【富豪刑事BUL考察】フィジカルなバディと「ヒーロー」からの解放(ネタバレ)
遅ればせながら「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」を視聴した。
途中で放送中断が入り、おそらく話数も少し滅減してしまったのだろう。惜しい。もう少し深めたり広げたりできる要素が多くある。2期は無理でも、OVAや劇場版は検討してもらいたいものである。コンパクトに収まったことは素晴らしいが、本当に惜しいのである。特に後半の駆け足気味だった部分は、あと2話くらいかけてじっくりお願いしたかった。
少しでも本作への愛と感謝を伝えるべく、考察記事を垂れ流しておきたいと思う。
本作が放映されていた時期は、奇しくも「バディもの」が多く放送されていた。星野源・綾野剛の「MIU404」などがその筆頭であろう。本作も、原作との大きな違いとして、加藤春と神戸大助の「バディ」があると思う。ニュースサイトなどではこの二人が「異色のバディ」だなんだと言われていたが、果たしてそうか…?
私は、これぞ王道、正統派のバディだと思ったのである。
ということで、加藤春と神戸大助というバディについて、「肉体」「ヒーロー」という観点から、考察していきたい。
大変なネタバレをする予定であり、本作のファンの皆様には見当違いな考察かもしれない。また、原作は遠い昔に流し見をした程度(のニワカ)で、各種媒体が提供している裏話などは見ていない。つまり考察の皮をかぶった妄想である。嫌な予感がする方はUターンをお願いしたい。
(画像はすべて©筒井康隆・新潮社/伊藤智彦・神戸財閥からの引用である)
1.加藤春と神戸大助―異世界の同族嫌悪
さて、メインの二人のプロフィールを簡単に確認しておこう。
◆加藤春
「現対本部」所属の警部補。もともとは捜査一課にいたが、監禁事件で発砲した際に誤って重傷者を出したことがきっかけで、銃を撃てなくなり、異動。浪人経験があり、質素なアパートで節約生活をしている。料理ができる。フィジカルは強め(無理が効く)。29歳
◆神戸大助
「現対本部」所属の警部であり、超財閥大富豪「神戸グループ」の御曹司。一人っ子、両親は8歳前後のころに他界している。大学時代までイギリスに留学しており、おそらくボクシングで何らかの賞を得るほどの実力者。「専門的な教育」を受けた上で、母の死の真相を知るために日本の警察に乗り込んでくる。天然、納豆が嫌い。27歳
こう並べてみると、「正反対な二人だ」という感想が真っ先にでてくるのはわかる。確かに生きる世界が違う(金銭感覚という意味で)。しかし、作中で加藤は「犯人を捕まえるという一点でお前を信じている」と神戸に言っているように、すべてが食い違っているというわけではない。平たく言ってしまえば、「根っこの考え方は同じだが、アプローチの方法やプロセスが違う。着地点は再び同じ」というところである。
私なりの言葉で言わせてもらえば、二人のケンカップルっぷりは、「異世界の同族嫌悪」とでも名付けたいものなのである。
さて、次に二人の「実は似ている」ところを見ていこう。
2.握り拳と使用言語の違い
私はいつもひとつの作品を見るときに、「目」と「手」に注目してしまう性癖(笑)があるのだが、今回もまた観察してしまった。本作で注目したいのは加藤と神戸の「手」である。
二人がまったく同じポージングをする、動作をする、ということは非常に少ないのだが、ひとつだけ、同じところがあった。それは「握り拳」である。
神戸、加藤、それぞれ2回ずつギュウッというSEつきでこぶしを握っているのだ。一か所ずつ取り上げてみよう。
長さんの敵を討ちたい加藤が、神戸に対して詰め寄り、「お前は捜査にかかわるなと言われたはず」と言い返されるシーンで、こぶしを握っている。
神戸の場合は、祖母に父茂丸の真相を聞こうとして、躱されたシーンでこぶしを握っている。
いずれも、「どうにかしたいのに、どうにもならないとき」であることがわかる。
同じような苦境に立たされた時、図らずも二人は同じ動作をしている。動作に悔しさやイライラを詰め込んでいるため、二人ともこういう場面では言葉数が極端に少ない。言葉よりも、言葉にならない部分が雄弁である…という表れのようにも思える。
また、「なにがだ」「どういうことだ」というやりとりが頻発し、言葉がうまく通じていない場面も多く見受けられる。二人が「異世界の同族嫌悪」であることは前述したが、なるほど、世界が違えば「使用言語が違う」のも当然である。
実はこの二人、個々で過去のエピソードが回想されることはあるが、それを互いに語り合って、理解しあうという場面はほとんどないである。おそらく神戸は内定調査などで簡単に加藤の過去は知っていただろうし、加藤も捜査の過程で理解をしていくのだろうが、互いの口から詳細にそれを聞くということはない。サシで話をして、理解し、納得するような場面はないのである(同僚としてそれはどうなのかというツッコミはおいておいて)。
唯一しっかり「同じ目線で話をした」と言えるのは、加藤の自宅で酒を飲んだ4話くらいである。(事実、4話以降はいくらか分かり合えている感じがある)
使用言語の違いでいらぬ摩擦や誤解が生まれてしまう二人。その反動でか、彼らはフィジカルで語り合うようなところがある。もちろん殴り合うとかではない、なんというか…肉体的な本能で察して動くというか。
物語終盤に至っても加藤は神戸に「どういうことか説明しろ!」「なんなんだよ!」と言いまくっているのだが、それでも神戸が求める役割を即理解して、こなせてしまうのだから、加藤は本能的に、神戸の「言葉にならないなにか」を感じ取っているということになろう。
本作がお好きな方には今さら何なのだという感じだと思うが、この普段は意思疎通が円滑とは間違っても言えないのに、いざ蓋を開けてみるとちゃんとつながっている感…がたまらないバディなのである。それは彼らの「大切なことはフィジカルで表現する」というところに根差していると思うのだ。
9話~10話だって、神戸が腕を負傷したと思ったら、11話で加藤が足を負傷するではないか。肉体的なシンクロ、シンメトリー…異色どころか、大変王道なバディだと思うのである。
3.肉体から受け入れる―時計と食べ物
彼らがフィジカルでつながるバディあることは、もう少し別の箇所からも読み取れる。まず注目したいのは、加藤の「時計」である。
1話と2話の加藤の手首を見ると、彼は「デジタル腕時計」をしていることがわかる。恐らくこれは彼の私物だ。
ところが、3話の新幹線立てこもりの時に、加藤の腕時計には秒針があるのである。これは言わずもがな、神戸から与えられたガジェットである(通信機能あり)。ちなみに、おそろいだ。
※デジタルとアナログの違いは、そのまま神戸と加藤の文化圏の違いを表していると思う。
神戸のやり方に反発していながら、加藤は神戸が提供してくるガジェットや兵器は、かなりすんなり受け入れている。やはり肉体からなら、神戸を受け入れやすいということなのだ。
ところが、神戸が長さんを見殺しにした(と加藤は思っている)9話以降、加藤は腕時計を「デジタル腕時計」に戻してしまっている。
※4~8話は不自然なほど時計が袖に隠れて見えない。敢えて9話で書かれることに意味があると思う。
入り口は肉体からだったとしても、少しは分かり合えたと思っていた神戸の裏切り。加藤が抱いてしまった「神戸を拒絶する意識」が、おそろいの腕時計を付けないという行動に波及しているのだ。
そう考えると、最終話Cパートで神戸開発のASVを着用して「ヒーロー」として行動する加藤は、悪態をついていながらも、神戸を完全に受け入れたということになろう。なんたってASVは手首どころか、「全身を委ねる」ガジェットなのである…(頭を抱える)
さて、神戸の場合も見ておこう。彼の場合は「食べ物」、この一点につきる。
まず2話において、加藤と一緒に初めてのカップラーメンを食べている。「おいしい」とのこと。このあと、加藤を置き去りにし、「特注のカップラーメン」を10万円で作らせ、食べている。加藤の文化であるカップラーメンをそのまま受け入れたのではなく、自分の領域に引き込んで受け入れたことが、ここから透けて見える。(つまりまだ神戸は加藤を受け入れていない)
これが大きく変化するのが4話である。
神戸にとって異世界である加藤の生活圏内で、神戸が食事をする。金がないという事情はあるにせよ、受け入れ度合いがかなり進んだと言っていい。
このとき神戸は加藤の手作りのカレーを美味しいと言っている。重要なのはこの先だ。
神戸は、加藤が奮発して買った生ハムを「食べられたものではない」と吐き捨て、加藤がヤケになって作った「ツナもやし」を気に入って食べまくる。
前者は「加藤が手を加えていない食品」であり、後者は「加藤が手を加えた食品」であることが重要なのだ。加藤の肉体がかかわっているものであるからこそ、神戸もまた自らの肉体に取り込むことを受け入れたのだということになるまいか…(頭を抱える)
さらには、悪魔の納豆ご飯に至っては、食べるだけではおさまらず、「自分の手で作る」ことまでやってのけている。神戸大助…どこまでもフィジカルで語る男である。(あとは察してもらいたい)
4.見失った「ヒーロー」像―加藤春の場合
そろそろ肉体とは違う話をしよう。
本作のテーマは正義…「ヒーロー」である。加藤も神戸もこの「ヒーロー」というものに囚われ、しこりを抱えて生きていると思う。
「ヒーロー」の定義を確認しておきたい。辞書的に言えば「敬慕の対象、英雄」である。
もちろん、フィクションの中にそれを見出す者も多いだろうが、それと同じくらい多いのは、両親(とくに同性の親)にそれを見出すパターンであろう。作中でも「自分を誇れる親父になれよ」というフレーズが数回にわたり使われており、全体的なテーマになっているようにも思う。今回の考察は、「ヒーロー」と「父親」という観点で見ていきたいと思っている。
作中で加藤の家族構成は明らかにならない。近い情報としてあるのは、「浪人して大変だった」ということだけ。あとは、買い物の様子などから考えて、かなり節約生活をしているということ。もしや実家に仕送りをしているのではないか。となると、父親は若くして他界していた可能性がある。
神戸との料理分担の様子、犬探しを断れなかったあたりから考えて…妹や弟がいるのではないか、というのが透けて見える気がする。そうだとすると、彼の「ヒーロー」の始発は、「弟や妹のヒーローであらねば」という長男意識だった可能性が高い。それはある意味では「父性」である。(父親が他界しているならなおさらだ)
これは結構厄介で、相手が求めるヒーロー像があいまいであるがゆえに、「完全無欠のヒーローであらねばらない」意識に発展してしまったものと思われる。そんなヒーロー像のひとつが、いわばテンプレートである「銃を撃てて犯人を捕まえられる警察官」というやつだったのだろう。
ゆえに、捜査一課時代の加藤は無茶をしているし、一回の挫折でぼろぼろに心が折れてしまったのである。完璧であるほどヒーローは脆い。
言い換えれば、加藤は2年前の一件を境に、「ヒーロー像を見失ってしまった」のだ。そのために、空回っているし、イライラは募るし、自己嫌悪するし、「ヒーロー兼公務員はむずかしいよ…」とぼやくのだ。
そんな加藤だが、星野いわく「神戸に出会ったまたヒーローに戻りたくなったみたい」だという。そして、アドリウムを停止させる重要局面で、神戸に
「ふざけるな、お前はずっと、公務員である前にヒーローだったじゃないか」
と言われ、自分の中に「ヒーロー」を取り戻したのである。
神戸は加藤の中で見失われたいた「ヒーロー像」をもう一度見えるようにしたということになる。それだけ神戸が加藤を「見てきた」証でもあり、アツい展開であった。見えないバディのつながりが、はっきり言葉になった瞬間でもあった。
5.失った「ヒーロー」を信じる心―神戸大助の場合
神戸の場合はまた少し違った「ヒーロー」の求め方をしている。彼は自分が「ヒーロー」になりたい、「ヒーロー」でありたい、とはあまり思っていないだろう。
注目したいのは、彼が実父を亡くしている(と思っている)ということ。1話、最終話で重ねて回想されているように、父母の生前は満たされて幸せな幼年時代だったというのだから、父のことは慕っていたと思われる。
単純に考えれば、未知の物質を世界に先駆けて開発していた父は、神戸にとって「ヒーロー」である。
ところが、神戸は19年前の事件のあと、「アドリウムで揉めた結果、父は母を殺し、自殺した」という認識で、約20年、むなしさをかかえて生きなければならなかった。8歳まで信じていた「ヒーロー」が、ほかならぬ母を殺し、自分を孤立無援の遺児にしてしまったという事実…神戸は「ヒーロー」を信じる心を失って生きてきたのだ。
とはいえ、母を殺したとされる父の真相は、祖母たちにより隠されていた。父を憎む…といいつつ、神戸の心にはまだ「父を信じたい心」が少しは残っていただろう。だからこそ、日本にやってきたのだ。
その一方で、なぜ神戸がボクシングなんぞやっていたのかということも気にかかる。回想シーンの風貌などから考えて、父茂丸にファイターとしての素質は見いだせない。どちらかといえば、避けれない暴力により母を失ったことで、「暴力に対抗する術を身に着け、大切なものを守らなければ」という意識が、神戸の中に強く芽生えたというところだろう。父をアンチヒーローに認定する過程で、逆の属性を得ようとするのは、十分理解できる。
(※4話で加藤家の浴槽で寝ていた神戸も、未知なる暴力への無意識の防衛本能だとしたら…殺伐とした青春を過ごしたことが思いやられる。ぜひ今後は、その青春を加藤と一緒に取り戻してほしいと願うばかりである)
ただボクシングで強くなることも、守るべきものをもたない神戸にとっては「むなしい」だけであり、チャンピオンになってもなんら嬉しいわけでもなく、悪に対抗するヒーローになるどころか、無気力を極めていったというわけだ。
彼が、爆弾時間から始まる一連の事件の背後に父茂丸の影を見出して以降、積極的に肉体を用いた戦闘をしていくのも、彼の過去と無関係ではない。神戸は、守れなかった母のために、身に着けてきた戦闘力を使って、真相にたどり着こうとしているのだから。
結果として父茂丸はアンチヒーローではないことがわかるのだが、彼が命をとして守ろうとしたアドリウムの情報を発見した神戸は、本作ではじめて「父さん…」とつぶやく。そしてその情報を手に、祖母と対峙する決意を固めるのだ。神戸が「父というヒーローを信じる心」を取り戻した瞬間だったといえよう。そのきっかけを、加藤という「ヒーローを見失ったもの」が作ったかと思うと、泣けてくるではないか。
6.二人で見つけた、それぞれの正義―Balance:UNLIMITED
それぞれの形で「ヒーロー」を取り戻した加藤と神戸。なぜそれは可能だったのか、をもう少し考えておこう。
加藤は1話からすでに「ヒーローではなく公務員だ」という意識で、神戸と行動していた。つまり、「ヒーロー」としての行動ができていないという自覚があったのだ。しかし、それを間近で見ていた神戸に「お前はヒーロー、仕事は正義をなすこと」とはっきり告げられる。
言い換えれば、銃が撃てなくても、捜査一課ではなくても、かっこわるくてもなんでも、そこに加藤が思う正義があるなら、加藤は「ヒーロー」だと認められたのである。ほかならぬ神戸に!
神戸によるこの承認があったからこそ、加藤はアドリウムを停止させることができたし、執事服部の腹の傷をえぐるなどという「アンチヒーロー」に近い行動ができたのだ。そこには加藤なりの正義がある。
神戸は、母や長さんが守ろうとした正義を通すために、祖母と対峙した。ところが、論破されかけ、アドリウムを世界に公表することをためらってしまう。そこにきて、加藤が誤操作により、アドリウムの情報を世界にばらまいてしまう。図らずも、神戸が貫き通したかった正義は、加藤により実行されたということに…
神戸はそれを聞き、屈託なく笑い、加藤に感謝する。そして「正義を決めるのはあなたではない、私でもない」と祖母に告げ、祖母を逮捕するのである。その行動を可能にしたのは、「正義をなす」加藤の存在に他ならない。
神戸は「ヒーローを信じる」者であり、神戸自身では実行ができなかった正義を、「ヒーロー」を取り戻した加藤が実行したのだ…
この結末を迎えたことにより、神戸は父とは違う道を歩めるようになり、ここではじめて「自分なりの正義」を生きられるようになったのである。「アンチヒーローに対するヒーロー」になる必要は、もうないのだ。
加藤と神戸は、二人で行動し、言葉でも論理でも倫理でもなく、肉体で語り合う中で、「それぞれの正義」を見つけたと言えるだろう。
決して同じものではなく、まったく違うものでもない。異なるアプローチ、方法…でも、それぞれに正義なのだ。それを認めることで、二人はようやく「ヒーローの呪縛」から解放されたともいえる。
多様な正義を受け入れるバディ、そこには無限の価値、無限の可能性がある。
1話で「ヒーローじゃあるまいし」といった加藤に、神戸は「いくらだ?」と返した。
何かに規定され、縛られた「ヒーロー」には、価格の上限がある。
だが、11話で神戸が切った小切手は、「Balance:UNLIMITED」―加藤との関係性の中で見出したのは、何かに縛られることのない、自分だけのヒーローだったのではないか。
何が言いたいかというと、最高のバディだったという、ただそれだけである。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
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