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SEKAINOKOTOWARI(世界の理)

子供の時、1つの分野にあれだけ熱中できたのは、

大人が余裕を作り出してくれたから。

結果・成果は全て自分の力によるものだと思っていたけれど、

そのようなことはなかった。

私が、結果・成果を出せたのは、

大人の精神的・物質的サポートによるものだった。

それに気づけないことはいい意味で残酷かもしれない。

それに気づけなくても、少年少女は大人になる。

今度は自分たちが、後輩のために余裕を作り出す立場になっていく。

それに気づけず、考えを変えられない方は、周りを困らせてしまう。

歳に合わせて考えを変えられない方は、歪みの源になるかもしれない。

歳に合わせて考えを変えられなくても、

なんらかの結果・成果が出ることもあるかもしれないけれど、

それだと周りから嫌われるし、

本人も生きづらいと感じるかもしれない。



そういう自分勝手な人はいい意味で自滅しろ。

と言いたいところだが、

そういうどうしようもない人間こそ、

追い詰められるとSOSをより強く放つかもしれない。

これ以上、そういう方によって困らされないためには、

逆に、効果的に手を差し伸べる方が楽かもしれない。

自滅寸前まで行っといて、そこまでいざきたら、

周りにSOSをより強く放つ方は、赤ちゃんのような存在かもしれない。

赤ちゃんは、泣くことで、強くSOSを放つ。

人間的な感情を一旦置いておいたら、

私は赤ちゃんに対して、

自分で自滅寸前まで行っておいて、そこまで行ったら強いSOSを放つ存在、

と仮定することもできる、と考える。

赤ちゃんはどういうわけか、

この世界で生きて行くための力が備わっていない。

大人が精神的・物理的サポートをしなければ生きられない存在かもしれない。

赤ちゃんが、生まれたときから、この世界で生きて行く能力が備わっていれば、

色々と便利なのに、どういうわけか世界はそのようになっていないようだ。

誰もが、生まれた時は赤ちゃんで、

必ず大人から精神的・物質なサポートをもらって生きている。

だから自分が大人になるにつれて、

恩返しとして、子供に精神的・物質的サポートをしてあげることになる。

受けた恩は、恩をくれた相手に直接返すよりも、

後輩に返す方が自然なんじゃないかと思える。

いつまでも、自分だけが可愛いじゃ、いけないかもしれない。

それらを受け入れることで、世界の理を受け入れたことになる。

世界の理は誰もが受け入れなければならない。


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈