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数字を追いかけるのは、自分の最大値を刻むため。自分の最大値を刻むのは、自分の価値を正当に示すため。

私は、いい意味で数字を追いかけたくなる習性がある。

それは動物的、野生的、本能的、など根本的な所に根深く刻まれた

変えようがない習性だ。

しかし、自己の習性に対する客観視が煮えた時は、

あえて、その習性を逸脱したくなる。

そうじゃない、考え方・指針に沿って進めたら、

結果はどう違うのか❓

これも根深く刻まれた知的好奇心が拡張するからかもしれない。


私は毎日、帰宅後、某動画サイトに短尺動画をアップロードするのだけれど、

もれなく、今日も予定通りその課題をこなした。

しかし、今日はいつもと異なった部分がふたつある。

それは、

使用する音源を変えたということだ。

これまでは某動画サイトにおいて

「人気一位のミュージックビデオ」

とタイトル下に書かれてある

habit という SEKAINOOWARI  の曲を使用させてもらっていたのだけれど、

前述の通り、私の知的好奇心が拡大・拡張することを

防ぐことができず、

根深く刻まれた習性に対する客観視が煮え切って、

わざとその習性を逸脱した行動をとってみたい、

そのような感情になった。

そして、結果、

ピノキオピーの 転生林檎 という曲を

使用してみた。

結果、これまでよりも再生回数が伸びず、

やはり、人気一位のミュージックビデオに

いい意味であやかった方が数字が伸びる。

ことがわかった。

数字が伸びることは、色々なご利益がある。

まず、数字を追いかけるということは、

感情に振り回されず、客観視し、

自分が出せる最大値を出そうとする、

ことだと思う。

自分が出せる最大値を出すことにどのようなご利益があるのか。

自分の出せる最大値を出すことによって、

自分の価値を正当に示せる。

私はそのように考えている。

自分の価値を正当に示せないという事は、

いい意味でマイナスなことだと思う。

しかし、それを絶対正義として押しつけることも

間違っていると思う。

私の中では、根深く、綿密に、幾つもの論理により構成された

思考回路があるのだけれど、

それを他者に対する攻撃性に結びつけてはいけないと思う。

それは道徳的に考えた結果だ。


もうひとつは、TAが描いた絵を短尺動画に収め、

TAが好んでいる、中島みゆきの「糸」を

某動画サイトの音源一覧から検索し、

動画に使用した。

こちらは、先ほど確認した時点で

3回しか視聴されていない。

某動画サイトが私のチャンネルに対して下す評価を

諸事情があり、いい意味で気にするため、

明日になっても全然伸びなければ、心を鬼にして削除する。

しかし、その場合は、サブチャンネルに、

明日全く同じ形式で、再投稿する予定だ。

成功するためなら、いい意味で鬼になろうとする気持ちは25%

私の中で回遊している。

残りの75%は、周囲との調和を重要視する気持ちがあり、

それが私の中で回遊している⭐️⭐️🗼🔮🌈



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