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もしも、健常者に生まれていたとしても、相手の不幸を買い取るような人生だったかもしれない。

・世の中には、社会全体の支えがないと、不幸にならざるを得ない人達が
いっぱいいる(障害者など)。

・健常者に生まれていたなら、そういった彼らに力を貸したり、寄り添う気持ちを持ったりするように(私の考えでは相手の不幸を買い取るような行動だと考えられるような気がする)上から教育されるのではないか、と思う。

・自分の不幸は買い取ってもらうけれど、自分は誰の不幸も買い取らない、そういう人は優しくないと思う。

・自分の不幸を買い取らせるような作品作りをして、ヒットする人もいるけれど、私はそういう方法は得意じゃないと思う(それでヒットしても罪悪感が残る)。

・健常者に生まれていれば、主に障害者などの、不幸を買い取るような行動をする責任がそれなりの強く求められたかもしれない。健常者に生まれていれば幸せだった‼️という障害者もいるかもしれないけれど、健常者に生まれていれば、健常者としてそれなりに求められることが増えるのではないかと思う。障害を持っているからこそ、いい意味で身軽な人生と今は言える。

・私は障害を持っていて、どちらかといえば不幸を買い取ってもらう側の人かもしれないけれど、同じく障害を持つ仲間達の、不幸を買い取るような行動は無理のない範囲でしよう、と思うところがある。先ほどの話と重複するけれど、自分も不幸は買い取ってもらうけれど、相手の不幸を買い取らないのは、単純に優しくない人が行う行動な気がする。

・最近、スキ回りをしていない。ふと、その状態から少しスキをつけて感じたのは、不幸を買い取る・買い取らせる、という感覚の話は、スキをつけているうちに忘れるもの、だと思えた(スキをつけることも楽しいから)。しかし、他者の投稿をあえて見て回らず、単純に創作に集中することでしか、このフレーズは出てこなかったかもしれない。内向的な人がクリエイティブなアイデアを出すという話も知っている。スキ回りをし、他者の記事を見て回るのは、外向的な行動で、周りの価値観に触れる回数を多くすることで、いい意味でよくあるアイデアしか浮かばなくなるかもしれない(しかし、それを取り入れた時期もある。更にそれはそれで安心感が強まるというメリットがある)。

・こういった行動傾向から分かるように。安心に依存することはなく、不安も取り入れる、そういった考えを持つのが私だ。常に進化を求めている。不安を徹底排除することは、退化に繋がるかもしれない。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈