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【まほやく 南訓練イベ考察】愛すべき「傷」④(ネタバレ)
梅雨シーズンにぴったりのまほやくのイベント「雨宿りのカエルのエチュード」(これ以降、「南訓練イベ」と表記する)。レノックス、フィガロはもちろんのこと、オーエンについても、さまざまな供給があった。前回の「雨待花イベント」が大変心温まるものだっただけに、心がえぐられた賢者も多かったと思う。(雨待花イベの方が「時間軸があと」であろうことが唯一の救いだ)
以下、イベスト未読の方はネタバレにつき、十分お気をつけいただきたい。
【初めての訓練シリーズイベント予告】
— 魔法使いの約束【公式】 (@mahoyaku_info) June 15, 2020
6月18日(木)18:00よりイベント「雨宿りのカエルのエチュード〜南の国&北の国〜」を開催予定!
ガチャにはSSRルチル・レノックス・ミチルのカードが新登場🧙♀️
今夜、ようやく長い雨は終わる。 #まほやく pic.twitter.com/GuGGOfiIY4
前回と同じ言い訳で恐縮だが、なるべくイベストは対象にしないつもりでまほやくの考察をしてきたものの、今回も我慢ができなかった。オーエンのせいだ。我ながらチョロすぎる。申し訳ない。
ちなみに、便宜的に「傷」シリーズの記事に入れているが、あまり厄災の傷には触れない予定である。厄災にかかわりのない「傷」には触れていく。
今回はメインストーリーはもちろん、イベントストーリーについても盛大なネタバレ記事になる予定である。不快に思われる方はUターンをお願いしたい。また、毎度のことであるが、カード・親愛ストーリーは全く読んでいない上での妄想である。ご容赦願いたい。ほぼ二次創作である。
また、記事中の画像は全てゲームアプリ内の引用である。
1.「代替」としてのレノックス―保護
今回のイベントのメインキャラクターは、レノックスである。実のところ、このイベストを読むまで、私は彼のことがよく掴めずにいた。ファウストとの主従関係くらいしか、彼を構成するものが強調されてこなかったからだと思う。
イベストを経由した今、レノックスは「代替」であるという印象が、私の中に最も強く残っている。「代替」とは決してネガティブな意味ではないことをことわっておく。「誰かの代わりに誰かを守る」ということが言いたいのだ。
代替① フィガロの代わりにファウストを守る(未遂、現在進行)
代替② 持ち主のかわりに羊を守る(フィガロの依頼)
代替③ ミスラのかわりにルチルミチルを守る(正式に合意)
フィガロがファウストをどうしたかったのか、という点については後ほど考察する。とりあえずここでは、レノックスが「誰かの代わりに誰かを守る」役割を担っていることを確認しておきたい。
加えて、羊のことによく表れているように、「守る」ことへの執着が強い。この執着の発端は、間違いなくファウストを守り切れなかったことにある。レノックスもまた、厄災とは関係なしに「傷」を負っているのだ。
ところが、この「傷」はレノックスにとって「不幸」ではない。彼自身も不幸だとは思っていないだろう。この執着のおかげで、彼はファウストに再会し、羊飼いたちと世代を超えて交流し、ルチルミチルという家族に準じた存在と縁を結んでいる。はじまりはたとえ代替であっても、レノックスの執着はその「代替」を「ホンモノ」に変えていくのである。
「守る」ことは、「愛おしむ」―「愛すること」に他ならない。フィガロを苛立たせた原因は、おそらくこのあたりにあるのだろう。
2. 手放す愛、手放さない愛―フィガロとレノックス
南の国について早々、レノックスとフィガロが冷戦のような喧嘩を繰り広げる。
フィガロは「執着したって甲斐がない、自分は切り替えが早い」
レノックスは「自分は執念深い。フィガロは諦めが早い」
ということで、主にフィガロがイライラする。
何に対しての執着かというと、「(守るべき、愛する)誰か」に対するものが話題になっている場面である。ルチルミチルをあっさりミスラに渡そうとするフィガロと、あくまでも自分が守ろうとするレノックスの対立である。
これはそのまま、ファウストをめぐる二人の関係性にもあてはまる。
この喧嘩の直後に明かされるのは、かつてフィガロがファウストを「手放した」という事実である。
「ファウスト様がアレクアレクで、アレク様と革命に夢中で、なんだか興が覚めてしまったと…」
重大な事実である。
かつてフィガロは、ファウストを弟子にして、可愛がってやろうとしていたらしいのである。
つまり、フィガロはファウストを愛そうとしていたということである。しかし、手放した。ファウストが自分ではない者を愛したからだ。手放したあとファウストが火刑という憂き目にあい、行方しれずになっても追わなかった。
フィガロが戦線離脱したあとにファウストを守ったのは他ならぬレノックスである。行方しれずになった彼を追ったのもレノックスだ。
現フィガロが、「求められないなら、愛することを諦める(愛せない)」というスタンスであるのに対し、
現レノックスは「求められなくても、愛することを諦めない(追いかける)」というスタンスなのだ。(※これはカエルイベの趣旨とも一致している)
レノックスは、「ありえたかもしれないフィガロの姿」だと言ってもいいだろう。フィガロが静かに怒りを感じたのは、「かつての自分の面影を見たから」だとも考えられる。
3.「愛情」を信じたい、信じられない―フィガロ
イベント後半でもスノウ・ホワイトからも指摘されるように、フィガロは自分自身の「愛情」を信じられないようである。
「いざ情が芽生えても、己の心をなかなか信用できぬのじゃ、本当は寂しがり屋の優しい子なのにのう」
なぜ愛情を信じられなくなり、フィガロは「孤独の正しい味わい方」を知る身となったのか。
もともと孤独しか知らなければ、愛情を知らなければ、そんなことにはならない。彼は愛情を知ってしまったのだ。同時に、愛情を失うこと、愛情に裏切られること―「愛することの代償」も知ってしまったのではないか。彼が愛することを「手放さざるをえない」ような過去を経験したということである。
それはある意味、過去の「傷」である。
「愛することの代償」を知るからこそ、フィガロは、チレッタに中絶をすすめ、アーサーを石にしようとしたのだ。ファウストの前からも姿を消した。
代償を受ける前に、「愛する対象」を消してしまえば、そこから逃げてしまえば、傷つかない。それが現フィガロの「傷つかない」論理なのだ。
メインストーリー前半、ファウストを引き止めるフィガロはこんなことを言っている。
「気が遠くなるような長い時間、ひとりでいても傷がいやせないなら、君には誰かが必要なんだよ」
これは、実はフィガロ自身にも言えることなのではないのか。
もしも彼が本当に愛することを諦めているなら、なぜ北の国から出て南の国に来たのだろうか。なぜレノックスを引き入れたのか、なぜ人と関わるのか、ルチルミチルを導こうとするのか…
フィガロがかつて「愛情」によって受けた傷は、ひとりでいるだけでは癒されないからだ。そして、どこかに、「愛する」ことへの未練が残っているのではないのか。
4.求められることへの渇望―オーエン
イベントストーリー5話だけの登場だったが、大きな衝撃を残したのがオーエンである。
行方不明になっていたレノックスの羊を抱くオーエンは、例の「傷」により、人格が変わっていた。この「傷」の詳細については、以下の記事で詳しく考察しているので、参照いただきたい。
なぜ今回、唐突にオーエンの「傷」が発動していたのかといえば、「雨・湿気」が引き金になっているからだろう。もともとオーエンは、「暗い、じめじめしたところにいた」ということがメインストーリーで判明していた。
つまり、まだ「恐ろしい魔法使い」というレッテルに縛られる前の、本来のオーエンであったころを思い出させる環境がトリガーになっているのである。
(※以前から述べているが、これは「別人格」ではなく、「オーエン本来の人格」だと私は思っている)
オーエンはレノックスに羊を返すように言われる。羊を仲間たちのもとに返すためだ。
それに対しオーエンは
「僕はおいてけぼりでいいの?」
という、なんとも心をえぐられる反応をしてくる。
かつてのオーエンが、集団からはじかれ、じめじめしたところに置いていかれていたことが透けて見える。そこにはネズミや獣しかいなかった…だからかれは「けだものに詳しい」のである。しかしオーエンはケダモノではない。彼は長らく孤独を生きているのだ。至極北の国の魔法使いらしい。
そんなオーエンに対しレノックスは
「お前が生きたいなら連れて行く…どうしたい?」
と意思確認をしてくる。
結局オーエンはこれに応えず、羊を無言で返す。再度「行かないのか?」と呼び止められ「行かない」と言い残して、逃げるようにその場を去ってしまう。
この行動、いろいろな要因が重なったものだと思われる。
まずレノックスの問いかけが「どうしたい?」だったこと。
オーエンは「人の思念に従順」―人の目、人の評価を通してしか、自分を表現できない。意思を問われても、答えられないのだ。(詳細は前回考察記事参照)
答えに困っている間に、賢者はレノックスに「いいんですか?(不安)」という問いかけをし、レノックスは「ダメかもしれないが…(消極的)」と答えている。
オーエンはそこからを読み取ったのだ。羊とちがって、「自分は歓迎されざる存在である」ことを。望まれない、求められないことを察したオーエンは、拒否することで、それに従った。愛されることを知らないオーエンは、求められる人格に従うことでしか、自分を保てないのだ。
さらに、前述したように、レノックスが「誰かの代わりに守る」存在であったことも、原因の一つだろう。
オーエンは自分を守ってくれる騎士を渇望している。騎士は明確に「守る」という役割を帯びており、庇護者の意思に関係なく、「俺が守ってやる」というスタンスである。むしろ相手を強制的に「守られる者」に仕立て上げる存在であって、「守ってあげようか?どうしたい?」などと聞いてくることはない。結局ここでもオーエンは、「守られる者」として求められることを渇望しているのだ。
オーエンがレノックスに、無条件に庇護されなかったのは、奇しくも彼が「代替」であったからである。
しつこいようだが、オーエンを不安や恐怖の色眼鏡で見ないこと、オーエンを無条件で守ること、の両方ができるのは、「騎士」であるカインしかいないのだ。それを可能にするのは、カインが肉体感覚でオーエンを感じるという状況。「目」という肉体のつながりは、オーエンをかろうじてこの世につなぎとめる命綱である。
5.本当の姿を「愛される」こと―オーエンとフィガロ
今回のイベントではまったく接点がなかったように思えるフィガロとオーエンだが、レノックスを媒介とすることで、うっすらそのつながりが見える。
ひとまず整理するなら
愛したいのに、愛さない、愛し方を知らない:フィガロ
愛されたいのに、愛されない、愛され方を知らない:オーエン
ということになろうか。
ここで思い出されるのは、泡沫イベントストーリーである。
オーエンはミチル対し、こんなことを言っている。
「フィガロのことが好きなら、もっとフィガロのことを知った方がいいよ」
フィガロはムルにこう言われている
「どうしてミチルたちに本当の姿を見せないの?怖いから?楽しいから?それとも安心したいから?」
オーエンのセリフは、自身の願望のようにも思われる。「(主にカインに対して)、本当の僕を知ってほしい、知って愛してほしい…」ということだろう。オーエンはミチルとフィガロでそれを試して、観察しようとしている。そこにカインと自分との関係性を重ねようとしているのではないか。
一方のフィガロは、ミチルとルチルが「好き」だから、「本当の姿を見せない」という主張のようだ。隠していれば、本当の自分が愛されることはない。そして、自分も愛することはない…フィガロは彼らを「好き」といいつつ、愛を避けている。かつて愛したために受けた代償を、避けようとしている。
なぜなら、今回は自分が石になり消えるからだ。代償を負うのは、残される者たちなのだ。
(※愛することの代償を躊躇しないムルには到底理解しえないことであったことは想像に難くない)
(※ちなみに、フィガロは、死の運命にあることをファウストにだけ打ち明けている。おそらくファウストのことを「かつて愛し(かけ)た」からではないか…と邪推する)
結局泡沫イベではフィガロの真実はルチルミチルには明らかにされず、オーエンの実験は失敗に終わった。もし成功していたら…オーエンはカインに何を打ち明けたのだろうか。考えるだけで心臓が痛い。
このように、ある意味では、フィガロもオーエンも「愛する・愛される」ことが「傷」になっているキャラクターなのである。それはもちろん厄災によりつけられた傷ではない。しかし大いなる厄災は、その光で、このような過去の「傷」を浮き彫りにしていってしまう。
この物語の結末は、こういった「傷」を、魔法使いたちが愛せるようになる…というものだと思いたいものである。月もそれを望んでいる…と私は信じている。
南の魔法使いをあまり考察してこなかったため、ずいぶん中途半端なものになってしまった。申し訳ない限りである。
今回のイベントストーリーは、イベントのエピソード自体も切ないものだったが、オーエンとフィガロの過去を思うと、さらに切なさが倍増するという構造であった…
それにしても、約束とは、愛とは、友達とは…一体なんなのか。ストーリーを読むたびにわからなくなるが、とにかく魔法使いたちの幸せを願うばかりである。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました!