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フォロバ100でも輝いている☀️人は居る。

フォロバ100でも、輝いている☀️人は居る。格好いい人は居る。


フォロバ100で進める最大の弱点は、

フォロー返しを本当はしたくないアカウントにも、

フォロー返しをしなければならないこと。

※そのため、ほぼフォロバ100、フォロバ80〜90と書く人もいる。勧誘やエロ系はNGと宣言する人もいる。


もうひとつは、リムった(フォロー外した)時に、印象が変化しやすい。

フォロバ100って言っていたよね❓💢(おこ)ってなるかもしれない。


フォロワーを増やすには、フォロバ100は有効だが、

いい意味で諸刃の剣かもしれない。


一気に多くの人に情報が届く分、

自分が望んでいない印象を与えてしまうかもしれない。

フォロバ100を通して、フォロワーをかなり増やすと、

いい意味でもわるい意味でも拡散力が高くなるのである。

仮に、酒を飲んだ勢いで投稿した内容が、

多くの人に知れ渡る可能性もある。


拡散力が高くなるにつれて、リスクもいい意味で増えることを考慮して、

あおもりん(青森大砲)は、フォロー数を3桁に留めておいた。


個人的には、フォロワー数1桁の部門、2桁の部門、3桁の部門、4桁の部門、と分かれていてもいい気がしている。

そのように分けられている方が、マイペースにnoteしやすいと思ってはいる。

フォロワー数が多い人が、ダッシュボード公開ドヤァ ってすると

新参は いい意味で煽られた気持ちになるかもしれない。

その辺りに、特に公式が配慮しないことは

noteの仕様だと考えている。

公式がいい意味で介入しすぎてもいい意味で自由感が

いい意味ですくなくなっちゃうからね。


1桁の部門で満足できなければ、

2桁の部門に行き、

2桁の部門で満足できなければ、

3桁の部門に行き、

3桁の部門で満足できなければ

4桁の部門に行く。

あおもりん(青森大砲)は3桁の部門で満足を感じるため、

3桁のリーグにいることにした。

みんなは何桁のリーグにいるかな。


こういうのは公式に変えてもらうよりも、

ユーザーが想像力で補完する形がいいと思う。


あおもりんは、これまでフォロバ100を使わなかった。

フォロバ100の人をフォローしたり、フォローされたことはあるけれど。

今後使う可能性はある。


ある人の話によると、投稿内容が固まっていないうちに、

フォオバ100でフォロワーを増やすのはいい意味で意味がないと言っていた。


あおもりんは、noteを始めた時は、

社会人としてもnoterとしても未熟だったが、時間だけはたっぷりあったので、

1年間を目一杯使って、投稿方針を決めた。


人生の舵をとる能力が、社会経験で育まれている方は、

私よりも投稿方針が固まるのが早いかもしれない。

始めた段階で、すでに投稿方針が決まっている方がいてもおかしくない。


私は、いい意味で社会経験が少ない分、PVやスキを集まるために行う投稿を、研究したり、取り入れやすい特性があると思っていた。既にテーマが固まっている方はテーマから反れたことはしないだろうけれど。

私のその柔軟性は長所だと思っていた。


テーマが決まっている人は、より戦略的に投稿するかもしれない。

いつも行なっている行動でスキやビューが伸びないなら、

戦略的に取り組む必要がある。

あおもりんはそこまで戦略をつけて考えるのはいい意味で得意じゃないけれど。


スキをしたら、返してくれる人を探すスキル、

時折、フォロー整理する勇気も必要な時がある。


1年2ヶ月の時間と、それなりの戦略性があれば、

フォロー数に対して、フォロワー数が多い、は作り出せる。

おとといくらいまで、わたしはフォロー数の方が多かったけれど、

フォロー返してくれないクリエイターさんを整理して、

整理し終えたらフォロワー数の方が多くなっていた。

SNS始めた当初は、私なんかがフォロワー数の方が多い、

状態にいい意味でできない、と思っていたが、

夢や想像を塗り替え、想像以上の現実を手に入れることができた。


時間さえあれば、あなたにも出来る。

時間と、それなりの戦略性があれば、あなたにも出来る。



YouTubeの方でも知名度・認知度上げたいため、ここで紹介❗️

普段はnoterで、

YouTubeやTwitterでは私と同じ無名ミュージシャンと繋がりたい青森大砲。

普段はnoterとして生活することで、承認欲求を満たしている。

普段の顔を、無名ミュージシャンと繋がりたい青森大砲、として生活すると、

いい意味で承認欲求が満たしづらい、いい意味でハードモードに

足を踏み入れることになる。

普段の顔を、noterという設定にすることで、

承認欲求は満たされやすくなり、イージーモードになる。

無名ミュージシャンと繋がりたい青森大砲、を普段の顔にすると、

いい意味で険しい道に足を踏み入れることになるし、

一生かかっても、山頂まで行けない可能性もあるし、

そもそも山頂にたどり着きたい思いも十分あるわけじゃない。

いろんな意味で、普段の顔はnoterにする方が

私の場合は合理的だ。

noterとしての喜びある生活をしながら、

余ったエネルギーで音楽の山頂も目指す。

一生かかっても、山頂にたどり着けないかもしれなくても、

音楽という山はこの世界に1つしかない。

その割に、音楽好きはとても多い。

全ての人が山頂にたどり着けるわけじゃない。

一生かかっても、山頂にたどり着けないこともある。

それくらい険しい道だから、マイペースに進んで行く。

音楽の山頂を目指すのはどれだけ客観視しても

険しいものであることに間違いはない。

そう文章をまとめていたら気がついたことがある。

だからこそ、そんなに険しい道でも山頂を目指そう、という

情熱こそが、最も大切なのだと。

プロやそれなりに知名度・認知度がある方と私で違うところは、

そこの情熱の大きさだな。

私は情熱的になると、周りが見えなくなっていたから、

情熱的になることを抑えて生きていた。

しかし、山頂を目指すのに足りなかったのは、情熱なんだと気づいたから、

もっと情熱を持って取り組んでみようと考えを変える。

好きだと思って取り組む気持ちは、相手に伝わる、と聞いたことがある。

情熱の大きさも、きっと相手に伝わるのだろう。

今の私の情熱の大きさ、また高さは、

ちょうどいいぬるま湯加減かもしれない。

もっとホットな人はホットだと思う。

ちょうどいいぬるま湯加減のまま、社会に協力的に生きることが全てだと、

考えて生きてきた。

社会に協力的に生きるためなら、

常識に丸め込まれて生きるのも肯定しようと思っていた。

その考えが良くないわけではない。しかし、その考えを持ったまま、

情熱を開花させて行くことも可能であること。

プロは、社会に協力的に生きたまま、情熱を開花させてい生きていると思う。

私はもっと情熱的になれる。開花させた情熱は他の方にも伝わるはず。

社会に協力的に生きたまま。情熱も開花させる。

長文になってしまったが、情熱的に話している人の言葉は、

何時間でも聞けるものだから大丈夫だ、たぶん。

17の高校生の時の私が思ったよりも、

世界はもっといい意味で複雑で、高度なものだったのだと、

今は気づいている。

少年誌で自己中心的思考と、情熱をセットにして

肯定させようとするマンガとか目にしていたからな。

ルフィみたいに、それでもどうにか纏まる天才ならそれでいいけれど、

現実世界で真似したら痛い奴になると思う。

年相応の振る舞いをする必要がある。

ルフィの精神を取り入れるのはわかるけれど、

言動を100パーセント真似たら、痛い奴になるような気がするんだ。

ルフィは、すごい強いけれど、言い意味で短絡的だ。

ベイブレードのタカオも短絡的だ。

短絡的でありながら高い行動力を持つ主人公も、多い。

ただ、大人になってもそれを現実で真似ると痛いかもしれない。

まあ、私は私なりに情熱を高めていこうと思う、という締めにする。



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ぃるすぴ〜
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