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コロナになる前から、カラオケに行く回数が少なかった。

カラオケ代の元が取れるというイメージを、どうやっても持つことができない。

元が取れるか、取れないか、を気にするのは

私のがめつさによるものだ。

損得勘定がある気質で、

良く言えば理屈・理論で考える理系っぽい❓(理系でも文系でもないけれど)

反応があるため、

同じような気質の方の、反応の仕方と違う。と感じることもある。

理屈・理論で考えようとする反応よりも、

そうでない反応の方が強い方に対して、

同じような感覚で反応できないことは申し訳ないと思いつつ、

話を聞く。

私のいいパターンだと、そういう方ほど、

話を聞いてもらえることで満足できる感じがある。

理屈が通っている、とか

それを論じ合うことで、自分の価値が高まるか、とか

そういうことはあまり考えない傾向があると思う。

私は、物事を論理・理論的に考えようとする所もあるけれど、

相手の気質を考えず、自分の気質だけを考えて、

正しいこと、を導こうとすると

自分にとっては正しくても、相手にとっては快適なものではないかもしれない。

理屈っぽかった分(今は改善したけれど)、

一度正しいと感じた考えを、直すことは人一倍時間がかかる体質だった。

世の中の正しさは、流動的なものだと答えを出してからは、

一度正しいと感じた考えを、直すことに時間がかからなくなった。

付き合い、として今後カラオケに行くことはあるかもしれない。

全てを忘れて楽しむことはできない。

そういう方ばかりではない。

歌っている最中も、

元が取れるかどうか、を気にする。

理屈・理論で反応する気質だから、

全てを忘れて歌うということは難しい。

理屈・理論で考える
がめつい

の他に、

ゼロヒャク思考

も関係する。

平易な行動、言葉で話すように気をつけているが、

感情的になると考える内容がクレイジーだと自己理解している。

極力、感情的にならないように自分をコントロールしている。


理屈・理論で考える

ことは気質のため、それは否定しない。

それを活かした、生活を行うとつもりだ。


がめつい

のところは、

カラオケで元が取れればカラオケに行くけれど、

家で一定の制約の中で、歌う方がお金がかからないから、

元が取れた、と感じやすい。


ゼロヒャク思考

も気質のため、それを否定するのではなくて、

それを活かして生活を行なっている。


知り合いに、コロナおさまったらカラオケ行こう、

って感じなことを言われて、

「おお、いこういこう」

と快く答えられないのはなぜか、

自問してみた。


「カラオケが面白いと思えない」

「カラオケが苦手」

「私、歌上手くないし」


といった感じに答えたが、もっと深い考えが自分にありそうな気がした。

どうやら

理屈・理論で反応する
がめつい
ゼロヒャク思考

が関係していると思うけれど、

気質は、すごい繊細な部分だから、

相手に話すことはためらう。

気質部分を否定されると、相手に話したことを後悔する。

だから、私は相手の気質は否定しない。

相手の気質を活かす、ことを考える。

親しき中にも、建前はあっていいと私は思う。

常に気質を深掘りして話していたら、

いい意味で傷つきやすくなりそうだから。

常に気質を深掘りする必要はないと思うし、

それは相手の気質も常に深掘りはしない、ことだ。

情報の交換は、いいい意味で建前を使ってもいいんじゃないかな。

建前での情報交換に慣れていない方は、

常に気質を深掘りしているかもしれない。

そういう方には、その気質に共感したり、肯定してくれる方が現れる一方で、

同じくらいの加減で、否定してくる方も現れるかもしれない。

気質を常に深掘りして生きることは、HSPのような感じかもしれないけれど、

まあ、その道は、味方の加減と敵の加減が同時に激しくなると思う。

わざわざ、リスキーな人生を選ばないようにしたい。

味方と敵の溝が少なければ少ない方が、何かといい。

味方と敵の溝を少なくできる方は、只者ではない。


今日はいい文章がかけた。

いい刺激をくれた世界に感謝。




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ぃるすぴ〜
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