代打町田①※これは僕の想像の中の町田さんであり、実物の町田さんではない。
散文。想像ぼくのなかの九番打者町田さん。
※これは僕の想像の中の町田さんであり、実物の町田さんではない。
オーナー室。
M球団オーナー「ノックはいらんよ。入ってくれ。」
秘書「町田さんです」
町田、ダウンジャケットで登場。
M球団オーナー(以下オーナー)「相変わらず厚着だな。」
オーナーチェアーからソファに座り。
オーナー「お前が初めて年俸を二倍にした時のことはよく覚えているよ」
オーナー「まさか野球の球をメーカーに賄賂を渡して分析しようとよく考えたもんだよ」
オーナー「おかげでお前のキャッチフレーズのように車部門はなってしまったよ、海外は別だがな」
町田、微動だにせず。
オーナー「座らんのもいい。お前の病気だからな。」
2.町田の病気
町田の家族構成は父、母、長男、町田、妹の五人兄弟。特に妹は七歳離れているため、というかそれ以上に、父は酒のみだった。
その酒のせいで父は母どころか長男、町田にも及んだ。当時は法で縛る規制がなかったためよくあるケースで示談ですむのである。
ところがなぜそのようなケースになったのかというと、長男が多弁で言語障害があり、意味不明なことを突然叫んだりするのが六歳からあり、父はそれに怒り、母は障がい者施設にいれるのを反対。
広島の田舎のため、噂は伝わり、労働してもワーキングプアになるため、母は長男にも町田にも甘く育てた。正確には母以外は敵しかいなかった。
事態がかわるのは、父がやっと軽自動車を、オート三輪から中古の軽自動車に乗り換えて四人で尾道に旅行に行き、家族は変化。その時に妹ができる。小学二年の時だ。
それまでは長かった。
野球に興味を持っていたが、グローブはじめバット、スパイクこれらが買えない。そこで小学生の町田少年はお手玉を室内で宙に向かって投げて、素手で取っての連続で、それに見かねた母がちかくの他縁の老人たちを助けて、ボランティアの代わりに町田少年が好かれて、あるとき老人に聞かれた。
老人「おう君。いっつも家にいるらしいけど何している?」
町田「・・・」
老人「どうした。」
町田「母の代わりに・・・包丁を研いでいます・・・」
老人「えっ。」「でも君のお母さんはいつも包丁とぎを頼んでいるよ」
町田「・・・・」
老人「悩みがあるなら言ってみなさい」「同じ町に住むひとじゃないかい?」
町田はこの時にいつも小学校で友達と野球をしたいと初めて言った。すると老人は息子が戦争で硬式野球を中断した話をして、「硬式ボール」を渡した。
これがバッター町田の始まりだった。時は1979年だった。
オーナー「お前のその言葉は重かったよ。」
町田「座ってもよろしいですか?」
オーナー「お前に言われたら断るやつはいない」
一分ほど静寂
町田「よっきゅんは元気ですか?」
オーナー「お前、小学校のあだ名で呼ぶなと何回も注意しただろ」
町田「じゃあ投手コーチは?」
オーナー「元気だよ。お前が阪神に行っている間もな。」
町田「すんません。」「体あったまってきたので、ジャケットにします」
秘書、ジャケットを持ってくる。
オーナー「お前も難儀だよなぁ。人を傷つけちゃいけない自分ルール」
町田「ふっ(小声)」
町田「巨人の彼は元気ですか?」
オーナー「お前、敵のこと最初に聞くのか?年俸の前だぞ。」
町田「つぶしちゃったんで。」
町田「だめでしょうか?」
オーナー「秘書、メジャーの録画画像見せてやれ」
町田「あ~彼ですね。」
秘書「オーナー町田さんコーヒーお持ちしました」
町田小さく礼をする。
町田「いいですね。コンパクトで、昔より大振りじゃなくなった。よっきゅんと比べるとひどいけど、力投やめたんですよね。」
オーナー「お前が力投辞めせて二軍暮らしを五年させた原因だろ」
オーナーため息つく。
町田「そうでしたっけ?」
オーナー「忘れるな。巨人の当時の監督からクレームが来たんだからな」
町田「えっ」
オーナー「町田をうちの○○とぶつけるくらいならいい外国人紹介してやる。そのかわり打者から降ろせ。」
町田「それもいいかもしれないですね」
オーナー「それは困る。おまえは一流だからな!。」
町田「僕もう32ですよ。」
オーナー「広島に残れ」
町田「渡り鳥・・・やってみようと思うのですが」
オーナー「各地練り歩いてまた「潰し屋」やりたいのか?」
町田「そもそもですよね。」
オーナー「そうだ。敵の配球癖とモーション、それに相手に合わせて現地で、チームメイトのバットを変えて対応する奴なんてお前くらいしかいない」
オーナー「お前はチームを知りすぎている」「もし巨人なんていったらわがチームは情報も売るんだぞ。おまえは二重スパイにでもなりたいのか!!」
町田「ちがいますよ。ほんとうに野球をしたいだけですよ。」「血圧下げてください」
オーナー「お前こそ上げろ。ほんとに精神病で地獄行くぞ。」
町田「ハハハハ、」
秘書「そろそろ町田様お飲み物飲んだ方が持病が心配です」
町田「血中のヘモグロビンが増えすぎているから水で薄めないと、脳にいく血の栄養が多くて他の人よりも脈が多いから、「脳死」しちゃうんだよね。知ってる。」
町田「このやり取り22からだから懐かしいから、安心するよ。」
オーナー「ゆうのやつの紹介がなければ、お前を打撃だけで取る予定もなかったのにな。」
町田「ゆうの膝の具合は、もうですもんね。」
オーナー「歩けるだろ?」
町田「バッティングピッチャーはもう無理でしょ。」
オーナー「だがお前が教えた頭脳は引き継げる」
町田「ゆっきゅんとの対戦、いまだに覚えていますよ。」
町田「当時、軟式からリトルに移動して初めての野球。
異常に体の大きい子がいて同級生だと知らなくて驚いた。それがゆっきゅん。
身長は六年生で178cmあってから打も太くて、でも足はスマートで。上半身で投げるスタイルのオーバースローピッチャー。」
「もちろん軟式からの以降の初めてで選抜戦小学五年生のテスト戦がそれだ」
広島の地方新聞社も来ていて注目。でもカメラマンは写真は撮らなかった。
初球113キロ。とっても抜いた4シーム。配球は真ん中目。もちろん僕は震えていたため見逃し。
2球目109キロ。伸びる4シーム。ゆっきゅんらしい。それをお得意の外角低めにズドン。といかなかった。僕はカット。しかしその時に感じたのが「木製バットのバランス」
※金属バットの解説
軟式野球はバットがグリップエンドがタイカップモデルとストレートタイプにわかれている。
それからバットの重りの重心から近距離バッターモデル(体の近い位置に重りが入っている)
中距離バッターモデル(体より少し離れた位置に重りが入っている)
遠距離バッターモデル(体の遠い位置に重りが入っている)
上のものが普通なんだけど、木製バット一振りで体現した。
その時に6年生の正キャッチャーが、一言「早くはいれよ9番。何バットじろじろみてんだろ。」
町田「いやバットの重心考えてたんですよ。」
正キャッチャー「何意味の分かんないこと言ってんだよ」
町田、正キャッチャーを見ていてピッチャーを見ていない。
バッターゾーンから外して体の近くにボールが通る。
町田「バットの説明書に書いてあるでしょ。モデルごとの解説に。」
球審「おまえはなにしにきたんだ。教えに来たのか、テストをうけにきたのかはっきりせんか?」
町田「いやだってバッターなら木製バットの性質くらい知らないとおかしいじゃないですか?」
町田球審に向かって「バット試し振り、いる人の全員いいですか?」
球審「だめだ。もどりなさい。」
町田「しかたないですね。」
3級目106キロやや右よりの真ん中。スンッ
ライト前へのきれいな流し打ち一塁へ
町田しりあったばかりのチームメイトからいぇーいを受けながら一番バッターのチェンジとなり
町田「ごめんねー」守備へ
町田守備はヘタクソ小学二年生クラス(当時小学5年生)
正キャッチャー「あいつ意味わかんないからライトへ打つとたいていいけるぞーーー」
球審「タイム」
球審実はオーナー(小声)「君いっつもいうけど弱いとこ言いすぎる気があるから注意した方がいいぞ。」
正キャッチャー(小声)「いやだってボンフライ三本通していて、体感ですけど配球のパターンもベーシックなもの知っていて、」ライト見て「変なこと言うから一球外して様子見たら。僕の方ばっかりみてて、ゆうのやつのほう見ないんですよ」「場慣れているのに下手っておかしいです。」
外野「オーナー早くして~~~」
球審「ほらほら戻るよ」
二打席目
正キャッチャー「お前合格だから甘い球やる真ん中のカーブ。」
変化球スライダー105キロ
正キャッチャー「ゆうもっとゆっくり投げろ。」
町田「メンタルに来たんですよ。あんなにきれいにスライダーになったのは焦りですよ。」
マウンド時間をおいて腕で汗をぬぐう。
町田「うちのチーム結構いいと思いますよ。」
正キャッチャー「リードは俺だ。」
球審(やばい四番対策用のリードになっている、もし二球目のカット打法になったら)
12球カットする。
球審(やばいこの子やばい子だ―――――――)
13球目のリード
正捕手ど真ん中92キロを要求
ゆう拒否首を振る。正捕手外角低め94キロ要求うなずく
町田無言でスンッ。プルヒットポールすれすれ。
町田「木製バット、結構楽しいですね。重いですけど。」
そのときの町田母親に初めて買ってもらった重いバット使用。当時身長147センチ。小学五年生!!