【まほやく 東バラッド考察】愛すべき「傷」⑨(ネタバレ)
バラッドイベント最後にして、また東と南がきてしまった。
思い出すのは、向日葵のエチュード…私がフィガロのしんどさに打ちのめされたあのイベントである。
ところが、今回はシノとヒースクリフに主軸が置かれていたため、恐れていたほどの致命傷は受けなかった。その一方で、この直前に読んだ1周年イベストの重みが増してしまった印象である。
今回は、東バラッド→1周年イベスト、という時系列であるという前提で、宝剣/泡沫/向日葵イベストを見直しつつ、フィガロについて考えをまとめておきたい。主に彼が「強さ」と「弟子」をどう考えているのか……について触れる予定である。(東バラッドは割合としてはかなり少ない)
以下、各種ストーリー未読の方は盛大なネタバレにつき、十分にお気をつけいただきたい。不快に思われる方はUターンをお願いしたい。また、毎度のことであるが、カード・親愛ストーリーは全く読んでいない上での妄想である。ご容赦願いたい。ほぼ二次創作である。
また、記事中の画像は全てゲームアプリ内の引用である。
※過去のフィガロ考察記事を踏まえているため、未読の方はお手数だがご一読いただきたい。
・【まほやく 南訓練イベ考察】愛すべき「傷」④(ネタバレ)
・【まほやく 東訓練イベ考察】愛すべき「傷」⑤(ネタバレ)
・【まほやく 中央バラッドイベスト考察】自分の在り処(ネタバレ)
・【まほやく1周年イベ考察】愛すべき「傷」⑧(ネタバレ・フィガロ/ファウスト編)
1.「強さ」という空虚―フィガロ
今更言うまでもない事だが、フィガロは北の国の魔法使いである。強い。しかし、今はその力を隠して生きている。
本当に今更だが、なぜ隠しているのだろうか。私はこれまで「南の魔法使いたちと共に生きるため」と考えてきたが、もっと踏み込んで考える必要があろう。なぜ「強い」と、誰かと共に生きられないのだろうか。
ヒントは泡沫イベストにある。
本当の自分(強い北の魔法使いの自分)を、隠すのはなぜか、というムルの問いかけにフィガロが答えている。
「俺を見上げる尊敬や畏怖の眼差しはぞくぞくするけど、飽きるんだよ」
この「飽きる」という言葉。これは東エチュードでファウストが口にしていた。
「どうせすぐ飽きるくせに干渉するな」
なるほど…フィガロの言葉は誤解を生みやすい。
ファウストのもとを離れたのは「飽きた」からではない、「諦めた」からだ。
フィガロのいう「飽きた」というのは、言い換えれば「虚しさ」だろうと思うのだ。
フィガロがその「強さ」を誇示すればするほど、相手はフィガロと距離を取ってくる。それはフィガロが望むものではなかったのだ。
オズを超える「強さ」はない、オズ未満の「強さ」を振りかざして得られるのは、1人でいた時よりも色濃い、遠ざけられる孤独である。
フィガロは長らく、居場所のなさに苦しんでいたのだと思う。だからふらふらと彷徨い、相手に対して善悪どちらのアクションも起こしたのだ。何を相手に与えて、自分の何を見せれば、寄り添ってくれるかわからなかったから。
その希望となったのが、「強さ」を求めないファウストだったのは想像に難くない。ところが、フィガロは、ファウストを想うがあまりに、「俺の知る全てを残そうと」してしまった。
フィガロの優しさも、愛も、願いも、苦しみも……「強さ」も全てだ。
結果、ファウストは「(フィガロを)心から敬い、尊敬していた」という心境に至る。
ファウストがフィガロの何を尊敬していたかはわからない。しかしフィガロは「傷ついた」という。少なくともフィガロは、これまでと同じように「フィガロの「強さ」に対する尊敬」だと感じたのだ。ファウストはその「強さ」を持ってして、アレクと革命に身を投じたのだから。
共に世界を見守る可能性が潰えたことを感じ、虚しさと未練を抱えたまま、フィガロはファウストのもとを去った。そこには自身の「強さ」を呪うような想いがあったように思うのだ。それが彼を南の国へと導き、現在の在り方を形成させたのだろう。
そして心の奥には、「強さ」のせいで叶えられなかった「魔法使いと人間が共存する世界」への未練が残った。
こうしてフィガロは「強さ」を封じたのだと思うのである。
2.「強さ」への恐れ―ファウスト
対するファウストの「強さ」に対する思いも少し考えておこう。
ファウストもまた、革命時の「強さ」を現在は封印している気配がある。不自然に長い呪文、攻撃魔法をほとんど使わない姿勢……フィガロの全てを教えられたのに、現在のファウストにその片鱗は見えない。
ファウストが「強さ」を封じるのは何故なのだろう。
やはりここにはアレクの存在を見ざるを得ない。宝剣イベストを見直してみよう。
革命の影響で「人間の仲間になる魔法使いは、人間に尽くすべき」という思想があるという。
ファウストはいかにしてアレクに尽くしたというのか。聖職者のように祈り、癒したのか……いや、違うだろう。
革命の片鱗が最も見えた向日葵イベントでは、ファウストは甲冑付きの軍服を着ていた。恐らく、ファウストはそのまま武力という「強さ」でアレクに貢献したように思う。
ここからはただの妄想だが、アレクの裏切りの契機のひとつとして、「ファウストの「強さ」への恐れ」があったのではないか。
革命が成功した暁に、今度は魔法使いが人間を潰すのではという疑念……ファウストの強さを目撃したことで、そんな恐れが浮上してしまった可能性はある。
だとすれば、ファウストが「強さ」を忌避するのは当然と言えよう。かつての悲劇の引き金が「強さ」なのだから。
途中でファウストから離れたのフィガロは、きっとこのあたりを詳細に理解出来ていない。最後までそば近くで見ていたレノックスは、わかっているからこそ、彼を守り、「強さ」を武力として行使させないように気遣うのだろう。
いずれにしても、フィガロもファウストも、自らの「強さ」によって得た「傷」をいまだに引きずっている…と考えて良いように思うのである。
3.「強さ」を教えること―ミチル
東バラッドに限った話ではないが、本作冒頭から貫かれているのが、ミチルに「強い魔法」を教えない、というフィガロの姿勢だ。
もちろん。ミチルがチレッタの息子で、強大な魔力を秘めているため…の予防線としての抑制とも考えられる。とはいえ、前述したように、フィガロが「強さ」を忌避しているのだとすれば、もう少し感情的な理由もあるのだと思うのだ。
言うなれば、フィガロにとって自身の「強さ」を弟子に教えることは、最終的には虚しさを呼び込む行為になってしまっている。
オズにかなわないのも「強さ」、教え子から畏怖され、距離を置かれるのも「強さ」
…だとすれば、相手との良好な関係を願うほど、フィガロは自身の「強さ」を相手に教えることをためらうのも、致し方ないと言える。
フィガロのこのやり方は今のところ成功しており、ルチルとミチルは「フィガロ先生大好き」とはいうものの、強い尊敬や畏怖の念は抱いていない。
図らずもファウストに「強さ」を教えてしまった経験をしたフィガロは、今度こそ自身の居場所を得ようとしてるのだろう。泡沫イベントでも、1周年イベントでも、「強さ」を見せないのは、それを「尊敬する」「教えてほしい」と言われるのを避けたいがためなのだ。
ミチルに危険が及ばないように…と「強い魔法」を教えないフィガロの背景には、これ以上「強さ」で傷つきたくない、彼のエゴが潜んでいる。
そしてもちろん、自分が目を背けてしまったファウストの末路も、ミチルへの態度に影響していよう。
ファウストが「あんなこと」になってしまったことを知ったフィガロは、それがすべてアレクのせいだとも、ファウストのせいだとも思わなかったように思う。自分が「革命に加担できるほどの「強さ」を教えてしまったから」と思ったように思うのだ。
ミチルに「強い魔法」を教えないのは、彼がファウストのような悲しみを背負わないため…ファウストを見捨てる形になったしまった贖罪を、ミチルを通じて果たそうという側面もあるだろう。
…いずれにしてもエゴと言わざるを得ないかもしれないが、それもまた、未練だらけでぐちゃぐちゃなフィガロらしいではないか。
4.形を変える「強さ」
フィガロの中に根強くあると思われる「強さ」への抵抗感。東バラッドイベントで、そこに転機をもたらしたのも、やはりミチルであった。
実は2匹いたブテラグロッサのうち、一匹が南の魔法使いたちを襲った時、フィガロは「強さ」を見せまいとして、単独で残ることにする。しかしそこでフィガロを案じたミチルは、持参していた薬の瓶をブテラグロッサに投げつけ、弱体化に成功するのである。
自分は「強く」ない、でも、できることはある―と。
これを見たフィガロは、感慨深げにつぶやく。
「子供の成長って早いなあ。まだ赤ちゃんみたいなものだと思ってたのに、自分で考えて行動できるようになるんだから」
例えばこのとき、ミチルが、ひそかに練習していたフィガロっぽい「強い」魔法を使っていたとしたら…フィガロはこう思わなかっただろう。魔法ではなく、「薬」だった。ここがポイントだと思うのである。
フィガロにとって善きものとはいいがたい「強さ」。この一部を教わったミチルは、それをそのまま行使するのではなく、別の形に変換してみせた。いわば「知恵」という、別の「強さ」にしてみせたのだ。フィガロは、自身の「強さ」が、善きものに昇華されていく可能性を、ここに見出したのではないか。
その後、単独でブテラグロッサを倒したフィガロは、南の魔法使いとは合流せず、先に進んでいた東の魔法使いの方へと向かう。フィガロが姿を現すのは、シノとヒースクリフによる討伐が終わり、ファウストが怪我人を回復し終わってからだった。(ネロが「もう少し早く来てほしかった」と発言している)。
都合のいい妄想になってしまうが、この時、フィガロは「早く来て」いたのだと思うのだ。そしてシノの様子も、ヒースクリフの様子も―治癒魔法に徹するファウストの様子も、しっかり見ていたのだと思う。
私の知る限り、1周年イベントを含めても、ファウストが治癒魔法を使う様子をフィガロが見るのは、ここが初めてであったのではないか…と思うのだ。(向日葵イベントでも、単独の治癒魔法は目撃していない)
ファウストとの間に溝を作り、フィガロが虚しさと孤独を抱える原因となった、「強さ」。
フィガロの強さはファウストの中で多少形を変えながらも、彼の治癒能力として引き継がれていることを、フィガロは初めて視認したように思うのだ…(ボリスはかなり重症であった)
ミチルに抱いた「成長」への思いは、ファウストにも向けられたはずであり、ここでもフィガロは、自分の「強さ」が、少なからず善きものに変換されていると感じられたように思う。
だからこそ、フィガロは1周年イベントで、ためらうことなくファウストを「弟子」と呼べたのではないか。
4.道しるべとしての「灯火」―帰る場所、たどり着くべき場所
「強さ」への抵抗が薄まったからといって、フィガロが抱える問題がすべて解消されたわけではない。このあともフィガロはミチルに「強い魔法」は教えないだろうし、ファウストもまたフィガロ直伝の「強い魔法」は使わないだろう。
果たしてそれは、本当に彼らの幸福なのだろうか。
「強い魔法」は、「たしかな心を、自分で制御できるからこそ使えるもの」だという。
「強い魔法」を避けるフィガロとファウストは、「たしかな心」が欠けている、ということになろう。心をぐらつかせているのは、四百年前の革命前後―これが原因で間違いない。これはまだまだ解決に時間がかかる難事案である。
とはいえ、向日葵イベントで「師匠はいない」と発言していたファウストを考えると、フィガロとの関係は良好になっていきている気がする。もしも二人が「強い魔法」を解禁することがあるなら…そこではじめて、「強さ」にまつわるすれ違いを、二人は解消できるのではないかと思っている。
向日葵イベントでファウストは「フィガロが僕を石にするはずだ」と言った。
そして東バラッドイベントでは、フィガロには森の入り口近くに残るように言い、「火を焚いて、戻るべき場所の目印になってほしい」とした。
以前も考察したが、四百年たってもやはり、ファウストにとってフィガロは「最後に帰るべき場所」なのではないかと思う。どんなに悪態をついても、それだけの尊敬(と、僅かな信頼の記憶)がそこにはある。「強さ」に対してだけではない、もう少し深い尊敬が…まだ残っているように思うのだ。
ファウストが道に迷い、「隠者」のタロットカードのように、一歩も進めなくなったとき、手に掲げる「灯火」のように、フィガロが道を照らしてくれる。。。それこそがファウストが求めた、フィガロとの関係だったように思う。
フィガロにとってもファウストが「灯火」になってくれたら、彼は真っ直ぐに生きられたことだろう。
共に戦う同志にはない、それこそ、「永遠の命の虚しさを幸福に変える」ような関係性が…あり得たのではないか。
フィガロが石になってしまえば、それはかなわなくなる。確かにファウストは、フィガロを継ぐ者だと思う。
だが、それはフィガロが石にならなくても可能なことではないのか…互いが互いの「灯火」となり、新しい世界への道を照らし、歩んでいくことができるのでは…と思わずにはいられない。
またしても、酷い妄想を書き散らしてしまった。こんなに言葉を尽くしても、いまだにフィガロの完全救済ルートは見出せない。困った魔法使いである。彼の幸福を願ってやまない。いいかげんSSRを迎えたい。
東イベントだというのにフィガロのばかり言ったので、少しだけ東のことを補足しておこう。
神々による考察により多く指摘されているが、今回際立ったのは、シノの「オズ化」であるように思う(容姿だけでなく、行動なども)。
南と東のバラッドイベントを通して注目されたのは「魔法使いの体の一部」。そして1周年イベストでは、オズの「血」を受けたアーサーが「オズ化」していた。
これは、師弟関係にある「教育」とは、似て非なる「継承」の形であることは興味深い。「教育」とはいわば精神的なつながりであるのに対して、体の一部の共有には精神のつながりは一切ない。しかし、後者のほうがつながりとしては強力だ。
第二章メインストーリーでは、このあたりがクローズアップされる気がしている。だとすると、すでに肉体のつながりがあるカイン/オーエン、シャイロック/ムルはどうなってしまうのか…(これ以上はやめておこう…怖い)
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!