自分の動画じゃないけれど感動できる曲を見つけた⭐️⭐️🗼🔮🌈

いい意味で2007年頃といえば、私、小学3年か4年くらいだ。
家にパソコンないし、ニコ動を見れる環境じゃなかった。

家で、GBAかDSのゲームを無邪気に遊んでいた。
当時はいい意味で、社会の厳しさを知らなかった。

社会の厳しさを知らないと、無自覚で周りに甘えてしまうよな。
今、社会の厳しさを知れていることは良かったと思う。
無自覚で周りに甘えてしまうことが、格好悪いことだと分別が付いている。

※自覚がある状態で、許される範囲・場面で甘えるのはいいと思う。

ニコ動の最盛期に戻りたい、という人の気持ちも
この歌を聴いて、わかった。

この時代に、前に前に行って挑戦する人、し続ける人が
羨ましかった。
自分は、家にパソコンなかったから、そもそもスタートラインにも立てないまま、
そういう気持ちもあったけれど、GBAやDSのゲームを遊んで、
現実逃避するしかなかった。

家にパソコンある人が羨ましかった。
小学3年・4年の私からすれば、家にパソコンがない状態は
生きているのに生きていない、そのような気持ちだった。
(パソコン欲しいが提案できず、GBA・DSに現実逃避、
提案下手はこの段階から存在していた)

親に感情ぶちまけて、親も納得して、パソコンを買ってくれた。
インターネットが使えるようになったのは中学1年の頃だ。

私は、中学1年からインターネットデビューは遅れている、
という感覚だったんだが、
親は自分のような人はいっぱいいるし、
親の友達の子供も、インターネット使えるようになったのは
もっと後だよ(これインターネット繋がってから数年後の会話ね)。
と嗜める。
大半のクラスメイトは、インターネットデビューが、私よりも早いから
そういうことを言っているんだけれどね。
うまくいえない感情は、GBA・DSのゲームを遊んで現実逃避、
質量のない憎しみが募るだけ。数年後、拗れた人間になった原因でもある。

2007年頃は、大人も、子供っぽい感情を抑えなくてよかった時代かもしれない。
2007年頃は、大手ゲームメーカーや、才能ある人たちのアウトプットや、
各分野のプロのアウトプットを受け取るだけだった気持ちも強い。
当時は困っていなかったが、それは若いからでもあった。
私は歳を重ねるごとに、単なる消費者でいることがいい意味で悲しくなっていく。
(2022の私目線で振り返ると)

あと、この時代は、いい意味で切ない感情が、美しいもの、として
捉えられていたんじゃないかな。
感覚や肌が、そう証言する。

今の時代でも、2007のオマージュをしようとすると、
ポップと切なさが共存しているものを書くことになるかもしれない。

この動画の歌詞とは違い、
いい意味で何かに追われて生きている感覚はない。

いい意味でそういう(何かに追われて生きるような)考えで
1年前くらいまで生きていたけれど、
そういういい意味で無駄な苦労があるからこその、
そこから見つけた真理と、
それら
(これまでの無駄も、無駄の中から見つけた真理も)
を活かすバイタリティ
が身についたことで、
いい意味で理想的な状態じゃなくても
平然としていられる自分が手に入った。

(逆にいい意味で成り上がりたいから、常、理想的な状態じゃないわけで。
そういう状態でも平然としていられることはとってもとっても大事だ)


いい意味で長文になっちゃったが、
いい意味で人生通して伝えたいことは書けた⭐️⭐️🗼🔮🌈

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈