実はこれまで怒りや怨恨を原動力にしていました。
さまざまな分野において、格上に対する嫉妬。
他にも、30代、40代、50代、60代より上の、
おじさん、おばさん達みたいに、
落ち着いてたまるか。
(まだいい意味で若さがあるから、
全力で悔いない時間を過ごそう、という思いの強さ)
そう思う一方、自分も24ではあるから、
年相応に周りのことも考えなくては、
と気を配るバランスも持っている。
若さが正義でもないし、重ねた歳の数が正義でもない。
全ての価値観は正しく、
全ての価値観は、それに反対する立場から
考えれば悪いとも言える。
それなりに歳を重ねた人は、怒りや怨恨を原動力にすることはないはずだ。
それはあくまで私が思っているだけであって、
幻想かもしれないけれど。
個人的には、いい歳して【怒り】【怨恨】を原動力にしている人は
大人気ない、と判断している。
全ての価値観は正しいから、そのような人を見かけても、
【大人気ないですね】とは言わないが。
そういう自分も、実は【怒り】【怨恨】を原動力にしていた。
散々書いた通り、いい歳してそれらを原動力にすることは
大人気なさの証明でもあるのだが。
逆に言えば、若さの証明でもある。
【俺はまだ若いんだぞ】
自分の中で反復させるため、そのような考えを好んでいた。
しかし、最近、それらを原動力にしづらくなった。
心の成長、などではなく、
精神的に満たされてきたからだ。
これまでYouTubeの登録者も、再生回数も、高評価も、コメントも
増えないだろう、と思っていたが
ショート動画がハマり、なんの取り繕わない素の姿なのに
満足できる結果が出るようになった。
格上と比べたがる気質だから、
noteでフォロワーが増えても増えても
YouTubeで満足いく結果が出せていないことは常、脳裏にあった。
だから、ここ最近のYouTubeにおける変化は
とても待ち望んでいたものだ。
満足できない結果に対する落胆を、永遠に根に持つほど、
私の心は弱くない。
(noteで満足いく結果が出せているからだが)
でも、心に引っかかっていたものがひとつ、消えてなくなった。
それを起点にし、
【怒り】や【怨恨】を原動力にする
ことをやめようか、どうしようか、考え始めた。
【落ち着いてたまるか】
という気持ちはまた現れるだろう。
【若さの確認】
のために、わざわざそれらで推進するかもしれない。
例えば、小学校時代に書かされた反省文をナンセンスだと思った
あの気持ちだ。
【必ず繰り返しません】
安易な誓いで縛っていいものだろうか。
法的にも道徳的にも確実にやっちゃいけないこともあるが
【もう2度と繰り返さない】
レベルで誓いを立てる事柄ばかりが
世の中に転がっているわけじゃない。
そこの見極めを見誤ると、無駄に窮屈な人生になるだろうな⭐️⭐️🗼🔮🌈
楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈