【SK∞~3話考察】奇跡でも永遠でもない「最高」へ(ネタバレ)
2021年1月から放送がスタートした、アニメ「SK∞(エスケーエイト)」。
「free!」の内海監督とボンズという豪華な組み合わせ。スケートボードの迫力ある作画、個性的な登場人物、オリジナルならではの先の見えなさ…大変ハイクオリティで魅力的な作品である。
特に「Free!」にみるような、スポーツを通して高め合う作品を愛する人にとってはたまらないストーリであると思う。ただ、Free!と少し違うのは、似て非なるスノーボードとスケートボードが混じることで起こる、化学反応が本作の原動力であるということ。
まだ3話であるため、考察できるほどの材料も少なく、ただの妄想になってしまいそうだが、少しでも本作の魅力を語っておきたいと思う。
3話までのストーリーに関して大変なネタバレをする予定である。今後の展開について何ら保証をするものではない、ただの妄想であることをお許しいただきたい。
また、本作には言いたいことがありすぎて何もまとまらない状態であるため、非常に読みにくい文章になることを先にお詫びしておきたい。
なお、記事中の画像は全て、
©ボンズ・内海紘子/Project SK∞
からの引用である。
1.暦に「必要なもの」―「大丈夫」と、共有
主人公の一人である、喜屋武暦のことから考えていこう。
彼は沖縄に住む高校2年生、スケートボード専門店でバイトをしており、極秘の大会であるSにも出ている。家族構成はおそらく父母、妹3人の大家族。沖縄伝統の、大きめな家屋に住んでいる。ボードを作るガレージも併設。
ものすごくスケートボードが好きなのだが、周囲の友人には「痛いのはちょっと…」と興味を示してもらえず、同年代のボード仲間はいない模様。
1話冒頭、暦はS(スケートの極秘レース)のダークヒーローを自称するシャドウと直接対決をし、敗北。自作のボードを燃やされている。その暦に対し、バイト先の店長は
「お前が大丈夫っていう時さ、大丈夫だったことないよな」
と辛らつに告げている。もちろん、暦は「大丈夫」だと思っていたわけだが、全く「大丈夫」ではなかったということだ。
確かに暦はスケートボードをものすごく練習しているのだろうが、3話で日本代表候補のMIYAと技術を比べた時も盛大に転んでおり、「それなり」なのだということが透けて見える。情熱に技術が付いていっていないのである。
そのことに無自覚(無自覚のフリかもしれないが)なのも、暦が(現在は)「ひとりでスケートをやっている」ことに起因していると言えるだろう。
上でも下でもない、同じ目線でスケートをやる人がいないために、自分の実力や役割には気が付きにくいのだ。
シャドウに敗北しボロボロのとき、暦の前に現れるのが、転校生の馳河ランガである。彼のことは後述するが、出会いの直前に暦が、ノートに
「オレに必要なもの」
と書いていたことは偶然ではあるまい。
「大丈夫」を「大丈夫」にできない暦に必要なもの、それは「ランガ」であることが、2人の出会いの場面で示されているのだ。
ランガは暦に欠けていた2つのものを補う存在になっていく。
まずは暦の周囲にいなかった、スケート仲間(とりあえず、今は)になるということだ。
暦はランガに共感されると、本当にいい笑顔になる。守りたい、その笑顔。
もちろん、ランガは初心者であるため現在は「暦よりもヘタクソ」なのであるが、お察しの通り、遠からずランガは暦の実力を超えると思われる。そうなったときに初めて、暦は、自分のスケートというものを向き合わざるを得なくなる。
「大丈夫」だと信じていた、だれよりも最高の滑りができると信じていた自分の実力を、見直す機会は、ランガによりもたらされるのだ。
もうひとつは、暦がこれまで獲得できなかった「大丈夫」を、ランガが与えるということ。
1話の終盤、ランガは成り行きでシャドウと対決することになる。かなり無茶なやり方(ボードにガムテで足を固定)をしようとするランガを、暦は止める。
「それじゃ転んだとき大けがするぞ」
「大丈夫だよ…たぶん」
再びの「大丈夫」である。
ランガの「大丈夫」は、ある意味、暦よりも根拠のない、無謀な「大丈夫」なのであるが、これを見事にランガは「本当の大丈夫」に変えて見せる。シャドウに勝つのだ。
この様子を目撃した暦は
「その時、俺は確かに見たんだ。この沖縄に舞う、白い雪を」(=つまり「奇跡」)と言い、
「お前、すっげぇ~じゃん」と目をきらきら輝かせる。
(こういう態度は、初見時のアダムにも見せている)
「大丈夫」を見せてくれたランガは、暦にとっていわば「ヒーロー」へと変貌したのだが、そのあとすぐに幻滅するターンに入る。ランガはスノボ畑の人間であり、スケートは初心者。その差に苦しむのだ。
「昨日の滑りはどうしたんだよ。だってさ、全然別人っていうか…」
といいつつ、ヒーローに対する「きらきら」は消え、スケートを共有する存在として認知しなおされていく。
この「奇跡」がゼロクリアにされる過程がなければ、暦とランガの信頼関係は築けなかったはずである。本当によかった。
(※そもそも1話冒頭で暦は「ヒーロー」の言うところの幸福を否定しており、もしランガがヒーローだったら、2人で幸福を目指すのは難しかっただろう)
暦のメカニックスキルおよび今後の展開については最後の方に述べることにし、次にランガについて考えることにしたい。
2.ランガが「取り戻すもの」―父との絆
もう一人の主人公、馳河ランガについて考えていこう。
カナダ出身、沖縄に転校してきた高校2年生。カナダ人の父は他界、日本人の母の故郷である沖縄に転校してきたというわけだ。2歳からスノーボードの経験があるが、父親の死をきっかけに遠ざかっていた。コミュニケーションは不得手、料理ができて、家計のためにバイトを探している。
暦にとっての「必要なもの」であるランガ。
ランガにとっても暦は「必要なもの」であることを、ここではしつこく述べていきたい。
何よりも、ランガとスノーボードの関係性である。
彼にとってスノーボードとは「=父(オリバー)」であるといっても過言ではない。
父が亡くなってからは滑らなくなったことからしても、写真を見る限りにおいても、父が教えていたのだろう。
コミュニケーションが不得手とされるランガは、父とスノーボードを通して絆をつくっていたにちがいないのだ。2歳から15年間、スノーボードと共に、父とともに、ランガは自分を形成してきた。それが突然失われてしまった。
つまり、沖縄に来たランガは、完全に自分を見失っているのだ。父という存在と同時に、雪、スノーボード―17年生きてきた自分自身という、大きな喪失を抱えて、彼は沖縄にやってきたのだ。
「本当に雪、ないんだなって…」
「本当にこっち(沖縄)に来てよかったの?」
「…いいんだ」
という母とのやりとりで見せる表情からは、その空虚さが見て取れる。
その状態で目撃したのが、暦のスケートボードだ。このあたりの演出は、「Free!」の遥の飛び込みを見上げる凛の様子にも共通しているといえよう。ランガは暦のスケートを見て、はじめてその瞳に生気を宿している。
(※ちなみに、フィストバンプや「最高」というフレーズなど、free!経験者には美味しい演出もたくさんある)
暦とスケートを通してつながり、信頼関係を築いていくことは、父との絆の再現ということになっていこう。
暦がスケートを教える中で、ランガが「スノーボードも最初はそうだったな…」と反芻していくのがその証拠である。
だからこそ、最初は懐疑的だったランガは、2話以降驚くべきスピードで暦に懐き、心を開いていく。上達もする。
父の死と沖縄に来た理由を暦に告げた直後に、初めてのオーリーを飛べたのなんて、いかにランガの魂や精神が、ボードと深く結びついているかがよくわかる場面になっている。
さて、3話になると、新たな傾向が見えてくる。
子供のころから父に教わってスノーボードをしていたということは、「うまくできたら褒められた。褒められたから楽しくてどんど上手になった」というパターンであろうことが予想される。
3話でスケート日本代表候補のMIYAと対決し、僅差で勝利したランガ。このとき、暦は自作のボードの活躍をまっさきに褒める。その傍らでランガは「滑ったのは俺…」と拗ねているのである。
ランガは暦に褒めてほしいのだ。かつて父がそうしてくれたように。
(暦はそのあと「お前の滑りはもっと最高だったぜ!」と言っている)
今のところ、ランガにとっての「スケートの楽しさ」というのは、父との絆の再現に依っている部分が多い。
とはいえ、3話途中で、「スノーボードとは全然違う、この感覚…」と感じはじめており、スケートとスノボが分裂する日は近いだろう。
そうなったときに暦との関係がどうなるのか、気になるところである。それは後ほど考察したい。
いずれにしても、最後に彼がスノボに戻るのか、スケートの道を行くのか、その選択を楽しみに見守りたいものである。つまりそれは、父の喪失を、ランガがどう乗り越えていくか、を見守ることにもなろう。
3.解放される自分―極秘Sとペルソナ
暦とランガ以外についても触れておこう。
Sの常連として存在しているのが、チェリーブロッサムとジョー、そしてシャドウ。
彼らは、Sで見せる顔と、日常生活で見せる顔が違う。
チェリーは桜屋敷薫というAI書道家
ジョーは南城虎次郎というイタリア料理店のシェフ
シャドウは比嘉広海という花屋の店員
それぞれ、日常生活ではSでの仮面をひた隠しにしている。(逆に、Sでは日常を隠している)
それはSの創設者であるアダムについてもそうである。彼は神道愛之助という政治家だが、その様子はSでは隠されている。
(彼ら大人組については、ランガ暦よりも拗らせがありそうな予感がかなりするのだが、情報が少ないためもう少し話数を重ねてから改めて考察したい。なにせ偽装喧嘩幼馴染と議員&秘書である……)
中学生ながらMIYAとて、ペルソナを持っている。日本代表候補かつ品行方正中学生という日常生活の裏で、Sでは猫耳衣装でアダムとつながる毒舌に変貌している。
なおかつ、彼はかつてのスケート仲間に、「お前は勇者、俺たちはスライムだから、同じパーティーは組めない」と言い放たれた過去を持つ。
これによりMIYAは、
「絶対に負けない、だって僕は勇者なんだから」
という孤独な枷を自分に課している。
複数のペルソナが求められ、なかなかしんどいであろう…3話ラストでランガに敗北したことで、「勇者」縛りが少し緩んだのであればいいのだが。ゆくゆくはタカくんともまたスケートをして欲しいものだ。スライムでも勇者でもなく。
話題をSに戻そう。
つまりSという場所は、プレーヤーにとっては「普段抑制(秘匿)している自分の解放場所」に他ならない。Sにあるのが本来の自分なのか、あるいは、日常が本来の自分で、イレギュラーな自分がSに出るのか―それは人によって違うだろう。
いずれにしても、普段の生活で付けているペルソナとは異なるペルソナを演じられる、それがSという閉鎖空間である。
だからこそ、シャドウはメイクをしているし、チェリーはマスクをしているし、アダムは仮面をかぶっているのだ。
このなかで、ランガと暦は異質である。彼らは、SとS以外とでペルソナを使い分けていない。
チェリーやジョー、シャドウ、アダムがランガに興味を示し始めている。ペルソナを使い分ける彼らとかかわることで、ランガと暦がどのようなペルソナを獲得していくのか…未だ何者でもない2人が、どんな「仮面」を獲得していくのか……それが本作後半のテーマになってくるのではないか。
「S」という、日常から隔絶された、閉鎖空間だからこそ、その中の人間関係は濃密である。それに浸される過程で、暦とランガが互いとの関係性、スケートとの関係性を見つめなおすことは、ほぼ間違いないように思われる。
3話現在、最も危険な存在はアダムである。スケートの楽しさを否定するかのような態度をとり、敗北したMIYAに「空っぽ」とい言葉を突きつけた。そして、ランガにご執心である。
表の世界でもスケートの発展に貢献しているかのようなアダムだが、彼がそれでも極秘Sを存続させたいのには意味があろう。恐らくそのために、無垢なる異物であるランガが必要なのだ。
アダムのボード裏の絵柄は、レイピアに刺されたハート。
表の政治活動では「愛は日本を救う」とうたっているにもかかわらず、ボードの裏では、その愛を否定していると言っていい。愛の伝道師を自称しながら…なぜ。
政治家として、愛の空虚さを感じているのかもしれないし、よくわからないが、このあたりのアダムのねじれが、本作後半には効いてきそうだと思うのだ。鍵を握るのは秘書の菊池さんだろう。期待したい。
また、オープニングでランガがアダムの「♡」に塗り替わり、暦が陥落していく様子が見えるのが不穏である。暦との関係性がこじれ、アダムの思想に染まり、孤独にスキルだけを求めるようなスケートに傾倒していかなければいいが。
4.勇者の孤独と、スライムの役割と
3話でクローズアップされたのが、「持てる者の孤独」であったと思う。
友達と一緒にやるスケートが楽しくて技術を磨いたMIYAは、「できすぎて」しまったために、煙たがられ、一線を引かれ、孤独に陥っていた。
これは遠からず暦とランガが迎える未来を示唆しているようにも思う。
前述したが、暦のスケート技術は、プロレベルではなく、頭打ち状態であると思う(ただ分析力やメカニックスキルは確かである。目と手先が優秀なのだ)
その状態で、どんどんスケートスキルを自分から吸収し、高みに行くランガが隣にいるのである。
ある程度までは共に歩めるだろう。
でも、暦が教えることがなくなってしまったら……暦は役割を失う。
導き褒めてくれる暦を失うことにより、ランガは再び「父との絆」を奪われることになる
まずは暦がランガから離れるだろう。
それは「もう教えることがない」という事実に加え、勇者たるランガを見ていることで「自分がスライムであること」を感じずにはいられないからだ。それはスケートの楽しさを塗り替えてしまうほど、しんどいものであろう。
「スケートのことならなんでもわかる」とまで言っていた暦にとって、ランガの存在はスケートの楽しさを倍増させるが、その代償として挫折ももたらしていくのだ。
暦が離脱により、導いてくれる、褒めてくれる存在を失い、ランガは再び滑ることの「楽しさ」を見失う。そしてアダムに走ってしまう…可能性もあると思う。
これぞ「勇者」の孤独―ランガは自分を見失っていくだろう。
少々苦しくなってきたところで、今後の二人の関係性のポイントとなるセリフとピックアップしていこう。
暦は「自分の作った最高のボードで、最高の滑りができたら、それって最高じゃねーか」とランガに発言している(1話)
「最高の滑りができたら」の前の主語がないのがポイントだと思うのだ。
暦が作った最高のボードで、ランガが最高の滑りができたら =「最高」
こうなっていく可能性は、1話でも3話でも大いに示唆されていた。暦が「大丈夫」ではなくなり、シャドウに燃やされたボード。ランガはその暦が作ったボードで「大丈夫」を体現してみせたのだから。
そして3話では、暦は自分が作ったイレギュラーなボードについて
「あんなイカれたボードに乗れるのは、ランガくらいだぜ」
とも発言している。
どうしても感覚で滑るランガに対し、分析する暦。(チェリーとジョーの関係にも重なる?)
そして、スノーボードを与えてくれた父の代わりに、スケートボードというスキルも、ツールも与えた暦。
たしかな情報と物質で、ランガの「空っぽ」を埋める素養を、暦は確実に持っている。
(おそらく暦の父は技術者なのでは?身近すぎて暦はその才能に気がついていない可能性がある。目覚めさせるのはランガしかいないと強調したい。)
このことに暦が気が付けるか、ランガが明確な意思を持って暦を欲することができるか…これが二人の関係性がアップデートされるポイントになってくるだろう。
スケートが同じレベルでできる、同じスピードで滑れる、ライバルになれる――それだけが「一緒にいる」価値ではない。
確かにスケートの滑りスキルでは、暦がスライムで、ランガが勇者なのかもしれない。
しかし、パーティーには、勇者だけでなく、魔法使いも、忍者も、騎士もいる。それがいなければ勇者は活躍できないではないか。異なるペルソナを持つ人の集まりだからこそ、パーティは強くなるのだ。
暦は最高のボードを作り、ランガが最高の滑りをする―それだって、一緒にいる価値である。「最高」である。たとえそれが永遠でなくても。
上も下もない、異なる力のかけ合わせこそ、「∞」を生み出すのではないだろうか…
それが暦が1話冒頭で言う「俺の幸せ」につながるのではないか…
と、ありきたりながら、そう思わずにはいられない、暦とランガの関係性である。
まだ3話だというのに、かなり長々と書いてしまった。わからない部分が多いからこそ言葉を尽くしてしまう。悪い癖である。申し訳ない。いつも以上に妄想もひどい。申し訳ない。
何が言いたいかというと、SK∞は面白い、ただそれだけなのである。
「優勝をめざす!」といったたぐいのスポーツものとは一味違う、ライバルたちと切磋琢磨するだけでもない。日常生活とは隔たったところにある、スケートを通して描かれる物語。だからこそどう転がっていくかわからない。
このハラハラドキドキ感を、ぜひ多くの方と共有したい…
そして暦とランガの「最高」に幸福な瞬間を見守りたい…
それを願うばかりである。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
~5話までの内容の考察は以下リンクからどうぞ。