キッチンファーマシーの心得
いのちの道
①ひとつめの道
昭和の始め
「食物の道」=食事のこと
「おしものの道」と呼んでいました
暮らしの糧は
本来お金ではなく
植物を中心とした
この大地で作られる恵でした
江戸時代には
お米が税金であり
年貢米を国に納めていたわけです
日々台所で繰り返される
命を全うする儀式
料理☆
私たちの暮らしとは何?
其れらを台所の中で
再度確認したいと思います
②ふたつめの道
「手末の道」=手のひらで何かをすること
「たなすえの道」とは?
お手当てのこと
このお手当ての道は
医師や治療者だけではありません
暮らし全般に関わる
手のひらで何か事を成す事です
モノを作る事
ものごとを進める事
其れらもお手当てと
変わらないということです
つまり社会の仕組みづくりも…
…お手当て
モノゴトを進めていく中に
思いがこもり
命あるもの達へ
影響すると
考えられていたわけです
手を差し伸べる事は
影響を及ぼすという事です
③みっつめの道
「神ながらの道」=宇宙の法則
自然の法則
大いなる畏敬 中心の柱
「かんながらの道」
神道だけの言葉ではなく
宗教という視点だけでなく
科学的な観点からも
法則はあるものです
お日様は東から昇り西へ沈む等々‥
当たり前に思われている
変えようの無い
この世界の法則です
④よっつめの道
「敷島の道」
神さまの声を
降ろす人のこと
天からのエネルギーを
降ろすということ
つまり
唄に詠んだり
歌を歌ったり
お手当のエネルギーを降ろしたり
素晴らしき教育者の壇上などなど
「しきしまの道」!
よっつの道を繋ぐ道…
「ひとの道」
この世界の交わりの道
いつつめの道なのかもしれません
「おしものの道」
「たなすえの道」
「かんながらの道」
「しきしまの道」
私たちは
数々の事を
見ない振りをして
忘れ過ぎてしまってように思います
先ずは暮らしに関わる
当たり前であるはずの事を
見直し
実行する時期
性の違いと果たす役割
「母性」
その大いなる根幹は
「父性」を
持って然りなのでしょう
何方が欠けても
成り立つはずはありません
笑顔の
「母性」を
取り戻す事は
真摯なる
「父性」も
共にそこにあるという事です
原動力になる想いは
女から‥
ひとは雰囲気でその気になります(^o^)
具現化する行動は
男から‥
モノゴトを的確に法則に合わせて組立(^_-)
神さまが
男女を造られた
意図があるかと思います
古事記にも語られています
神のしま久高島
日本の最南端
沖縄の久高島
その島に産まれた女たちは皆
天からの声をおろす女でした
政(まつりごと)をおろす縦の軸
天の繋ぎ役
ノロさま
理(ことわり)をおろす横の軸
世の繋ぎ役
ユタさま
(これらは私に降りて来た解釈です^ ^)
ここ鹿児島の島々にも
その方々がいらっしゃいます
久高島の女たちは
かみんちゅう「女人」
天や世と繋ぐ役割を持つ
家族の中で地域の中で
神がかり的な存在である
神がかりは気狂いではない
現代は
その対処法を知らないだけ
久高ではその対処を
地域でおこないました
(あたりまえですが…安定剤とかいう
薬に任かさず繋がりの中で自然に^_^*)
雨降るよ傘持って行きなさい…
って朝お母さんが子どもへ伝える
風をよみ
時をよむ
久高島の男たちは
かみんちゅう「神人」
大地をよみ
海をよみ
者や物をよみ
汗を流して
陽に照らされて
社会の中で大地の中で
人々を養う
魚が大漁
穀物が野菜が豊穣
今年の祭りを楽しみに
神さまに報告する男たち
おまつり(御奉り)
私が何で出来ているか?
毎日の食卓の向こう側に
社会が宇宙が
見えて来ます
いのち
ある今
手のひら療治を鑑みて
kitchenファーマシスト
江口麻緒(^O^)