今日も文学をメロディにできなかった。
(前書き)
個人の経験ではなく
既成概念を中心に
根拠とするなら、
私は亡霊となり。
彼らの記憶の中に生きていることになる。
肉体に宿る記憶を根拠に思うなら
いつまで経っても限界を越える
気持ちは生まれない。
私は命を賭けてでも
限界を越える。
そのような冗談に実が付くまで
ローリスクローリターンで賭け続ける。
いつかこの冗談が
半分当たり前になるような
そのような未来を創ろう。
(本文)
このボディに宿る記憶
自分の生存を優先する本能
遺伝子に刻み込まれたプログラム
このボディに宿る記憶を大切にするのは
安心感を得たい 不安を絶ち切りたいから
でもそのままでいるなら
成長のために
誰かが適切な課題を
用意してくれるのを待つことになる
限界を越えるためには
誰かが適切な課題を
用意してくれることに
頼りきりにならないためには
自分で適切な課題を探すことになる
そうする場合は
自分の肉体に宿る記憶以外にも
着目していくことになる
これまでの成長は全部そうやって進めてきた
自分のボディに宿る記憶以外を受け付けない
そのようになると
ほとんどの刺激を心乱すものとして
受け付けなくなり
防衛のために牙を向くことになるだろう
その防衛は自分のためだけでしかなくて
もしも自分の肉体に宿る記憶以外をも
受け付ける柔軟さがあるなら
牙を向かずに済むんだ
※オリジナルソングにおいて何を成功とするのか、
いい意味でわからなくなっている。前向きな言葉で固めたとしても、
国民的スターになれるようなメロディが浮かぶことはなかった。
私の中では、大正解的なメロディを作れば、ヒットするはずだ、
と思っているところがあった。
しかし、ヒットしている人たちは、
本当の大正解的なメロディを作ったからヒットしたのか❓
それとは別に、何か行動をしたんじゃないのだろうか。
国民的大スターになりたい、気持ちはある。
言うが易し、行うが難しい。とボディに宿っているから、
あまり軽々しくその目標を語らないようにしている。
ものすごい熱意を持って、大きな目標を語る人がいたら、
いい意味で鬱陶しい、と思ってしまう私がいる。
そうして相手の立場になって考えたなら、
自分もそのようにすることはしない、と答えが出る。
大きな目標を達成するための具体的なプランを立て切れていない、
それも事実。
いい意味で熱意が足りないことも事実。
熱意がありすぎても、いい意味で浮くかもしれないからな。
適度な熱意を持ち続けることを大切にしている。
大ヒットするメロディを作るにはどうしたらいいんだろう。
音楽という分野は愛しているけれど、
自分が作った曲はずっと愛せるほどの価値があると、
自分でさえ思えない。
音楽以外の分野も好きで取り組みたい気持ちが本当の気持ちだ。
音楽以外の分野で、本当の気持ちを肯定できるくらいの成果が出せていれば
幸せ、だと言える。
もちろん、今も幸せだ。
本当の気持ちを呼び戻すなら、
書くほどのことは特にないと思い出すかもしれない。
いい意味で本当の気持ちを呼び戻さずに書き進めるのは。
書かないことがそもそもの問題だと、自分のボディに宿らせたからだ。
訓練することで、自分を書き換えた。
書き換える努力もせずに、あわあわしている人がいるなら、
自分を書き換える覚悟を持ち、訓練を行えば、
現実を変えられると思う。
いい意味で、
武器を十分持っていない人の
言葉は、ボディに強く宿る言葉のように
聴こえる(個人的には)。
武器を十分持っていないから、
こんな明るいことが言える、
そのように自分自身思ってたこともある。
だから、進化をするってことは、
武器を十分持って、以前のように
弾むように明るくすることを
控えること、だと導いてしまう。
十分、武器を持っていなかったから
心はあんなに弾んでいた。
武器が増える度に、強くなる度に、
心があんなに弾むことはなくなっていった。
大人になるということは、
武器を持つこと。
増やすこと。強くなること。
いつまでも、武器を十分持たない
子供のように、弾んだ心でいたい
気持ちには折り合いを付けることになる。
声で、歌で世界を変える。
という発想を思い出した。
しかし基本、静かに音楽を聴く方が好き。
それで、1時間のこの動画ができた。
わたしなりに、納得できる方法で、
世界を変える力を、動画に持たせた。
今後も、納得できる方法で、
都合の善い世界に変えていくような
作品作りをしよう。
魂の叫びに、
現実が呼応するようになって、
心の陥没はなくなった。
足りないなにかを満たすために
このボディに響かせて
叫ぼうとすることもなくなった。
満たされている。
あのときのように
ボディに鳴り響かなかったとしても
それはあのとき
足りない何を手に入れるために
本気で叫んだからだし
揺らした世界に本気で望みを流した
からだと思う。
あのときのようにボディに響かなくなることを
かなしく思ったこともあったけれど
もう大丈夫。
進化する楽しみがわかるようになったから
かなしさを帳消しできる。
ノーペインノーゲイン。
痛みがあるからなにかを得られる。
なにかを得ることは、楽しめた方がいいだろ。
beatman青森
世界一格好いいbeatを作る。
beatman beatmania 青森
鼓動を早めることで縮む寿命と
今を輝かせるためには
大きく鼓動をならす必要性を
天秤に掛け
脳がパニックにならないくらいの
スピードで
鼓動に刺激を与えるんだ
beatman beatmaniaとしては
鼓動を大きくすること 進めることは
いい意味で怖くない
しかし心拍数を計る機械で
異常値が出るようなビートは
健康的によくなくて
健康から逆算して
乗れる上がれるビートを作るんだ
とある青森はbeatmania beatman
誰も聴いていない所でbeatを早くするのは、
鼓動の無駄遣いだ。
やはり、誰かが見ているところ、聴いているところで、beatを表現することが大切だと思う。
以前の私は、人前でliveすることも、
YouTubeに投稿することも恥ずかしかったり、怖かったりしたあの頃は。
誰も見ていない聴いていない所で
マルチエフェクターをいじり
多様なギターサウンドをひとり
楽しんでいた。
極限まで、beatを高めた自由時間。
それがなんになるのか考えることもせず。
見返りをもとめず、ものをあげるようなものだ。
beatを自分の意思で、思い付く限り、
極限的に速めたこともあった。
beatを極限まで速めれば速めるほど、
家族との会話が噛み合いづらい性格になってしまっていたこともある。
家族と仲良く会話することは大切だ。
beatを極限的に追求することで、
会話が噛み合わなくなるのなら、
beatを極限的に追求することをやめる男だ。私は。
しかし、今日は、そのようにこれまで封印してきたbeatに対する追求心を思い出した。
結果がでなくてもいいと割りきる。
心高鳴る、弾むbeatをただ追求したいんだと思い出す。
beatに誠実になればなるほど、
私は人ではなくて人以上のなにかに
なれるかもしれない。
要するに特化することで
人以上のなにか、に思われるかもしれない。
もっとbeatを追求しよう。
心拍数爆上げするようなbeatを組んで
相手に聴かせたい。
しっかし、本当に結果を度外視するとしたら、数年前のように誰も聴いていない見ていない所で、ひとりで極限的にbeatを早めるんだろうから。
これ以降は、さすがに学んだことを活かし、相手に認められるようなbeatを作ることと、純粋に単純に、ボディがとことん喜ぶようなbeatを作りたい。
まあ、平和で安心できるbeatがいいよな。
変に不安を煽るようなbeatよりも、
平和で安心できる上に気分がアガるbeatが
いいよな。
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈