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四半世紀もぬるま湯の中で

誕生日の朝5時過ぎに、母親から「誕生日おめでとう」とLINEが来ていた。起きていたけど、なんとなく返信するのを躊躇って、少し時間を空けて「ありがとう」と返した。それでもすぐに返信が来て、私はなんだか泣きそうになった。私はまだ「産んでくれてありがとう」とも「育ててくれてありがとう」とも言えていない。

25歳になってしまった。生まれてから四半世紀、幸福だったとも不幸だったとも言い切れない。けれども私はずっと息苦しく、生まれてきて良かったとは嘘でも言えないままだ。きっと他の人から見れば、私はぬるま湯に浸かってぬくぬく気楽に生きているように見えるのだと思う。私にとって、そのぬるま湯がどんなに傷に滲みていようと、側から見れば浅い浴槽でわざとらしく溺れているようにしか見えないだろう。どんなに訴えても、我慢しても、自分の痛みは他人に感知できないし、他人の痛みもまた、自分には感知できないものだ。25年生きてきた中で、私はそれを何度も思い知らされた。

今後の人生の展開は、正直言って何も見えない。これは比喩でもなんでもない事実で、私はこの年末で現在の職場を辞めて実家に身を寄せることにしたからだ。とは言え、noteでも散々書いている通り、私は実家でも上手く生きられない性質なので、このまま地元で再就職して実家で暮らしていけるとも思えない。目標も無ければモチベも無い、足先に広がる闇がじりじりと這い寄ってくるのを怯えながら見ているだけの日々である。

曰く、25歳という年齢は往々にして人生について悩むタイミングであるらしい。これまで積み重ねてきた人生の答え合わせのように、ここから先の人生は、結婚や出産、昇進、あるいは独立など、それぞれが抱える責任の重みが増してきて、簡単に進路変更することも難しくなっていく。言うなれば、25歳というのは、ラスボス前にジョブチェンジする最後のタイミングなのだ。まあ、人生のどこからでもジョブチェンジは可能だろうが、世間一般的に許される範囲では、25歳がギリギリのラインであるということだろう。

仕事を辞めると決めたのは、そういうタイミングだからというのもある。もっとも、一番の理由は、夏頃から心身の調子を崩してしまって独りで生活することに限界を感じたからだ。このまま無理を続けても、そのうち起き上がることもできなくなってあらゆる方面に迷惑をかけることになりかねないし、それならまだ多少は元気なうちに荷物をまとめて実家を頼ろうと思った。幸いなことに、実家には私が身を寄せるだけのスペースはあるし、家族も歓迎してくれた。職場の方ではちょっとゴタゴタしたが、なんとか退職できることになった。あとはもう、退職と引越しの各種手続きをこなして、荷造りをして、ボロアパートとおさらばするだけである。唯一の心残りと言えば、長らく片想いしていたお兄さんのことだが、彼は出会った当初から既婚者だし、今更できることもないので、このまま思い出として置いていくしかない。既婚者にちょっかいをかけて噂になるよりは、実家で祖母に未婚を嘆かれる方が100倍マシである。

正直なところ、憂鬱と不安で押し潰されそうな自分もいる。それでもそれなりに眠れるし、ご飯も食べられるし、おやつも美味しい。結局はそういう平凡な日常が幸せなのかもしれない。穏やかに眠れるように、美味しく食事ができるように、このまま浅いぬるま湯を揺蕩っていきたいと思う。


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