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【まほやく1周年イベ考察】愛すべき「傷」⑧(ネタバレ・フィガロ/ファウスト編)


改めまして、「魔法使いの約束」1周年おめでとうございます。
前記事に引き続き、1周年イベスト考察を垂れ流していく。大本命が前回とりあげたカイン・オーエンだとしたら、私の中での大穴はいつもフィガロである。いつも彼にはしんどい思いをさせられている。SSRも来ない。

今回もやはりそれなりにしんどかった(とはいえ、東訓練イベスト・南バラッドイベストを乗り越えたので、ダメージはいくらか少ない)

今回注目したいのは、治癒魔法を使うフィガロ、フィガロの子弟関係…というところである。これまでのフィガロ記事を前提に考察していくため、未読の方は過去記事をご一読いただけると大変ありがたい(特に東訓練イベスト

【参考】フィガロに関する過去の考察記事
・【まほやく 南訓練イベ考察】愛すべき「傷」④(ネタバレ)
【まほやく 東訓練イベ考察】愛すべき「傷」⑤(ネタバレ)
【まほやく 中央バラッドイベスト考察】自分の在り処(ネタバレ)


以下、各種ストーリー未読の方は盛大なネタバレにつき、十分にお気をつけいただきたい。不快に思われる方はUターンをお願いしたい。また、毎度のことであるが、カード・親愛ストーリーは全く読んでいない上での妄想である。ご容赦願いたい。ほぼ二次創作である。
また、記事中の画像は全てゲームアプリ内の引用である。


1.癒せるもの、癒せないもの


今回のイベストでは、フィガロの医者(癒し手)としての側面が、だいぶ注目されていたと思う。これまで医者だ医者だとは自己申告していたが、こんなに治癒魔法をしっかり施したのは初めてなのではないか…(実はちょっと疑っていた)

まずはおさらいとして、スポットエピソード(フィガロの得意な魔法)から確認していく。
意外にも、身体についての治癒魔法ではない。

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「思考を支配することと、傷ついた心を修復すること」

二種類挙げているようだが、私はこれは「ひとつ」だと思う。
傷いた心を癒すというのは、少し見方を変えれば、「傷ついたという思考を消す」ことにはなるまいか。それは記憶の抹消なのか、あるいは考え方自体を捻じ曲げるのか、精神性を強化するのか、なんなのかはわからない。
とはいえ、その人の「心」に、なんらかの細工を施してしまうことには違いない。

さすが北の魔法使いである。治癒魔法といいつつ、大変暴力的ともいえる。

さて、ここで気になることがある。
フィガロと縁が深い魔法使いが、大きく心を痛めているではないか。

ファウストである。

しかし、彼の心の傷はまったくといっていいほど癒えていない。今でも火刑の夢を見て、石になった仲間への罪悪感を抱え、「未来がない」などと自分を戒めている。

なぜフィガロはファウストの心の傷を癒さないのだろうか。まっさきに癒して、アレクの記憶ごと彼の中から消し去れば簡単ではないか。
おそらくそれは、ファウストそのものを「変えてしまう」行為だからなのだろう。

東訓練イベスト考察でもさんざん述べたのだが、フィガロはファウストという存在に救われていたい節がある。彼の存在により「まっすぐ」に生きる可能性を見出したというのだから。
たとえ彼の心の傷を癒すためとはいえ、ファウストの中から、革命に加担した記憶などをすべて消してしまえば、ファウストがフィガロのもとに「強くなりたい」ではない弟子入り志願をしてきたことさえ、消えてしまう。

フィガロが「天命だと思った」ファウストという存在が、ねじ曲がってしまう。

フィガロはファウストの「傷」から目を背け、彼を癒すことなく…そして、自分自身も「傷」を抱えてたまま生き続けているというわけだ。
痛みを抱えたまま、ファウストに「頼ってよ。もう裏切らない、約束する」などと告げる。
力でも魔法でもなく、「心」でつながりたいと切望するフィガロ。だが、フィガロは本当の心の傷の癒し方を、たぶん知らないのだ。そこにはきっと魔法は必要ないのに…だからこそ、彼には途方もなく難しいのだ。
やはり彼は北の魔法使いだ。

ちなみに、スポットエピソード(ホワイトへの印象)にも、フィガロのこの考え方が垣間見える。

「親密な相手ならなおさら、魔法を使った瞬間、何もかも偽物になっちゃうじゃない」

癒せるのに、癒せないもの、癒したくないものを抱える。それがフィガロである。


2.切なる「道楽」


フィガロの発言で今回重要だと思ったのは、南の魔法使い/医者として、あたかも弱い力しかもたないように見せていることを、彼が「道楽だ」としたことである。

これに対しスノウは、「道楽なんてものじゃない、もっと切なるものだろうに」と発言。おそらくこちらが正解だ。

フィガロがいう「道楽」がなんなのか、もう一度よく考えてみよう。
本来の魔法の力を隠し、南の魔法使いの医者として、人間と親しく、ミチルやルチルと一緒に生きる…ということ。
恐らくこの「共存」というあたりがポイントだろう。北の魔法使いにとっては、それはもっとも望まないことであり、北出身のフィガロがそれを求めるのは「道楽」と言わざるを得ない。

何度も言うが、フィガロは、「誰かと共に生きること」に一度失敗している。ファウストだ。ここでもやはりファウストなのだ。
恐らくファウストの時は、北の魔法使いらしさを隠していなかったのだろう。今回のイベストでもファウストは「ケンカの売り方」について

「お前にさんざん教わったからな」

と発言している。
今のフィガロが南の魔法使いにそれを教えているとは思えない。
隠しているのは、敢えて教えないのは、「共に生きる」ためだ。

ファウストのときにはうまくいかなかったことを教訓に、フィガロはひらすら必死に「道楽」に励んでいるのだ…
その結果、ルチルは「(道楽に)いくらでもお付き合いしますよ!私たちは先生が大好きですから!」と言ってくれている。フィガロの努力のたまものといえよう。
ただし、この言葉がまだ、ルチルがフィガロの本質を理解した上での発言ではないところが、なかなかにしんどいところである。二章では、まずはルチルから「本当のフィガロ」を理解し、彼を受け入れてもらいたいものである。

それが叶えば、スノウがこの「道楽」を「神のまねごと」だなどと揶揄することもなくなるはずだ。今のままでは所詮、フィガロはルチルやミチルと同じ地平には立てていない。果たしてそれは本当の意味で「共に生きている」と言えるのだろうか…と暗にスノウは言っているのだろう
フィガロは、彼らが心地よいように自分を飾り、彼らが共に生きることを放棄しないように、領導しているにすぎない…今は、まだ。

いや、それよりも何よりも先に、ファウストがもう一度フィガロと向き合うことが大切だと思っているのだが…
とはいえ、今回のイベスト終盤、だれもフィガロ自身の怪我や傷に言及しないなか、ファウストだけが

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「人の治療ばかりしておまえにけがはないのか?」

と声をかけていたのは重要であろう。
南バラッドイベストでも考察したが、フィガロは自己犠牲を厭わない傾向にある。しかし、そのことに気が付いている魔法使いは少ない(スノウ・ホワイトくらい?)。
そんな中でファウストが、フィガロの「身」の傷を気遣ったのは大きな進歩といえるかもしれない。ところが、フィガロがより深く傷ついているのは、「心」なのである。ファウストにはもう一歩踏み込んで、フィガロの見えない「傷」に気が付いてもらいたいものである。


3.弟子の在り方―アーサー、ルチル、ファウスト


今回のイベストのフィガロ周辺で印象的だったのは、「弟子」との関係性の描かれ方だった。特にストーリー終盤で魔法使いたちが一旦グランヴェル城に集まる時がわかりやすかったように思う。

カインの治癒のために城に戻ってきたフィガロ。交代する形で、アーサーは単独でミスラと共にリヴァイアサン討伐に向かうという。ここで、魔法が使えないものの彼に寄り添っていたオズは、アーサーを止めようとしている。
そこで唐突にフィガロはアーサーの顔を見て、「きみもどうか無事で」と言って送り出す。

フィガロ曰くこの行為は、「オズがパッとできないことを手早くやってあげた」のだという。
果たしてそうだろうか……私はここに大いにフィガロの願望が含まれている気がしてならない。事実、オズは送り出すのをためらっていたではないか。

その場には、ルチルとファウストがいた。
言うまでもなく、フィガロを「先生」と呼ぶルチルは、彼の弟子……である。

前述したように、ルチルとは「共に生きる」ことは、表面上できている。ただし、フィガロはルチルにその魔法のすべてを教えてはいない。これを「弟子」と言いきれるかどうか。

確かにルチルは治癒魔法が得意で、フィガロの魔法を受け継いでいそうではあるのだが、同時にあくまでも「助手」というポジションであることがフィガロの口から述べられていた。
もしもフィガロがルチルに、自分の何もかもを教授していたのであれば、リヴァイアサン撃退のための材料集めも、シノやヒースクリフの治療も、ルチル単独で行かせてよかったではないか。フィガロの「弟子」として。
しかし、フィガロはそれをしていない。ルチルがまだ若い魔法使いだということもあろう…だがやはり、何か溝のようなものを感じずにはいられない。

フィガロはルチルやミチルと「共に生きる」ことを望みながら、今回のようないざというときに、彼らを「守る」という名目で彼らと距離をとる。そういう時、フィガロは二人を「弟子」ではなく、「庇護対象」として見るようにしている節があるように思う。だから一人で送り出すようなことは、決してしない。オズがアーサーを送り出すのを躊躇ったのと同じだ。

フィガロがルチルには任せなかった材料集めを頼んだのは、ファウストである。同じく彼も治癒魔法が使える。
フィガロはここではっきりと、ファウストを「弟子」として扱う。ルチルが「助手」扱いだったのとは、対照的だ。
そしてその後、賢者を捜しにいくファウストに対して「付き合ってあげたい」としながらも付き添わない。かわりにシノとヒースの治癒を引き受け…

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「きみも気負いすぎず頑張りなさい」

と送りだす。
この直前、フィガロがアーサーを送り出し、「君もどうか無事で」と言っているのが、ファウストへの態度のヒントになっていると思う。

アーサーはルチルと同じくらい若い魔法使いだ。いくらフィガロでも、ミスラですら手こずるリヴァイアサンのところに送り出すのは、躊躇するところだろう。
ところがこの時のアーサーはいつもと違った。

オズの血を得て、その魔力を一時的に、その身に受け継いでいたのだ。

だからフィガロは送り出せたのではないか。
この考え方をファウストに当てはめてみよう。


ファウストは、フィガロが自分の持ちうるすべてを教えた「弟子」である。だから、賢者の救出を託し、送り出すことが可能なのである。

オズの血を受けたアーサーはわかりやすく「オズの分身」である。
フィガロはファウストに血こそ与えていないが、「魔法を教える」という行為で、やはり……
「フィガロの分身」
と思っているところがあるのではないか。
それはもちろん単なる庇護対象ではあるはずがない。フィガロにとっての最大の理解者であり、「共に生きる」……はずだった「弟子」である。

だからこそ、フィガロの彼への未練はいまだに消えず、孤独を抱え続けているのではないか。
今回のイベストから透けて見えたのは、いかにフィガロが、ファウストを「共に歩むもの」として育てていたかという、切ない過去であったように思う。

ファウストを庇護(守護)対象としているのは、レノックスである。今回のイベスト中でも、ひたすらファウストが傷つかないように彼を守っていた。南バラッドイベストでも考えたが、フィガロは誰かを怪我から守る、という小さなことではなく…もっと大きな望みを叶えたり、即物的ではない方法で守ることに、自分を犠牲にしていく傾向にあると思う。それゆえに、そば近くで守護する役割は、レノックスに預け渡しているのであろう。


4.フィガロを継ぐ者

前述した通り、フィガロがファウストを「弟子」と呼ぶ背景には、彼の中に自分を刻み込んだ「分身」としての意識が少なからずあると思う。
いわばファウストは、「フィガロを継ぐ者」である。

フィガロの治癒魔法が注目された今回のイベスト。今後の懸念として浮上してきたのは、フィガロがいなくなったら、だれが治癒するのか…というところである。これは賢者の魔法使いのチーム的に大変不安なところである。
前述したとおり、ルチルではちょっと不足…北の魔法使いには無理、となると…やはりファウストしかいない

思えば、今回オヴィシウスのもとに乗り込んだファウストには、まったく卑屈さはなく、堂々と敵と対峙していた。

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私はここに、「優しい医者」の仮面がはがれた時の、フィガロの雰囲気を感じた。紛れもなく、ファウストはフィガロの「弟子」なのだ。

振り返れば、東訓練イベストでは、最後にファウストがルチルとミチルに魔法を教えるシーンがあった…それを見てフィガロは微笑んでいたのだった
それはまるで、自分の代わりに…ファウストがやってくれることを喜ぶように。

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そしてフィガロの望み、これが重要である。
再びスポットエピソード(ホワイトへの印象)を引用しよう。

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「誰かの望みが俺の望みになって、俺の望みが誰かの望みになることを、手に入れたいと思ってるんだよ…石になるまでにね」

…これはまた…だいぶしんどい展開になってきてしまったのではないだろうか…

フィガロはとにかく、消えるつもりである。
石になるのか、厄災と心中して消えるのか、その方法はまだわからない。
己が消えるその日までに、上記の願望をかなえようとしている。
フィガロの望みは、かつてファウストが望んだ「人と魔法使いが共に生きる世界」の実現(東訓練イベスト記事参照)。つまりそれをもう一度、ファウストの望みにしようというのだろう。

そしてその願望の中にはもちろん、ルチルやミチルと穏やかに生きるというフィガロの望みも含まれている。しかし、フィガロ自身が消えるのであれば、それはかなわないように思う。
私はこれまで、フィガロが新世界の礎になることで、大きな意味で彼らを見守り、欲を満たすと考えてきた(それこそ「神」のように!)が……少し違う可能性もあるかもしれない。

フィガロは自分自身を、ファウストに継承させることで、今度こそ共存を実現しようというのではないか。
フィガロを身の内に抱えたファウストが、新世界で生き、ルチルとミチルを見守り、世と自分自身を癒して生きていくこと…
それを叶えようというのではなかろうか…

フィガロが消えるとき、ファウストはフィガロの「血」を浴びるのかもしれない、彼の一部を食べるのかもしれない……いずれにしても、それは強烈にファウストに刻み込まれ、彼の「傷」となるだろう。
ファウストが「人と魔法使いが共存する世界」において、「傷」と共に生きることで、フィガロの望みはかなうと言える。
…だとすれば、シャイロックとムルを超える、「同化」願望と言えるかもしれない。底知れない欲望が、まだフィガロの中には眠っているように思う。

フィガロのタロットカードは「審判」
これは最後の審判の図像で示されることが多い。失われていた価値が「復活」するという解釈がなされるカードである。死神のカードとはニュアンスがことなる、再生のカードなのだ。

フィガロがファウストに自分の存在を刻み、自分を犠牲として「復活」させるのは何か。
かつてあったかもしれない「人と魔法使いが共存する世界」―それはファウストが過去に置き去りにしてしまった夢である。
ファウストのタロットカードは「隠者」。隠者は自分の殻に籠り、過去を見つめてその場には留まるカードである。

フィガロはファウストを「フィガロを継ぐ者」とすることで、ファウストに前に進む力を取り戻そうとしているのではないか。明るくあたたかい場所に続く道を、ファウストに再び歩ませようとしているのだと思うのだ……


またひどい考察を書き散らしてしまった。申し訳ない。フィガロについてはとても考察が難しく、まだまだ分からない部分が多いのでついつい……
とはいえ、南の国の魔法使いと同等、あるいはそれ以上にファウストが重要であることは、間違いないと思うのである。
訓練イベ、バラッドイベ、1周年イベを通してさまざまな角度から考えてきたが、妄想の域を出ない。二章で明かされることを期待したい。明かされてくれないと、しんどすぎてゲームを継続することが困難である。
ちなみに、フィガロSSRは一向にお迎えできない。


…ということで、2つの記事に分けて「まほやく」1周年記念イベントストーリーを考察してきた。ますます奥深く、謎が多く、でも心惹かれる素敵なお話になってきたように思う。
本作がますます盛り上がっていきますように…!

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!

(2020/12追記)
東バラッドイベスト後、これまでのイベントを振り返りながら補足で考察しました。よろしければ↓


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