人生は悔しさの延長。
人生は悔しさの延長でできているように感じる。
食べ物食べ過ぎて太った時期、
周りが簡単に、当然のようにできること(体育座り)
ができなかった時の悔しさ(腹がつっかえて)。
努力と直向きさが足りないことが原因で、
最後の親善試合以外はスタメンになったことがなかった、
野球部に所属していた小学校時代。
嫉妬の塊で、素直さが少なくなっていたのは人生において多岐にわたる。
事実を捏造してでも、クリスマスツリーを買ってもらおうとした、
幼稚園時代(割愛)。
帰りのバスが指定されているにもかかわらず、
知らないふりをして、好きな女の子が帰る方角のバスに乗り込んだ
幼稚園時代(参観日で浮かれていた)。
狭く深くを信じて、ごく少数の友達と仲良くしていたのに、
仲の良い友達は全員転校していく世界線。
答えを急げば、気は早くなる。
気が早いと、混沌成分が大きくなる。
混沌成分が大きくなると混乱する確率が上昇する。
混乱する確率が上昇すると、
陰の沼にはまる可能性も上昇する。
そのため、答えは急がず、気は早めず、
調和と平和を大切にし、混乱する確率を低下させる。
私の心の中には、世界の全てをいい意味で呪う死神(厨二)が、
いないとはいい意味でいないのだけれど、
あまり、そいつの存在は、心の中で大きくしない。
食パンに塗りたくったジャムのようなものだ。
食パンが、陽の心として全体の9・9割を占めているならば、
ジャムは0・1割だ。
根っからの陽気な存在になることはできない。
世界の全てを呪いたがるような気持ちがない、とは言えない。
ない、ように振る舞うことはできるかもしれない。
しかし、完璧に演じ切れば切るほど、
本当の気持ちはどこかで表現されることもなくなり、
心が壊れそうになるかもしれない。
完璧に演じる必要はない。ましてや演じる必要もない。
本職が役者じゃないのだから、演じるとしても、
いい意味で下手な芝居だったっていい。
自分という役割を、五臓六部で考えて演じたがる。
一貫性のない態度では信用・信頼は勝ち取れない。