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ギリギリコミュ障じゃない私の話。

いい意味で否定的な感性が

私の半分を占めていて、

だから本能では、

周りも私と同じくらい否定的な感性を

持っているのだ、と感じてしまうが、

肯定的な感性が否定的感性を上回る人がいてもおかしくはない、

と理性で思い出す。

ヘタな技術が露呈することを恐れず、

投稿することは私の長所だろうな。

まあ、一生、

初心者に毛が生えた程度の印象は

拭えんかもしれないけれど。

noteでは、

そこそこ成長を感じられる成果を

出し始めたけれど、

とかうんぬんかんぬんいいたいところで、

いい意味でこの先は言わない。

誰もが抱える感情かもしれない。

新しい分野を始めれば、

その分野でレベルが出現するかもしれない。

新しい分野を始めなければ、

レベルは0だけれど、

レベル0とレベル1とで、

レベル1が本当に優れているんだろうか。

大差ないなら、

新しい分野を始めることに

意味はないんだろうか、

と考えてしまう。

センスが良く、才能がある後続に、

追い抜かれていく運命なんだろう。

私は、自分よりもセンスが良く、

才能がある後続の、

養分になるんだろう、そうかもしれない。

無理のない範囲と熱量で挑戦することで、

有能な人間たちの養分になる運命は避けられないのかもしれない。

音楽で叶えたい夢を真面目に考えたとき、

魅惑的な歌声もない、

テクニカルな演奏もできていない、

熱量が足りない、

そもそもギリギリコミュ障じゃない感じの私である。

音楽的な能力も、初心者に毛が生えた程度のままだし、

瞬発的な向上心がないから、

しばらくは同じところをぐるぐる回りながら、

僅かに上昇していくんだと思う。

こだわりが強い。変化をいい意味で拒む。

過度なストレスを受ければ、性格がいい意味で変わるかもしれないけれど、

それは一時的なものであり、

余裕ができれば、今の状態に戻るのである。

ストレスを受けているときの自分ではなくて、

余裕があるときに、どういう性格か、

を理解する必要がある。



後続のために出来ることは、

せいぜい養分になることかもしれない。

優秀な後続を育てるために、

自ら養分になろうとするんだろうか。

俺の方が偉い、後続にそう、言い聞かせて、

後続を育てるという建前を話ながら、

実際は自分の武勇伝を聞かせようものならば、

後続を自分の養分にしようとしているのかもしれない。

発想が、いい意味でコミュ障かもしれない。

それはいい意味で仕方がない。

それでも働けるところはあるし、

楽しめる趣味もある。

健康な先輩(わたし)は、

後輩のために養分になることを

選択するかもしれない。

発想が、コミュ障かもしれない。

まあ、今の職場は、

毎年後輩が入る職場ではないため、

職場じゃないところでの、

心持ちの話というかなんというか。

人生かけて養分になりに行くのだろうか。

人は一人じゃ大きなことは成せない。

他者の成功を、人一倍願う人は、

令和の世にどのくらいいるのだろうか。

せめて、養分にするなら、

名前くらい覚えてくれると幸いかもしれない。



仕事、という生きるために必須な、ものを、

軸に展開していく会話は、

まだついていこうとするけれど、

そうではない会話は、

1度、会話する理由を考えてから、

付き合いだから、と会話するところが

あるいい意味でコミュ障かもしれない。

会話が一言終わる度に、

動かした心をリセットして、

また話しかけられれば、

もう一度会話する理由を考えた後、

付き合いだから、と会話をすることもある。

全く会話のない世界も寂しいから、

付き合いだと考えて、

会話をすることも出来る。

根っからの会話好きとはいい意味で違う。


他者の成功を、お互いに願い合う関係になれればいいよな。

私は性格的な都合もあり、

その関係に、言葉は要らない。そう思ってしまう。

基本、話さない、喋らない、私の中身はそのような感じである。

敷いた前提を覆すことは難儀だ。

私は、人一倍、前提を予め敷く傾向がある。

膨大な情報を処理するために、

前提という名前のフレームワークを使い、

活動を行なっている。

敷いた前提の量、選んだ前提、には

個人の性格が大きく影響する。

私にとって正しいことは、相手にも適用するかわからない。

私の頭を解剖すれば、

とんでもない数の前提で管理されていることが露呈するだろう。

一度正しいと処理した前提を、覆すことは難儀。

そればかりか、もっと前提を増やそうと常に行動している。

そもそも、勉強をする過程で、

前提を敷くことを好む性格になっていった。

1+1=2

は誰の頭にも入っている前提だ。

結構、

1+1=田んぼの田

と回答する方もいたが、

そもそも=も、田   を作るために使ったならば、

=   はどこに行ったのか。

という話になり、

田=田    ではなく   田田    と書かれることになるのではないか。

と考える。

冗談を手際よく処理する技術がないと、

結構困ってしまう世の中かもしれない。


あおもりずむ

だから主観・客観ともに、

自分に寄った書き方でオッケー

としているため、

ご了承くださいませ。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈