ポータル(入口)と発生装置としての鉱石の話
人はなぜクリスタルを「飾る」コーナーをつくるのか
インスタでフォローしている星読みさんのライブで、頭の中が「はっ」となった話があったので書いておこうかと。
部屋や空間を飾る物を選んだり買ったりする際…これは必需品ではなくて、いわゆる「お買い物」としての物のことですけれど
「精神的にもつながることのできるものを生活空間に迎えいれる」という話をされていて
(たしかノースノードが牡牛座に移った時なので心地よくなる物のことやお買い物の話になったと思う)
彼女が購入したのは、一枚のアートプリント。
それはとても愛らしくて少しキッチュなテイストのアートで、ものすごく「その人らしさ」とつながっているチョイスだったんです。
それを彼女は彼女の精神世界につながるポータル(入口)やアルター(祭壇)のようなものと話していました。
1-1.自分らしさの可視化とアンカリング(碇をおろす)ための…
集団の中で生活していて日頃感じる違和感や、自分にとっては不自然な考え方や行動をしなければならないことが積もり積もっていくと
ある日ふと、「ここは私の居場所じゃないのでは?」
「もっと私らしく生きたい」という気持ちが湧き上がってきます。
「らしくない違和感」と「らしいフィット感」って、毎日の生活や仕事や人とのかかわりのポイントポイントで海に漂う沈殿物や浮遊物のように波間からプカリと顔を出すから「ある」ことはわかるのだけど、いざ
「では貴方らしさとは何ですか?」
「どういう環境になればらしさを発揮できますか?」
「どんな状態のときにあなたの本質が発揮できているといえますか?」
と聞かれると…
今までわかっていた気がして掴んだつもりの「自分らしさ」が、途端にかたちが見えなくなって可視化も言語化も行動することもあやふやになってしまう・・・という経験はないでしょうか?
私は普段ぼーっと生きているのでよくあります(笑)。
私らしさは確かな形として存在はしていないけれど、でも確かにある気がする。
そして喜びや安心ややりがいといった<命の原動力>につながっているためには、たぶん絶対に使っていきたいもの。
星読みの彼女が語っていた「入口」「祭壇」「精神的なつながりをもつための買い物」って多分、
形をもたない自分の心の世界や私らしさに、三次元の物質世界からつながったり必要な時にそこへ還っていくためのもの。
で、【精神的な物】っていうのはその世界に繋がっておくための碇としての【象徴を感じさせてくれる装置になりうるもの】なんじゃないかな?
1-2.自分らしさにつながるクリスタル装置
私の部屋はそれこそ仕事柄どこもかしこも石だらけなのですが(鉱石と関連資料で部屋のスペース半分くらい埋まってます)、
クリスタルグリッドといって、鉱石で描いた曼荼羅や紋様のようなものを飾るコーナーがいくつかあります。
ここの天然石たちは気の向いたときにレイアウトを変えていきます。
それは今の自分の状態や向き合っていること、やりたいことが変わった時、「今はこういう気持ちや状態を保って過ごしていたいな」と周りに左右されずに自分がありたいモードに整えたりするとき…などなど
石の成分や色、かたち、来歴や産地のエネルギー、個々の個性を組み合わせて自分を連れていきたい波動やビジョン、自分が好きな<私の状態>をイメージして石や花やカードをセットしています。
美しかったり楽しかったり好きな物をふと目にしたり、石を置きなおしたりするたびに
その物や、たとえば天然石のアートに託してある<ありたい自分、自分の世界>にいつもつながり直すことができます。
クリスタルを飾ったり、身に着けたり、持ち歩くのって
どこか【自分の聖域とつながっている】感覚のためのフックを暮らしの中にひっかけておくというか、
いざとなったら森の奥にあるという妖精界の門を知っているんだという高揚感があります。