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アートの楽しさ

私がアートに興味を持ち始めたのは、今の旦那と知り合ってからだ。それまでは美術館に行ったこともなかった。

とっつきやすい印象派から始め、ルネサンス、バロック、ロココ、近現代あるいは古代まで、一緒に美術館にいきながら実際の作品に触れてきた。(歴史と交えながら観るのも非常に面白いが、今回は割愛する)

ある程度本物の美術作品を実際に見たのち、一冊の本に出会った。

それまではただ「綺麗だな〜」「美しいなあ」と思っていただけだったが(それも一つの楽しみ方である)、この本を読んで以降さらに美術館に行くのが楽しくなった。私は展覧会の中でこの絵が好きだった、理由はこうでこうで…と美術館帰りに旦那と話すのも楽しみになった。

それから私たちは一点の作品を購入した。
日本美術界では言わずと知れた、村上隆の作品だ。

初めて購入した美術作品

ここで皆さんに一つ質問である。
この作品を観てどんな印象を抱くだろうか?

私は家に来た友達全員に同じ質問をしている。

鮮やかな色使いや沢山のお花から、一眼見た時には「かわいい」「楽しそう」などの印象が浮かぶ。

ただじっくり見ていると、また違った印象になってくるのである。

ドラえもんが後ろを向いて手を振っていること、ドラえもんの中に思い出がたくさんあること、背景が白いことなどから、私には「別れ」の絵に見える。そうすると先ほど感じた楽しい印象とは真逆の、寂しい印象に見えてくる。国民的人気アニメであるドラえもんは、私が子供のころから見ていた番組の一つであり、誰にとっても身近で暖かい家族のような存在だ。そうした背景からもより一層寂しく見える。

この作品を初めて見た時、旦那はまた違う印象を持っていた。
また、この作品に出合う直前に「THE ドラえもん展 KYOTO 2021」に行っていたこともあり、購入を決意した。

私の解釈が正しいかどうかは分からない。村上隆がどんなことを思ってこの作品を作ったのかは知らない。でもそれがアートなのだ。100人いれば100通りの回答があって良くて、そのどれもが正しい間違っているではない。
私はこのような考え方がとても好きだ。



またこちらの本も現在読んでいるところである。

美術館に行ってもスタスタと歩いて行ってしまう、もしくはスマホで写真を撮ってすぐ次の作品へ行ってしまう人をよく見かける。

もしそのような方は、一度立ち止まって作品をよく観てほしい。

本の中にあったひとつの例を挙げたいと思う。
この絵をみて、出来るだけ多く観察できることを列挙してみてほしい。

ジョン・シングルトン・コプリー『ミセス・ジョン・ウィンスロープ』1773年

ウィンスロープ夫人は、あざやかな青いドレスを着ている。袖口は白いレースが二重になっており、黒と白のストライプのリボンが胸元を飾っている。帽子のリボンは赤、黒、白のストライプだ。髪は茶色で、額がかすかに富士額になっている。(中略)左手の薬指にはガーネットとダイヤモンドの指輪がはまっている。両手にネクタリンを持っていて、左手のネクタリンは枝付きだ。(中略)
ところでアートを観察する際、その作品のいちばんの魅力を見落とす人はめずらしくない。この絵の場合はマホガニーのテーブルだ。あなたはテーブルに目を留めただろうか。じっくり観察しただろうか。実際、このテーブルは作品の要で、画家の高度なテクニックを証明している。マホガニーのテーブルの表面に、夫人の肌や指、袖口の繊細なレース、そしてネクタリンに至るまで、反射が完璧に再現されているからだ。(中略)
細部を見るためには、まずそちらに注意をむけなければならない。注意を向ければ、それまで見えなかった情報が入ってくる。では、ミセス・ウィンスロープの前にあるテーブルをじっくり見てみよう。(中略)
夫人の左手の薬指には、ガーネットとダイヤモンドの結婚指輪がはまっているが、反射を見ると、そこには指輪がない。

エイミー・E・ハーマン 岡本由香子訳「観察力を磨く 名画読解」 

マホガニーのテーブルに注目出来る方はまずほとんどいないのではないだろうか。さらには、机の反射には指輪がないことに気づけた人はもっと少ないであろう。でも、作者はそれを意図的に描いている。この例から、私はいかに作品を見れていないかを思い知らされた。

インターネットが普及しSNSが流行る中で、情報の速度はかつてないほど上がっている。でも、その中で立ち止まって一つの物事についてじっくり観察し考えることは、今の現代社会において重要なのかもしれない。

美術館に行くことはそうした力を鍛える練習になると思う。




以上私が考えるアートの楽しさである。

最後に、素敵な企画をしてくださった灯火さん、ありがとうございました!

#灯火artweek

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