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血と家から考えるアイドリッシュセブン⑦(ネタバレ)

【アイナナ考察記事についてのお願い】
・「二次創作」としてお読みください。ストーリーの展開を保証するものではなく、公式やキャラクターを貶めようとするものではありません。
・アイナナに関するすべての情報を把握しているわけではありません。個人の妄想と願望を大いに含む、一解釈であることをご理解ください。


こちらは、アイドリッシュセブンを「血」と「家」という観点から考察する記事です。初めての方はからご覧下さい。
※直近の「血と家―」の考察記事は⑥↓

久々に「血と家―」シリーズを更新する。4部はストーリーを解読するのに必死で、なかなかテーマで括ることが出来なかったのだ。
4部も完結したので、これまで考察をしてこなかったŹOOĻについて、今回は考えていきたい。


1.狗丸トウマ


作中で最も家族に関する情報が出てこないのが、狗丸トウマである。かわりに、前のグループである「No MAD」から推測していこう。

言わずもがな、「No MAD」はブラホワでTRIGGERに敗北し、結果解散したグループである。その解散までの道筋を振り返る。

人気が低迷し始めたころ、トウマが考えていたのは「技術の向上」であった。ダンスも歌も上手くなっているのに、なぜ人気が落ちるのか……を気にしていた。
ファンが何を自分たちに求めているかがわからなくなっていまったトウマは、ファンの反応に振り回されることになる。

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

強引な方がいいと耳にすればそれに従う、でも下でに出られると嫌だと言われる……こんな繰り返しであったようだ。
つまりトウマは、自分がやりたいアイドルではなく、ファンが求めるアイドルになろうという努力だけを重ねてしまったわけである。

もうひとつ印象的な場面を挙げよう。
3部序盤、七瀬陸との出会いの場面である。アイナナのことは嫌いだといいながらも、咳き込む陸を放っておけない。トウマは決して世話焼きではないと思うのだが、目の前にある問題を放っておけないタイプなのだと思うのだ。言い換えれば、周りに流されたり振り回されたりしやすい

推測するに、おそらく彼は…長男。とはいえ、弟たちを気にかける三月・龍・天たちとは質が違う。なんとなく一人っ子なのではないか…と思うのである。リーダーとしてから回るのも、悪者に徹しきれないのも、期待に応えようとするいい子っぷりも…なんとなく、円満な家庭でガツガツせずに育った感じが滲んでいる気がする。もちろん根はイイヤツ、なのである。

トウマと「家」については推測の域を出ない。とにかく彼に関して情報が少なすぎる
名前が一人だけカタカナであることに意味はあるのか、といったあたりも考え出すとドツボにはまりそうなので、今はこれくらいにしておく(本名は漢字だったりする気がする。他3名以上に家に確執があるのかもしれない…)。
5部でZOOLの家族問題が浮上するとして、一番のダークホースとなるのは狗丸トウマであるとは思う。


2.亥清悠


悠の家族関係については、「拮抗のクォーター」のストーリー中で明かされている。
幼少期に父と母が亡くなり、祖母の手で育てられている。裕福ではなさそうだ。悠がアイドルになる動機はふたつ

・祖母のため(生活を楽にしてあげるという意味で?)
・新しい父親を得るため(=九条の養子になる)

アイナナにしてもTRIGGERにしても、父親に問題を抱えた人物はこれまでも多かった。しかし「父親を得るため」という動機でアイドルを目指す人物は彼が初めてである。
家庭環境としては、四葉環よりは恵まれるものの、なかなか苦しい幼少期であったようにも思う。

その祖母想いの少年は、九条の育成方針により、かなりの痛手を負うことになってしまう。詳細は省くが、結果だけ整理しておこう。

・ファンと一心同体にならず、ファンの挙動に何も感じない→結果、ファンの代わりに九条の反応や評価を、自分の軸にしてしまう

九条が求めたのは、おそらく孤高の存在としてのアイドル
誰にも流されず、誰にも傷つけられず、永遠に君臨できるようなアイドルだ。ここからも、彼が愛したゼロが「ファンと自分との軋轢によって磨耗し、消えた」ということが透けて見える

悠はというと、もともと動機が「九条に気に入られれば、お父さんになってくれるかもしれない」というところにあるので、九条に気に入られたくて仕方がない。大元は、「父に認められたい、父に愛されたい」という欲望に根ざしているのだ。
だから九条の期待通りのアイドルになれているか、というところが彼の軸になったのだった。九条に正解か不正解かの判断を委ねてしまい、自分を介さないアイドル像を結んでしまった。

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

「オレ、九条さんの理想のアイドルになれましたか?」

という問いかけ。これが全てを物語っている。
これに対して九条は「失敗作はもう見ていたくないんだ」と切り返す。つまり、九条は悠の才能や技術を「失敗作」といったわけではない。悠が作り上げたアイドル像が、たった一人九条という人物を拠り所にする、非常に脆いものであったから、「失敗作」だといったのである。

この時、悠はアイドルとしての道を断たれたというよりも、2度目の父の喪失を経験したといっていい。大人を嫌悪する態度も、このあたりにあるのだろう。自分を置いていった大人、自分を見捨てた大人、それらへの不信感が悠の人格を歪めてしまった。
(4部ラストで悠が月雲了がブラホワを見てくれたことについて、真っ先に嬉しそうな感じを出してくるのも、「父親」ポジションの人間に認められるという幼少期からの欲望の影響もあると思う)

それが4部ではだいぶ好転したといっていいだろう。
ノースメイアから戻り、ゼロアリーナ前でファンの女性に声をかけられた際、「ŹOOĻがいてくれてよかった、「オレはオレでいいんだ」って言ってくれてよかった」と言われた場面が象徴的だ。
この場面、悠は堰を切ったように泣き出す。

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

悠にとっては、はじめて「正解」が提示された瞬間であった。しかもそれは、誰かの評価基準による「正解」ではなく、ŹOOĻがありのままでいればいいという答えであった
ながらく大人たちから与えられることがなかった「正解」を得た悠は、ブラホワに向けて他3名を技術的にもバックアップし、鼓舞していく。悠が求めていたのは、賞賛でも評価でもなんでもなく、「存在すること」への赦しであったのかもしれない。「父親」ポジションの人間との決別ができたとは思えないが、それ以外に価値を見出せたという意味では、悠は「家」の問題を乗り越えつつある。

3.棗已波


已波の家族関係についても、「拮抗のクォーター」のストーリーから読み取ることができる。子役時代の様子からそれは見える。

幼少期の已波は、星影で子役の仕事をしつつも、ピアノの方が好きだったようである。ところが母はそうではなかった。已波をあくまでも有名子役として育てようとし、仕事最優先にしていたようだ。
結果、已波は母の期待に応えることに徹し、ピアノについては、突然の休業→ノースメイア留学をするまで、ずっと封印することになってしまう。17〜8歳まで、自分のやりたいことを抑制したのだ。かなりキツかったであろう。

さて、役者としての已波の評価も確認しておこう
「どんな役でもこなしてくれる」…とのことである。
已波自身の自己評価も、「技巧はあるけれど、慣れ過ぎていて、新鮮さがない」ということになっている。それは人生についても、だという。

つまり、彼の人生は「役者の仕事」とかなりリンクしているということではないか。
母から求められる「子役」の顔、観客から求められる「天才子役」の顔、いろいろな作品で求められる「役」の顔……
本当の気持ちを押し殺して、いろいろな顔を演じてきたわけである。プライベートでも仕事でも「演じて」いるのだから、新鮮さもなにもあったものではない。他人が求める、他人を生きているのが、已波の人生である。

振り返ってみると、
トウマは「周囲からの評価に応えすぎて、自分を見失った
悠は「相手(=九条)の評価に応えすぎて、自分を持てなかった
というところであった。
已波もまた、
周囲(=母)からの求めに応じすぎて、自分を生きられなかった
というのである。

ŹOOĻのメンバーに共通するのは、
「他に依りすぎて、己を持てない」
というところなのだろう。

已波は桜春樹の内側に入り込めなかった経験から、いろいろと荒れていたわけだが、彼の死をのりこえ、少しだけ心境に変化があったようである。
悠と同じく、4部のゼロアリーナ前でこんなことを言っている。

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

「巻き込んでください。私はずっと、私を最後まで巻き込んでくれる人を探していたんです」

結局これまで已波を求めてきた人々というのは、彼を巻き込むのではなく「消費」していたに過ぎなかったということだろう。彼が仮面としてつける「顔」を利用していただけで、彼を丸ごと全部巻き込んでこなかったのだ。
そしてそれを桜春樹に求めたが、桜春樹は「俺は俺の人生を生きたい」といい、已波の人生までも背負うことはしてくれなかった

図らずも、罪も、楽しみも、居場所も共有することになったŹOOĻに巻き込まれることで、已波ははじめて、自分が求める人生を生き始めるのである。


4.御堂虎於

もっとも複雑な生い立ちを持つのが虎於である。私の中では、4部に至っても彼が自分の生き方を見出したようには思えていない。

虎於は御堂グループの三男として誕生し、両親に溺愛されて育っている。その溺愛というのがクセもので、いわゆる「ペット」としての可愛がり方だというのである。

御堂グループの跡取りとして期待される兄は、厳しく育てられた。それに対し虎於は、その役目から疎外されている。「好きに生きていい」といわれながら、その行動は制限がかけられる。
つまり、両親は「私たちが何不自由なく暮らせる環境と財力と自由を与えたという証拠」として、虎於を育てたいのである。彼自身が思う「幸せ」は達成されなくてもいい。両親の目から見て、虎於が「幸せ」である状態を保ちたいのだ。

もちろん虎於はそのことには気がついていない。
それゆえに、バックパッカーになりたいだの、兄と同じ大学に行きたいだの、という「自分の希望」を親に申告するのだが、ことごとくNGをくらってしまう。
そうなのだ、彼が思う「幸せ」と、両親が思う「幸せ」には大きな乖離があるのである。

この現象は対両親に限らない。
交際相手にも「そんなの虎於くんらしくない、セレブなのが虎於らしい!」と、イメージを強要されていく。もっとも食い違ってしまったのは、大好きなアメコミヒーローすらも「イメージにそぐわない」としてバッサリ否定されたことであろう。ファンが敵に見えるといった虎於は、ファン=「自分の希望や夢を否定する存在」に見えていたのだろう。

これらの積み重ねで虎於の思考回路は

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                          ©アイドリッシュセブンより引用

この人たちは何をしてほしいんだろう」

に偏っていってしまう。もう「自分が何をしたいんだろう」とは思わなくなってしまったのだ。
月雲了のことばを借りれば

「一方からは君でいるだけでなんでも許されて、一方からは君でいるだけで要求され続ける」

そしてこれは、アイドルそのものだというのだ。

他3名も「他」「周囲」に依存しすぎている、ということは前述したが、それが一番ひどいのが虎於なのである。
「他」「周囲」に依存しながらも、トウマ・悠・巳波は、かすかに残る「自分」を手放さなかった。しかし虎於の場合は、自分を完全に諦めて、忌避してしまっているようなのである。
月雲は彼を「誰にも期待されていないし、君も誰のことも期待していない」と言っているが、私はそれだけではないと思う。虎於は「自分自身に何も期待していない」と思うのだ。

それがわかる言動が、4部ゼロアリーナ前の場面にある。

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

「俺は(アイドルを)辞めたとしても、家に余裕もある。どうにだってなるのさ」

アイドルとしての自分自身の存在ではなく、「家」の価値で自分を測っているのだ。オレ様発言が多いとされる虎於だが、もっとも自己評価が低いのは彼だ。彼の評価は「家」の価値であり、その「家」の人から下されたものなのである。自分自身の物差しで自分ははかれないし、はかれるような価値も期待していない。

しかしここで悠に「解散なんか寂しいって言えよ!」と促され、ようやく虎於は

「寂しいし、後悔してるよ!おまえたちといて、楽しかったから…」

という本音を覗かせる。
ここでもまだ、虎於は自分自身に矛先を向けない。ただ、ŹOOĻを「楽しい居場所」として認定できたところは、少なからず成長した部分だといえよう。ここからさらに、「自分がしたいこととは?自分とは一体なんなのか?」という問いに答えを出していくのは、険しい道のりだろう。

4部に至ってもなお虎於は龍之介に「あんたが嘘をついていたことに理由があるのなら、それを理解できたら…」などと言っているのである。
龍之介は何度も言っていた。その虚像ですらも、仲間と、ファンと、「自分」とで、みんなで作ったものだから、できるのだと。
虎於の場合は、その虚像に「自分」が介在したことがない。最悪なことに、「本当の自分」は行方不明である。自分が虚像であることに無自覚な虎於こそが、「自分に嘘をついている」のである。

それが龍之介にはわかっているから、謝罪に来た虎於に

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                           ©アイドリッシュセブンより引用

「いつも嘘か本当か気にしてる。これから本物の言葉をたくさん浴びて、すぐに見分けがつくようになるといいね。そのために、君自身も嘘をつかないように生きていくんだよ

と言葉をかけているのである。
この言葉の本当の意味に気がつくとき、ようやく虎於はアイドルになれるのだろう。仲間と、ファンと、「自分」とで作り上げる、最高の虚像として、舞台の上で生きることができるのだろう。

5.「ヒール(悪役)」から「革命家」へ

さて、これまでŹOOĻのメンバー4名についてそれぞれ考えてきたわけだが、トウマを除き、やはり「家」「血」の問題は、彼らの根っこの部分に深く刺さっているようである。
そんな彼らは、ŹOOĻという居場所を得たことで、それらを克服していくことになるであろう、

ということで、今後のŹOOĻについても少し触れて、この考察を終えて行きたい。

4部終了時、彼らの置かれた状況を整理する。
・ブラホワではアイナナに敗北
・TRIGGER誘拐事件に関与していた記事を準備したものの、TRIGGERの証言が取れていない
・月雲了任意同行(社長解任、逮捕の可能性あり)
かなり危険な状態である。
TRIGGER関連の記事は、裏がとれなくても出回るのだろうか。出回ってしまったとすれば、かなり危険水域であるといえよう。月雲了の兄が新社長となってすぐに、ŹOOĻをバッシングから守れるとは思えない。
TRIGGERもまた、今更そんな記事が出回ったところで嬉しくはないだろうし、お蔵入りの可能性もある。このあたりは5部を待つしかない。


注目したいのは、3部ラストでのZOOLとTRIGGERの対峙シーンである。
繰り返しになるが、もう一度この場面を見直しておこう。九条天の名台詞である。

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                          ©アイドリッシュセブンより引用

プライドと意地をかけて、ボクはステージに、ファンに対峙した。ボクの体に詰まった経験に空虚さなんてない」

この直前に、八乙女楽が「包装紙に傷が入っただけだ。俺たちの中身は何も変わっちゃいない」と言ったのと、ほぼ同義である。

ŹOOĻの場合はこれまで、正反対の生き方をしてきたと言っていい。周囲から求められる「包装紙」を守ることだけで、中身である「自分」はないがしろにしてきた。
だから、いっときの感情や空虚な自分を月雲了に預け、彼が求める「ヒール」を、簡単に演じてきてしまったのだ。

彼らはまだ、包装紙の中身を晒していない
アイドルとしての彼らの体は、ある意味空っぽなのである

これを埋めていこうというのが、5部以降のŹOOĻであろう。


具体的にどう埋めていくかというところも考えていこう。

簡単に言えば「積極的ヒール」「自発的ヒール」というものになっていくのではないかと思う。
これまでのように、TRIGGERの敵、TRIGGERに復讐するヒール……というネガティブな悪役ではないという意味である。
何か大きなものに従順になるのではなく、「俺は俺」だと、自分を貫けるのがŹOOĻのイメージ。人を恨んで妬んでひねくれるのではなく、「抗う」のである。表面的な反発やアンチ感情ではなく、4人が本当に欲していることを前面に出すことで、それはいつしか「ヒール」ではなくなるはずだ。それこそ、「革命家」のようになれるはずだ…
Bang!Bang!Bang!の歌詞でも「抗えよ!」と言っていたではないか。TRIGGERとはまた違ったスタンスの、革命の武器に彼らはなれるはずなのだ。

ŹOOĻがもしも革命の香りをまとうグループになれたとしたら、Re:valeが進める「ハッピーアワー」計画の追い風になるのは間違いない。やはり5部は、アイナナと革命サイドで一悶着あるのではないか……


もうひとつ、彼らの場合は、本編ストーリーで家族や家の問題がが全くからんできていないのが気にかかっている(「拮抗のクォーター」で出てきた家族のはなしも、結局は「過去」でしかない)。現在の彼らに「家」の問題が再度介入してくることで、もう一段階、彼らレベルアップするように思える。

例えば悠は、祖母が健在なら、彼女に喜ばれることで承認欲求が充たされるだろう。巳波も、優等生役者ではなく、革命家のような激しいアイドルとしてほ姿を母に認められたら、気持ちの整理もつくだろう。
何よりも虎於だ。彼の「無自覚アイドル」性質は、「家」の問題を介さずして根本的な解決はのぞめない。逢坂壮五のように親の反対があり、それに抗うようなことがあれば、あるいは……

そして、「家」に向き合うことで、他ならぬ「自分」というものに、彼らが向き合える気がするのだ。彼らが本来の「自分」と向き合い、アイドルとしての「自分」を確立してくれることを、期待したい。

ということで、他のグループに比べるとかな少ない情報から、無理やり考察を垂れ流してしまった。いつものことながら、お見苦しいことこの上なく、大変申し訳ない。
アゲて落とすのがアイナナの日常であるので、ŹOOĻもこのまま穏便に行くとは到底思えない。何か一波乱あるはずだが、とにかく、彼らはグループとしても、個人としてももう少し幸せになってもらいたいものである。せめて自己肯定感を与えてあげてほしい。


長文におつきあいいただきありがとうございました!

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