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閑話休題 femme fatal

休題も何も、本題はずっと止まったままである。

今日はfemme fatal について思ったことがあるので書きたい。

femme fatal (ファムファタール)と聞けばカルメンが思い浮かぶ。男を惑わす悪女というニュアンスで使われる言葉だ。
だが、もともとfemme fatal は「運命の女」という意味らしい。男の運命を変えてしまうくらい魅力的な女。それがfemme fatal。
そう、かならずしも男を惑わし、破滅に導くとは限らない。運命を変えて破滅させることもあれば、幸運の女神のように運命を好転させて成功へと導くfemme fatal もいるだろう。

私はときどき恋愛相談なるものを受ける。相談とまではいかないが、恋愛に関する愚痴を聞くこともある。
その中には、なんでそんなことで悩んでるのかさっぱり分からないものもあるが、仕事に必要な情報が隠れてたりするのでわりと丁寧に聞くようにしている。
そこで、ふと思い至ったのは、「恋愛か恋愛じゃないか」の二分化の危険性だ。
恋愛とは不思議なもので、相手からありとあらゆるものが搾取できると考えてる人が多い。
「愛してるならこうしてくれるはず。」「愛してるならこんなことしないはず。」
ほしいほしいのオンパレード。
なぜか他人の言動に当たり前のようにケチをつける。それが許されると思っている。
しまいには「私のこと好きじゃないのかな…」と相手の感情にまでもケチをつける始末。全くもって謎だ。愛だの承認だの快楽だのと、どれもこれもをたった一人からもらおうとすることへ違和感しかない。

だが、恋愛自体がくだらないなんてことは思っていない。そもそも芸術をやる上では恋だの愛だのは切っても切れないものであり、私も音楽をする上で恋愛をするようにといろんな先生に言われてきた。
ただ、私は他人からは「恋愛体質」と言われたり、「恋愛に興味がない」と言われたりする。
なぜそんな正反対なことを言われるようになったのか。なぜそう見えるのか。
それは私の「愛だの承認だの快楽だのと、どれもこれもをたった一人からもらおうとすることへの違和感」がそう見せてるのかもしれない。

愛だの承認だの快楽だのと、どれもこれもをたった一人からもらおうとしたくない。つまり、ほしいものを少しずつ、いろんな人からもらいたがっている。なので「こんなことも求めないのか」と恋愛に興味がないと思われ、「また、違う人がいるのか」と恋愛体質に見られる。そんな気がした。
私の恋愛観はどうもズレているのだろう。

でも、実際、私だってそんなあれこれを求められると苦しい。自分のしたいことに手が回らなくなるのは嫌だ。
では、何を恋愛と言われるものに求めているのか。それが"femme fatal"なのではないか。

femme fatal は人生を変えてくれる存在だ。私はいつでも人生が変わっていくことを望んでいる。変化はおもしろい。そして、他人の人生が変化する様を見るのも好きだ。
なので、時には私のfemme fatalを、時には私がfemme fatalに、と相手によって求めるものを変えながら生きてきた。
いつか私にとってのfemme fatalに、私もfemme fatalとして生きることができたら、そこで永遠に留まるのかもしれない。

恋愛でストレスを溜めて、破滅ほど劇的でないが、生活が崩れてしまって嫌気が差している方。
femme fatalを目指すのはいかがだろうか。笑

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