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閑話休題 femme fatalが現れる条件

femme fatal(運命の女)が現れるのはどういう時だろうか。
今回はfemme fatalの現れる条件について考えてみたい。
完全に個人的見解だ。

ここで注釈。
女や男という区分を使っていくが、生物学上、性自認、ありとあらゆる性別区分の意味をもたないとする。
女と書くから女限定、男と書くから男限定ではない。自分の好きなように解釈していただきたい。
femme(女)という言葉を用いるから、便宜上男、女と呼び方を使い分ける。

では、本題へ戻ろう。
femme fatalはどういう男の前に現れるのか。

femme fatalというのは運命を変える女である。前回も書いたが、決して男を破滅へと導くだけではない。
人生を好転させてもくれる。
そして、femme fatalというものは女性特有の「受け入れて応える」という性質が強いように思う。
運命を変える程「応え」てもらうには、まず求める方の欲求の強さが必要なのではないだろうか。

欲求というのはなにも「femme fatalに出会いたい!!」などと言ったものではない。この欲求にfemme fatalは応えようがない。出会ったら任務終了である。
ではどういった欲求なのか。
それは人生に対する欲求ではないだろうか。

人生に対する欲求、それは「成功して何者かになりたい」というような社会的なものから、「生きたい」という生命の根源たる欲求までいろいろあるだろう。そういったものにfemme fatalは呼応しているように思う。
……それだったら、自分もより良く生きたいし、成功したい!という主張もあるだろうが、
それだとぬるい。非常にぬるい。
そんな強さの欲求では応える側もそこそこにぬるい応答しかできない。

普通人間は現状維持を望む。今あるところがベストだと思えなくとも、動くことで今より悪化した状況を招くのを恐れるからだ。
自分は安全なとこにいて、もっと良く人生が好転することを望む。
それがぬるい。というか、甘い。

人生を大きく動かすためには、当たり前のように自分も大きく動く必要がある。
誰かがどこか良いとこに連れてってくれるなんて、日本の教育の悪い副産物でしかない。
自分はリスクをとらないけど、先生がどうにかしてくれないのはおかしいなんて、精々小学生くらいまでしか許されないだろう。
だが、そのまま大人になった人間のなんと多いことか。
当たり前だが、そんな人間が魅力的なわけはないだろう。
そして、魅力もない人間にfemme fatalと言えるような魅力的な女性が現れるわけもない。

人生に対する強い欲求を持っている男というのは、どこか危うげな魅力がある。
それは危険やリスクを省みない無謀さや、人生のドン底を知っているからこその切迫感。
そういった後のない人間のもつ生命力は魅力的だ。
そして、femme fatalはその魅力を嗅ぎ分け現れる。

運命を変えるだけの力をもつ女は、彼女自身も強い力をもっている。
それを自分の決めた男のために使うのだ。
そのために男は、この人を支えたい、と思えるような男でなくてはならない。
つまり、生ぬるい欲求しかないとそういう女しか出会うことはできないし、
力をもった女がいても振り向いてはもらえない。

femme fatalは出会えたらラッキーというものでも、待ってたら会えるというものでもない。然るべきタイミングで然るべき場所で出会うものなのではないだろうか。

ちなみに、彼女の力を自分で制御できる男が成功者になる。
真面目で堅く、融通が効かないとどんどんのめり込んでしまい、破滅へと向かってしまう。
そうホセのように。

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