしたことを忘れた 思い出した.そ ここまで考えてみて特徴的な変数を定義してみると.ビジネスにおいては具現化が大半であり.グラデーションでいうと具現化の最端 そのため システム化されているのである.具体的な要素が多すぎるからだ.一方でたとえば演劇はひとくちには言えずともビジネスよりもそうとう 具現化のレベルは低く.それも自由である.

(4/5)
ここでもう一つ 二つ? 記しておきたいことは.多数の要素に具現化され それらを体系化システ化されたビジネスのなかにいる人は いわば くみこまれることになるのだ 当事者にとって 向き合うべきは一要素である 一方で 演劇の場合<それぞれの>要素は システム化されていない 相互関係はあれど ので 1人1人がより 上位の概念をいしき つまり社会や人間に向きあわねばならないのだろう 反対に 外からみたときには 具現度の低さからの導入となり.その実態はみえづらくなる ねむい ねる!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?