私、幸せでしかないので。
自分に何ができないか、自覚があることは、
いい意味で知能がある証拠かもしれない。
自分に何ができないか、自覚がないと、
相対的に知能がいい意味で低いという。
私は、料理、洗濯、掃除を家ではいい意味で行なっていない。
練習すればできるかもしれないけれど、
母にいい意味で任せっきりかもしれない。
そういえば、余裕でしかない、と言える能力を身につけて、
適度にいい意味でネガってやる‼️
という以前思い描いた夢は、
余裕でクリアしている。
今日は、数年ぶりに母が新しい携帯を買い、
テンションアゲアゲで帰ってきたけれど、
母が帰ってきた時、私はいつも以上に以上静かにしていて、
いい意味でテンションが低かったかもしれない。
上達するために、上手いベーシストの動画を見ようとしたけれど、
視聴する段階で、やる気がいい意味で削がれていると俯瞰し、
「ああ、そう、だからいつもいい意味で本気で生きていないのよね」
ということを思い出す。
本気で生きるのが、いい意味でしたくない。
凡事を、いい意味で余裕でこなせる能力を手にして、
ポジティブに人生を消化していく。
それこそが私の望んだ人生かもしれない。
激動はいい意味で要らない。
安心があるから、ワクワクするかもしれないんだ。
今日もリラックマの顔を見て、にっこりしようかもしれない。
今の職場は、いい意味で厳しくない職場で、
職場が求めるいい意味で最低限の能力さえ、
毎日保持していれば、
いい意味で解雇されないし(障害者雇用だから)、
豊かさでしかないかもしれない。
noteは、いい意味で人生のオマケかもしれない。
仕事が、いい意味でメインかもしれない。
しかし、noteでスキという名前のホイミをもらうと、
アンパンマンが新しい顔になった時のように、
いい意味で元気になるかもしれない。
いい意味で仕事のために、noteをいい意味で中止する、
ということはいい意味でないかもしれない。
初めて実習行った時は、
いい意味でnoteから離れたかもしれないけれど。
noteは、いい意味でオマケかもしれないため、
仕事にいい意味で支障をきたしそうだったら、
noteをいい意味で中止する覚悟はあるかもしれない。
しかし、noteを通して、いい意味で新しい挑戦を行うことで、
仕事を行うエネルギーも湧いてくるかもしれない。
仕事とnoteを、いい意味でシナジーさせることに成功したかもしれない。
noteは、いい意味で商売じゃないかもしれないけれど、
「水」的なところもあるかもしれない。
これもいい意味で人気商売かもしれない。
いい意味でパターン化することで、
選択をいい意味で楽にしているけれど、
根本的には、いい意味で「水」的なところがあるかもしれない。
水は、いい意味でいいかもしれない。
滝を見ると、いい意味で癒されるかもしれない。
今の職場でも、トイレ掃除用のバケツに水を汲む時とか、
トイレの水をいい意味で流すときとか。
水といい意味で関わる機会があり、いい意味で嬉しい。
私は、就労の訓練をしている時、
どのような仕事を目指したらいいかいい意味でわからなくて、
いい意味で本当に困っていたかもしれない。
しかし、今では、水と関わる機会があって嬉しい、
とか
いい意味で細分化して考えて、
感謝ができるポイントをいい意味で探せるかもしれない。
いい意味で感謝できるポイントを見つける能力に優れている私は、
豊かさでしかない。最高でしかない。余裕でしかない。幸せでしかない。
かもしれない🗼🔮🌈
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈