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結果に依存し過ぎていた。

今日はいい意味で偶然、ひらめきが訪れた。

今まで、結果に依存し過ぎていたことに気がついた。

満足できる結果が出れば喜び(テンションアゲアゲ⤴️)

満足できる結果が出なければ落胆(テンションサゲサゲ⤵️)。

YouTubeの結果は、一朝一夕で変わるものではないため、

基本テンション低い感覚で取り組んでしまっていた。

元からテンション低いというのもあるけれど。

素のテンションが低い人のテンションが上がっている時は貴重かもしれない。

興奮したり、熱狂、熱中すれば、ミスが多くなる傾向にあり、

そのような無責任なことはしたくない、という気持ちも、

素のテンションの低さに関係する。

興奮したり、熱狂、熱中すればミスが少なくなる、

という人もいるかもしれないけれど、

テンション高い人に遭遇した時、自分の気質をベースに考えた場合、

相手に対して無責任な人、という価値観が瞬時に形成される。

ま〜、それぞれ気質が異なるから、あくまで、私の気質をベースに考えた場合、

であることはひとときも忘れることはない。

ま〜、それが私の常識ではあるけれど、

特にYouTubeの動画作りを行うときは、

満足できる結果が出ないことに対する、

気持ちを正直に出し過ぎていたかもしれない。

たまに、その気持ちを見せないようにしてみた動画もあるにはあるのだけれど、

大体は、そういう気質がモロに出ていたと思う。

自分が視聴者だったら…と客観視した時、

満足できる結果が出ないことに対する気持ちを、

見せないようにしている人の方が、大人っぽくて応援したくなる、

と自分でも思う。

今後は、結果に依存せず、

明るく元気で、勤勉な動画作りをしていこうと思う。

無意識レベルだったとしても、結果に依存していると、

粘着的なエゴが生まれ、明るく元気であろうとすることに、

ジャマーが入るようなものだ。

結果に対する依存から抜け出すことで、

粘着的なエゴから解放され、

明るく元気であろうとする気持ちを、阻害するものがなくなる。

TA(会社の先輩)は、結果に依存していないな〜と思う。

TAより読み書きが得意な人はいっぱいいるけれど、

TAはそういう人達より可愛がられる。

なぜか。結果に依存していないから、粘着的なエゴがなくて、

明るく元気であろうとすることを、阻害するものがないからなんだろうな。

読み書きができても、結果に依存していれば、粘着的なエゴがあるから、

明るく元気であろうとすることを、阻害するものがその人自身の心の中にある。

読み書きはいい意味で並以上にできるのに、面接に通らない人がいるとしたら、

結果に対する依存が強いのかもしれない。

TAから見倣う所はいっぱいある。手始めに、結果に対する依存心の少なさ、

は立派で見倣える。

あとは、顔なんだろうか。TAは顔がいい。

例えるなら、いい意味でミッキーマウスのような

顔かもしれない(どのような顔だ笑)。

人が人を判断する時、顔が最初の判断になる、という人もいるけれど、

個人的には、顔が最終的な判断になるのではないかと思う。

私も顔がいい(何様笑)ため、いい意味でわかるのだけれど、

顔がいいと、常に自己肯定感が湧いてくることは事実であり、

自己肯定感が高いと相手に適切に優しくすることが叶い、

それで株が上がり、また自己肯定感が上がるという好循環がある。

私は、リラックマみたいな顔になりたい。

だらだらごろごろしたい。

団子を食べて🍡、音楽を聴いて🎧、黄色いビーズクッションを触っていたい。

リラックマになりたい、と母に言うと、

もうなっているじゃないの、と言われる。

いつもこう言うやりとりがある。

いい意味であまり複雑なことはしたくない。

私はリラックマ…私はリラックマという想像を保つため、

あまり複雑なことは必要としない🗼🔮🌈












楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈