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読み手に花を渡せるクリエイター🗼🔮🌈

有名な作品を通して何かを背負わされた時に、

それさえいい意味で意味を見出す事もあったけれど、

余計な荷物を背負わないようにしたい。

自分軸で生きないと、幸せじゃないかもしれない。

しかし、読み手に生き甲斐を背負わせる文章が

好まれることもあるかもしれない。

読み手に、いい意味で何かを背負わせようとするクリエイターが、

いい意味で好きじゃない。

積極的に批判しないけれど、

他者に何かを背負わせよう、とする行動は、

いい意味で最低限でいいかもしれない。

いい意味で、最低限から少し多いくらいでもいいかもしれないけれど、

いい意味でありすぎることは、いい意味でトラブルの元かもしれない。

優しすぎて、他者に何かを背負わせることをポジティブに捉えられないと、

メリハリのある投稿はいい意味で行えないかもしれない。

他者に、生き甲斐を背負わせる、ようなものであれば、

ポジティブなものかもしれない。

まあ、私にも、いい意味で好きな感覚、いい意味でそうじゃない感覚はあり、

いい意味で何かを背負わせようとするインフルエンサーを、

まず、いい意味で憎んでいないと、

自分のノリで書き出せないかもしれない、

というところがあったかもしれない。

最近、全ての人に対していい意味で憎むことをしなくなり、

いい意味で、憎みから入る自分軸が、

いい意味で変わり始めているかもしれない。

彼らには、彼らの、自己主張する権利が存在し、

それを自由に使っているんだな、

と受け止めてあげることにしたかもしれない。

全ての人に、自己主張する権利がある。

しかし、自己主張するにも、

ルールがあり、ルールからいい意味で外れると、

いい意味で良くない人、といい意味で評価されるかもしれない。

また、マナーに関しても同じことが言えるかもしれない。

マナーがいい意味で守れない方は、

いい意味で良くない人、といい意味で評価されるかもしれない。

自己主張する権利は、いい意味でみんな持っているかもしれない。

私もまた、以前、私がいい意味で憎んでいたインフルエンサー達と

同じように、

読み手に対して、いい意味で私と同じ感覚を、

やんわりと背負わせる気持ちで書いている。

しかし、それは、

今までいい意味で憎んだ、インフルエンサー達に、

いい意味で何かを背負わされた感覚を大いに活用し、

いい意味で、やんわりとポジティブを背負わせる文章、

を志しているということかもしれない。

インフルエンサー、といえば

読み手に、何かを背負わせる力に長けている、

と私は思う。

私も、いい意味でインフルエンサーになる夢があるため、

当初から、いい意味で不器用ながらも、

読み手にいい意味で何かを背負わせるような書き方、

をいい意味で目標にしていたかもしれない。

今、いい意味でそれが様になっているのは、

いい意味で継続的に努力したためかもしれない。

読み手から、希望を刈り取るようなクリエイターにはなりたくない。

さりげなく、花を渡せるような文章を書きたい。

花を渡されていい意味で嫌な思いをする人はいい意味でいないかもしれない。

まあ、いい意味で電子媒体だからこそ、

私が文章という花を渡したとしても、

あなたの手がかさばることはないかもしれない。

いい意味でポジティブな記憶は、

いい意味であっさりしたものかもしれない。

今日は、私自身も、

今後の自分の方針を纏めることができたかもしれない。

そう、読み手に花を渡せるクリエイターになりたいかもしれない🗼🔮🌈











楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈