ダヴォス旅行記
ダヴォスについての記述は、絵画であればキルヒナーにお任せしよう。だがきっと、日本語で描写するのは、わたしの役割だ。
二〇一八年の晩夏、わたしはダヴォスという村におもむいた。アルプス山脈にかこまれた標高一六〇〇メートルに位置するちいさな村である。いまからおよそ百年ほど前、画家エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーが、ナチスドイツによる迫害からのがれるため、また、鬱とモルヒネ依存を癒すために移り住み、日々を過ごし、そして自殺した──その場所がダヴォスであった。
キルヒナーはわたしに精神を宿した天使であった……いや悪魔だっただろうか。精神の獲得を促すことは、罪深いことのようにもおもえる。「みえなくてよい」ものがみえることになるのだから。キルヒナーはわたしにベルリンを紹介した。かれがベルリンを描いた絵画がわたしをとらえたのだ。わたしはそれらがもつエネルギーを体全身で受けとめてしまったようだった。その絵画たちには色濃く渦巻いた感情が刻みこまれていた。目をそむけたくなるほどの強烈な感情をこちらに浴びせかけてくるようだ。反逆の悪魔は空虚なわたしのうつろなこころを支配し、そしてベルリンへと誘きよせた。……たしかにわたしは、そこで人間的な享楽と憂鬱を発見した。すべてが豪奢なメインディッシュで、胃もたれするようだった。あまりに甘美でそして苦く、いまでも舌にこびりついて離れないようだ。あらゆる時間の断片が怒涛にうねりながら目の前にあらわれ、わたしの内に重い跡をのこしていった。ベルリンはもうにどと解かれることのない呪いとしてわたしのなかに刻印されたのだ。そのときわたしはようやく感情を獲得したようにおもわれた。……
いずれにせよ、こうしてキルヒナーはわたしにとって重要な存在となった。わたしは悪魔的に敬愛する画家が最期を遂げた場所に訪れ、その場所の空気を肌で感じたかった。そして、わたしはキルヒナーの影を追って、ダヴォスにまでやってきた。長い旅であった。当時滞在していたベルリンからおよそ八五〇キロメートル、バスと列車を乗り継いで十四時間をかけての旅程であった。ベルリンからミュンヘンまで夜行バスで移動し、ミュンヘンからふたたびバスでスイスのクール駅へゆき(鉄道会社が運行するバスだったため、紛らわしかった!)ベルニナ急行に乗ってフィリズール駅へ、そしてメーターゲージの列車に乗りこんで、ついにダヴォス・プラッツ駅へと辿りついた。ベルニナ急行はアルプスの山々を横切って走る列車である。赤い車体がアルプスの緑色のなかに浮かびあがり、晩夏の空を染める青と諧和している。ベルニナ急行はわたしを壮大な大自然へと放りだした。わたしは山々のあいだを縫うように宙を飛びまわっていた。濁りのない絵の具で塗ったかのようなあざやかな色彩が目前に広がっていた。青い空と白い山、赤い列車……自然とはこんなにもうつくしい。
ついに到着したダヴォスは八月だというのに涼しく、前日までベルリンで着ていた羽織りだけではもう肌寒かった。降りたったダヴォス・プラッツ駅は、緑色の山々にかこまれ、もうすぐそこに山の斜面がある。歩けば一時間もせずに一周できるちいさなちいさな村だった。簡素でかわいらしいちいさな民家が立ち並んでいる。ゆるやかな坂道の先に時計をたずさえる塔がみえ、それは村をみまもるように確固にしかし謙虚に佇んでいた。
宿泊する予定の民家は駅にほど近いアパートメントの一室であった。主人は席をはずしており、ルームメイトのスペイン人男性が部屋を案内してくれた。挨拶をし、街をみまわことにした。時刻は十七時。まだ日は長い。坂をのぼった先にある、ちいさな店に入った。店員の男性は暇そうで、わたしが訪ねるとこころよく歓迎してくれた。「この村は冬はスキーの観光地なんだ。夏は暇だからここで小遣い稼ぎをしているんだ」たしかに、駅からみえるすぐそこの山の斜面にリフトが張られていた。店員はわたしに記念品のボールペンを渡してくれた。村にはシャッツアルプという山の麓がすぐそこにあり、わたしはその遊歩道をすこしだけのぼってみることにした。家々の屋根をみわたせる高さにまで登るころには太陽が沈みだした。アルプスの山を背景に、時計塔がその存在をわたしにしらしめてきた。夕暮れのダヴォスの村は静寂に包まれていた。青々とした自然と白を基調とした建築を照らす寒色の空は、色の冷たさに相反してどこかあたたかさを感じさせた。
宿泊先の民家にもどると主人の女性は帰宅していた。スペイン人の綺麗な女性であった。彼女は近くのホテルで働いていることと、スイスでは宿泊税がかかることなどを説明して、わたしに家の設備を案内してくれた。その家はとてもかわいらしい家具でかこまれていた。DIYインテリアのあたたかい空間だ。ワインのボトルを利用した照明、フォークを使った鍵掛け、すのこのベッド。幼いころに絵本でみた異国の部屋のようだ。映画よりも幻想的だった。その日は列車旅の疲れもありすぐに眠ってしまった。
翌日わたしはキルヒナー美術館に真っ先にむかった。ダヴォスにおもむいた目的のひとつであった。キルヒナー美術館はキルヒナーの記念館であり、ダヴォス・プラッツの小高くなったところにある。ベルリンやその他都市の美術館ではほとんどみたことがない、キルヒナーがダヴォスで制作した晩年の作品が展示されていた。絵画に限らず木の彫刻でできたベッドや、キルヒナーがデザインした織物も……実物は大きなエネルギーをもっていた。かれはきっと、つねに新たな表現を探求し続けていたのだろう。わたしはキルヒナーの創作への渇望があまりに重くのしかかってくるのを感じた。かれが愛したダヴォスの街並みも、パートナーのエルナ・シーリングも、そしてともにダヴォスで過ごしていた猫……特に黒猫のボビーをうつした絵画の数々は、あまりにも感情的で大きなエネルギーを放ち、わたしは圧倒され、キルヒナーがつくりだした世界にこころが覆いつくされた。
かれこそ芸術家なのではないか。わたしはおもった。いまもおもっている。キルヒナーの人生が芸術であると。かれはつねに自由を求めていた、かれは人生に意味をもたせようとした。そして、いきることを表現せずにはいられなかったのだ。
キルヒナーのエネルギーはわたしの内側にはちきれんばかりに入りこんだ。わたしは放心しながらダヴォスの村をそぞろ歩いた。山間部の村なので、数キロの移動でものぼったりくだったりの勾配が激しい。青い空のもと広大な緑色の大地でメーターゲージのかわいらしい列車と追いかけっこするように、わたしはダヴォスを駆けまわり、キルヒナーの生家「イン・デア・ラーヒェン」、かれが自殺をした際の住居、「ヴァルトボーデンハウス」、そして、キルヒナーの墓をめぐった。
ダヴォスの村の景色はキルヒナーがいきていた百年前とおなじだろうか? 新しい施設はキルヒナー美術館と駅前にわずかにある程度で、ながく古い建築がのこされているようにおもわれる。もはやわたしは百年前にタイムスリップしたような気分さえしていた。
村をみわたすためにシャッツアルプに登ることにした。村の北東側には、村を俗世から隔てる仕切り壁のように山——シャッツアルプがそびえていて、村を沿うように、登山ルート「トーマス・マン道」がある。「トーマス・マン道」をおよそ三百メートルほどのぼれば、トーマス・マンの「魔の山」の舞台となったサナトリウムがあるのだ。青いケーブルカーが稼働しているが、わたしは徒歩を選んだ。戸愚呂を巻くように山を登った。汗も出てきて息もあがってきた。ようやくハイキングコースを登りきりサナトリウムに着いたころには、かなり疲れていた。だが、そんなことを忘れてしまった。シャッツアルプのサナトリウムは…まるで体験したことのない情景がひろがっていた。
それは、ユーゲント・シュティール(アール・ヌーヴォー)の絵画のようであった。山々の緑を背景に、クリーム色の壁に緑色の鎧戸、赤色の屋根に、あの独特な世紀末仕様の装飾……。現在はホテルとして使用され、小規模な観光ガイドツアーもあるが、ほんとうに、ここは百年前にサナトリウムとして使われていた場所なんだ……あのトーマス・マンも滞在し、物語の舞台にもなった……そこに描かれるのは、よろこびもたのしみもあったが、つねにどこか悲哀と諦観が漂っていた場所だった……ふしぎな空気が流れているようだった。地上とはなにかがちがう場所のようだった。是非はしらないが、ここにいると、なにか自分のなかでつねとは異なる思考や感覚が芽生えてくるようだった。
すると、サナトリウムの入り口に、黒猫が佇んでいた。こころあたりがあった。……ボビーではないだろうか? キルヒナーがかわいがっていたという、何度も絵に描かれていた、飼い猫の黒猫ボビーではないか。きっとボビーだとわたしはおもった。サナトリウムの門のしたで、ボビーはうずくまっていた。ボビーはわたしをみつめる。わたしもボビーをみつめかえす。そしてわたしはボビーに近づいた。ボビーはにげようとしない。ボビーはうしろを振りかえる。ついてこいといわんばかりにわたしのほうをみる。そしてサナトリウムのゲートへと歩んでゆく。……
わたしはボビーについていった。ボビーのあとを追ってサナトリウムを彷徨いながら、わたしはおもうのだ。いったい、なんの因果があってわたしはこんなところまできたのだろうと。ふしぎにおもうのだ。百年後の遠く離れた国にうまれたわたしが、なぜキルヒナーの影を追って、ここまでこなくてはならなかったのか。なぜボビーはここサナトリウムでわたしを待っていて、そしてわたしをふたたびどこかへみちびこうとするのか。いや、この黒猫はボビーではないのではないか? キルヒナーではないのか? キルヒナーはこの黒猫にのりうつって、わたしに挨拶をしようとしたのではないか? なにかつたえたいことがあったのではないか?……
黒猫がみせてくれたサナトリウムからのダヴォスの景色はあまりに綺麗だった。……キルヒナーもこの景色をみたのだろう。かれはダヴォスを愛し、いくつもの絵画にのこした。それらはとても愛おしく描かれているのだ。