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最大の問題点

「自分のことを全て受け入れてくれる人
と付き合いたい」

そんなことを思っていた。

一年前、高校3年間付き合っていた当時の彼氏と別れた私は、途方に暮れていた。3年間一緒に過ごしても、別れる時はアッサリしていることに気づいてしまったからだ。とても傷ついていた。
それは、自分の中での恋愛の価値観が徐々に変わっていっていることを示していた。

小学生や中学生は、“その人自身”に目を向けるのではなく、“その人自身の持っている能力”に目を向ける。例えば、“足が速い”とか“頭が良い”とかこういったことを、判断基準として、恋愛していくのだ。
しかしながら、だんだんと大人になるにつれて、その能力は勿論のこと、その人自身の“本質”を見極めて恋愛していくようになるのだ。その“本質”を見極めながら恋愛していくことが、私にとっては富士登山かのように難しいことだった。

この1年間、ずっと男遊びを繰り返してきたくせに、彼氏が出来なかったのは、恋愛に臆病な私のせいなのだ。

「自分は、“全てを受け入れてくれる人とお付き合いしたい”と思っているのに、いざ告白されると、“相手の全てを受け入れられない”」
この一点張り。
苦しかった。今もそう。
自分から追う恋もあったけど、この1年間は圧倒的に告白して頂いた回数の方が多かった。その中でも、ちゃを御相手の方と向き合おうとしたことが数回あったのだが、その度にこう思ってしまって、毎回お付き合いをお断りさせて頂いていた。
向き合うことを避けては無かった。向き合った結果がこれだ。リスクを避けている訳ではなく、自分自身の弱さと向き合えていない証拠なのかもしれない。
……どうしたらいいんだろう。考え過ぎで頭痛い。

「好きってなんだろう」

最近はこのことしか考えてない。
私は基本的に偏見が無いから、LGBTQに対しても偏見が無い。だから、恋愛は本当に自由にやっていいと思う。でも、お互いの価値観をすり合わせていく時間が、この上なく楽しいと思えたことが無いから、きっと、まだお子ちゃまなんだと思う。
本当の好きってもんが何か、もうすぐ20になるっていうのに、まだ理解出来ていない。
なんてこったい……(笑)

彼氏が欲しいか欲しくないかと言われたら、
欲しい。でも、本当に私が欲しいのは彼氏では無いのかもしれない。

自分がダメな時に助言をくれたり、叱咤激励してくれる人なのかもしれない。1番そばで自分を成長させてくれる人、つまり、人生を共に過ごしていける人が、いつか、「彼氏」という肩書きを背負って現れるのかもしれない。

……と、まとまりの無い文章をnoteに書きつつ、今年の夏も1人でお祭りか…って思ってる。いいよ。1人で焼きそば食べるのも美味しいもん。(やけくそ。)

1人で花火見てたら、「何してるの?隣、いい?」って言われて、路地裏で2人でかき氷食べつつ、「今年もボッチだね」とか言いながら話してたら、急に「俺お前のこと好きなんだ」とか言われてキュン死させてくる彼氏どこですかね。←